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赤ちゃんが来た!

入院騒動の一週間後、ようやく息子が我家にやって来た。退院のお迎えに は、私は仕事で行けなかった。帰宅すると息子がさも当然のような顔でベ ッドに眠っていた。

訳もなく添い寝をしたかった。「スースー」微かに響く寝息が、なんとも 嬉しかった。3人で「川」の字に寝ているだけで、なんだかホンワカ嬉し い。こんなに小さい者が居なくなりそうで、あれほど胸が締め付けられる 思いをしたのだ...と思い返す。

私の小指を握るのが精一杯の大きさの手を見つめる。点滴の跡が青く痛々 しく残っている。どれほど心細かったろうかと想像する。

心温まる再会のシーンは、映画ではラストシーンになっても、実生活では そうはいかない。この日は、それから始まる「眠れない夜」の始まりであ った。2~3時間毎の息子の泣き声は、日増しに大きくなって行く。眠れ ないイライラは、入院時にあれほど心配した気持ちとは裏腹に大きくなっ て行く。しかし、爆発させようもない。

何度となくうるさい息子を睨みながら、「じゃあ、居なくなってもいいの か?」と、自問した。もちろん答えは、決まっている。あんな心臓に悪い のはこりごりだ。「ならば、我慢するしかない」と、毎度のように自分を 押さえた。

私達は、呼吸停止のことを話題にすることをなんとなく避けていたので、 後で聞いたのだが、これは妻も同じだったそうだ。睡眠不足が続いて疲れ 切ったりすると、頭の中で同じ自問自答したらしい。

一度最悪のケースに出会ったものは、忍耐の度合も大きくなる。子供が自 分達の時間を奪っていると嘆いたり怒ったりする話を聞く度に、それを頭 で理解はするけれど、「じゃあ、居なくなってもいいのか?」と、頭の中 で尋ねた。あの入院事件は、我々夫婦を教育する、神様の「手」だったの かもしれない。きっとああでもしなければ、私達のような未熟な新米夫婦 は、きっと子供を大切にしないと思われたのだろう