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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[018] mail

「 mail ではニュアンス伝わらないでしょ?」と、また声がする。どうも mail は好意的に見られない傾向がある。特に年配の方に。便利なんだけどねぇ、と前置きされれば良いほうだ。

手紙が普及しだした頃、手紙もそんな風に悪口をたたかれたのだろうか。話はやはり会ってこそでしょう。それからどれほど経ったのだろう。手紙は人を感動させる最有力アイテムの1つだ。mail が広まるにつれ、今まで以上に、肉筆の手紙はありがたいものとして語られている気がする。そして、mail は味気ない、と。

先日、ジミーカーター氏のノーベル平和賞受賞時に、聞いた話。海兵学校時代、それまでの優秀な成績が目に見えて悪くなる。教官が若かりし彼を呼び出し、最善を尽くしたのかと問う。恥じた彼は、それから何事にも最善を尽くすスタイルに変わって行く。優し過ぎるとか優柔不断だというネガティブな評価もあるが、善悪の二元論で即武力行使を考えるよりもずっと魅力的だ。

突飛に感じるだろうけれど、「最善」がキーワード。mail でニュアンスが伝わらないと断言する方に、聞きたい。「最善を尽くしたんですか?」。物事がどこまで使えるか有効に機能するかを見定める前に、多くの人は好みで判断する。私もする。余り他人を責めれない。しかし、問い直すことはする。できることは全てやった上で、その結論か、と。

mail でコミュニケーションを取りたがらない御仁は、mail に感動したこともなければ、努力も余りしていないのではなかろうか。

私をWebの世界から離れられないようにしているのは、やはり感動だ。感動するから使うし、使っていて楽しいし、更に使い込む。 mail もそうだろう。私には忘れられない mail が多々ある。幾つかはDBに入れて保存している。メーラーの中に埋もれさせるには勿体無い。それは、直筆の手紙に勝るとも劣らない。ただ便利だとかだけじゃない。励まされたこともあるし、落ち込ませてくれたものもある。涙がこぼれそうにさせられた郷愁もあるし、驚かされたクールなのもある。更に大抵は自分自身の mail とその返事というような連作である。自分の気持ちを正直に書き、相手からピュアな応答をもらえる喜び。時間と言うファクターもある。こんな深夜に長文を書いてくれたのか。直筆手紙にしかないモノも多いが、mail にしかないモノも多々ある。

一度感動するとはまり易い性質なのだろう。できるだけ飾らず mail するようになった。それは簡単にできるものではない。努力している。どう書いたら伝わるのだろう。だから一生懸命一日中 mail 書いているときもある。てっとも疲れる。その結果誤解でもされた日には落ち込む。ぐったり。

mail は古くて新しいコミュニケーションも育てている。成人した孫娘がお祖母ちゃんに毎日のように mail していることが新聞に出ていた。手軽だし、手紙では書けないことが書ける、と。都会の街角で孫が親指で mail する、お祖母ちゃんが畑で腰をなでながらそれを読む。勿論その2人の間にその素地はあったのだろうが、mail が無ければ実現していない関係とは思う。

mail に親密感をより感じるのは、当然ながら、その先に繋がっている人との距離を短く感じるからだ。上述のような話は、余り仕事の話ではないだろうと反論されるかもしれない。でも、仕事で感動したいのも一方である。きっと、誰にでも。主人公が仕事上でスケールの大きい人に会い、感動し、感化されるような話は、ドラマに良くある。でも、そんな話は現実にあってもいいし、実際あるものだ。それ仲立ちを IT がやっても悪くない。物事が正確に、かつ感動的に伝達され、仕事が回ったら、ハッピーこの上ない。

もう一つ気になることがある。mail 嫌いの電話好きは、得てして電話でもニュアンスを伝えてくれない、と感じる点だ。なんとなく立場とか地位とか、そんなものへの配慮を期待しているかのような態度を感じる人もいる。余り考えないで電話してきて、こちらの応答に応じて考え始める人も居る。なんだか、コミュニケーションに対して手を抜いている。

そして、実は、ことは mail だけじゃない。サイト作りでも、なんだか変に達観している人に会うことがある。情報提供を諦めていると感じてしまうサイトがある。所詮サイトで正確に情報や想いを伝えることはできないでしょ、とハナから決めてかかっているサイト。最善も人事も尽くさずに結論を出している担当者。アイデアを考えもしないで、成功事例をねだる関係者。サイトのアイデアや仕様を再考せずに現場に投げて、現場の力量にオンブにダッコになってしまう自分...。

立ち止まって、考えて、努力するべき時代に還ってきているのかもしれない。当たり前のことも当たり前にしていない時が増えてきていないだろうか。mail はその象徴に思える。mail 文化が始まって日が浅い。まだ文化と呼べるほど成熟していない。けれど、想いや情報を文字にして相手に送るのは最近始まったことじゃない。そして、mail は今後数年間必要不可欠な情報ルートであることは間違いない。それならば、有効的に活用すべく努力しても良い。道ができても、走る車が整備されていなければ危険だ。

夜、同じ「島」の電話が鳴る。考え事を止めて、手を止めて、受話器を取る。「○○さん居ますか」。帰宅したことを告げ伝言を残すかと問う。「あ、結構です、mailしますので」。う~ん、最初から mail してはどうでしょう。とは言えない、言葉を飲み込む。

また電話が鳴る。社会人として電話は取れと散々教わってきたが、まだ身につかない。だって、右手はマウス、左手はショートカットの真っ最中で、CtrlとAltを押している。「折角選択した領域を無駄にする程の大事な話なんだろうな」と心の中で叫ぶ。

以上。/mitsui

ps.
カーター氏は、大統領時代でさえ、彼は自分が所属する教会の教会学校で教え、会堂を掃除する。そして、それは今でもそうなのだそうだ。ちょっとできることじゃない。