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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[042] 内幕

映画は監督のものか、プロデューサのモノか。時々気になって考える問題。Ridualを開発していて、同じようなことを考えることがある。

私は社内で予算を集めて、数多の会議を通過させる。仕上がったモノをテストしてどこまで通用するか評価する。勿論クレームもつける。方向性を決め、販売に向けて計画も作るし、セミナーを開いたりマスコミにmailをしたりもする。ダウンロードしてくれた人たちのリストも管理しているし、ログも見る。そして話題つくりとしてコラムも書く。登録商標や特許関係も処理する。エンジニアっぽいことは、XSLを書くことくらいか。監督ではない、プロデューサだろう。

監督役は、開発リーダ。私が指示するのは概要設計まで。その後の実装方式は基本的に任せている。私から出された機能を実装する方法を考えつつ、それを実現してどれほど嬉しいかも検討してくれる。プロデューサが思い描く客層が本当に正しいのかを見る役目も担っている。お客さんが本当に喜んでくれるシーンがどんなものであるのかを私に伝える。協議はするが、実際には開発サイドが乗る気になれない機能はボツになりがち。無理に実装してもらうのは、政治的な問題等の私自身どうしようもないような場合が多い。

製品化直前の今、開発リーダは高松にいる。この最終フェーズが始まってから数ヶ月経つが、まだ一度も顔を合わせていない。一緒に仕事をして約二年経つが、今までも実際に会ったのは二度ほどだ、計数時間程度。電話もしない。mailだけで開発が進んでいる。最小人数の体制なので、混乱が少ないという現実があるが、この遠距離開発は比較的上手く行っていると思う。

恐らくお互いに感じていることだが、自分の書いたmailで情報がキチンと伝わっているのかという不安は常にある。だから、推敲を重ねてmailするし、確認(伝わってます?)mailも書く。そして実装されたモノを試す瞬間はかなりドキドキしている。毎回自分の実装して欲しかった点と、それ以外の機能に出会う初々しい瞬間。私の中の期待と、実装された現実。私が期待してはいなかったけれど、開発中に必要だと判断されて実装された機能。ドキドキしながら、楽しくお仕事している。

この「楽しく」というのが最近気に入っている。別に楽な訳ではない。Ridualで拘束される時間は極めて長い。寝ても覚めても考えているし、息抜きしたくなってもアクセスログやフォーラムの様子が気にかかる。でも、次のビルド(版)ではどう来るか、どうなっているか。そんなワクワク感が私自身にある。正直幸せである。これは絶対に喜んでもらえるぞ、という機能が追加できたとき、一人でニタニタしながらテストしている。余り他人に見せられない姿だろう。

Ridualは、私自身にもよく見えない部分がある。こんな機能があれば便利だと思う、という数点のポイントから出発しているが、それが本当に便利かどうかはやはり分からない。開発手法は千差万別だ。実装されたモノを実際に使い込んで見てからでないと判断が出来ない。でもそのために限られたリソースを実際に消費しながらでないと進めないのが辛い。

何度も開発陣を振り回している。その度に謝る。結構あっさりと謝って機嫌を直してもらう。自分で振り回しているという自覚がある。一週間に二度も三度もその週に行う作業の優先順位を変えたこともある。でも言葉を尽くして説明しているつもりだ。自分でmailで文字にしながら何度も考える。mailに書く前にも、自分の言ったことを整理するために一人会議をよく開く。十人以上入る会議室で、一人でブツブツ言いながらウロウロしながらホワイトボードで整理する。あの時あぁ言ったのは何でだっけ、その後でこう指示したよなぁ、じゃここで矛盾が起きるじゃないか...。情報整理すらできない現実にぶち当たって、あ~俺ってやっぱ才能ないわぁ、と一人で落ち込んだりもする。

お客さんのWebサイトを開発していて、一番辛かったのは、指示される内容に納得できない時だった。色とかキャラクタとかの個人の趣味色が強いところではない、客観的に論理的に考えるべきところで、「本当に考えて指示してる?」と尋ねたくなるときがある。大抵は先方も忙しい。やっつけでアイデア搾り出して、推敲してる間もなく我々に投げ出すのが常である。でも、自分が納得できない設計(デザイン)では力がだせない。でも言えない(顔には出した)。辛かった。

そんな経験が活きている。私のチームのメンバは私に対して殆ど遠慮がない。先日も私の出した案に対して、「もっといい方法があると思う」と返された。この言葉は私がこのコラムでも引用している言葉だ。常に何に対してもこの様に考えることが、開発者として必要だと常々思っている。平たく言えば「奢ることなかれ」+「もっともっと考えろ」。自分のアイデアにこの言葉を返されては、返す言葉がない。う~ん、まだ足りんか、まだ甘いか、と頭を抱えるしかない。そして考え直す。腹は立たない。プロジェクトリーダが心情告白みたいなコラムを書くことは圧倒的に不利だ、とは考えるが、それでもやはり腹は立たない。

でもこうした体制が財産なんだと思える。私への遠慮は少ない、遠慮すべきはエンドユーザに良くないものを提供することに対してだけだ。アイデアを検討する時も、誰の案であるかは問題にしない。本当にこれを実装して、ユーザは迷わないか、嬉しいか、どう使えるか、を話し合う。それが出来る雰囲気がこのプロジェクトにはあるように思う。未だ「こんなことできたら便利だよね」という最初にWebサイトを作っていたときに似た感覚がある。

それが「楽しい」のかもしれない。立場や上下関係に囚われず、本来の目的の(ユーザに喜んでもらう)ために本音で話せること。これがモティベーションの源泉だ。これってWebサイト作りと同じ大原則。サイトを作りながら、こんな環境というかチームが作れたところが生き残っているんじゃないだろうか。更に言えば、プロデュース業と監督業とが上手く分離して感化しあえているチームが理想的なのかもしれない。

先日Ridualをダウンロードしてくれた方のサイトにお邪魔したとき、こんな言葉に出会った。「嫌いなもの:現場をしらないくせに机上の空論となえて高い請求当たり前と思ってるコンサルタント」。二分位このページを眺めていた。こたえる。Ridualもそんな風に思われるだろうか。頭でっかちのボンボンが作ったツールに見えるだろうか。

Ridualは夏中に購入可能にしようとしている。楽しんでばかりでは済まされない。同時に秋からは某マルチメディアスクールで一回五時間セミナーが数回内定した。マニュアルも全面改訂して、新機能が分かるようなサンプルも改定中。監督が現場で汗を流している間に、私は周りを固めている。

Webサイトを作る時には、エンドユーザ主体に進めて来たつもりだ。Webサイトを作るツール作りも同じように進めてきたつもりだ。それが独りよがりか試される。時間は全然足りないけれど、最初のゴールは見えてきた。サイトのカットオーヴァーと同じだ。ワクワク、ドキドキ。

以上。/mitsui

・社内のレヴューア(実はいるんです!)からのコメント:
映画は、日本や欧州は監督のもの、米国ではプロデューサのもの。映画を芸術作品と捉えて、オリジナリティを付与した人を偉いと見るか、映画は絵画や音楽などの著作物とは異なって、どんなに頑張っても一人では出来ないので、資金や人材を調達し、方向性を与えた人が偉いと見るかの違い。