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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[057] 波

天狗になる。より大きな存在を思い知らされる。打ち砕かれる。卑屈になる。ウジウジする。とりあえず、と何か勉強し始める。もしかして、これって行けるかもしれない、とノメリ込む。形ができる。社内や社外を行脚する。天狗になる。...。

小さな波を幾つも幾つも重ねる。大きな波も、より大局から見れば同じような繰り返し。こんな波をどれくらい越えてきたろう。スランプになる度に考える。絶好調の時には、そんなことは考えない。後ろをチョロチョロと見始めると、それは行き詰っているというシグナルだと、最近に漸く自分の行動パターンが分かってきた。

過去を振り返る、食玩が増える、名刺の整理を始める。幾つか象徴的なことをどうしてもしたくなる時がある。少し前までは、それを「逃避」だと思って来た。そんなところに逃げ込まないでチャンと問題に向き合わないと駄目だと、無理やり自分を鼓舞してきた。

最近そうした対応方法を改めようかと考えるようになった。「不惑」の年に達してから、どうも体を上手くコントロールできない。そもそも体調に気をつかっている方ではない。色んなところでガタが来ている。ジムに通いたいと、ここ何年も独り言も言っている。でも、問題だと感じているのは体力面だけじゃない。

アイデアが出ないという壁が見える。少し前までは、かけた時間にある程度比例した「何か」が手元に残った。それが最近は、ある時間を過ぎると、なんだか頭が空回りしているのを感じる。同じ考えの中をウロウロとグルグルと回り続ける感じ。ここさっき通った道だ、と気が付いているのに、繰り返す。これ以上考えても、「今は」無駄、という線が垣間見える。そして、キチンと寝て考えると少し先へ進める。

体が悲鳴をあげるように、精神的(?)活動も無理をかければ悲鳴をあげるのかもしれない。胃が疼きだすように、自分の趣味の領域を疼かせて、視点を少しそらせようとする。今は休めとサインを送ってくれている。

でも、頭のどこかで、そんなことはない俺はまだやれるんだ、と無謀な抵抗を試みる自分がいる。もう少し考えよう、もう少しやっておこう、抵抗しつつ、真夜中のキッチンで最近コックリやっている自分がいる。もしかしたら、今はそんな状況に自分を適応させていく準備期間なのかもしれない。

いつまでも同じ体力で走り続けることはできないのだろう。でも、走り続けることは、何も体力だけでなされる訳ではなさそうだ。先日お会いした方は、私よりも二つ上。毎日缶ビールを数本は空けると言われるが、体格はそんな風に見えない。きりっと締まったスポーツマン。何かやられてますか、と問うと、「ヘロヘロになるようなモノを少し」。スーパーマラソン。100Kmを走り抜く。週末は箱根まで電車で行って、走って帰って来る、とか。で、Javaプログラマ。

Javaプログラマに偏見を持っている訳ではないけれど、初めてのタイプ。驚き度が倍増した。なんだか生き方自体に興味を持つ。今1Kmだって走れる自信がない私が色々と質問する。そして聞かせていただいた彼の夢、六十歳になって完走したい、と笑顔で言う。北海道で行なわれる大会では、そうした先輩ランナーが、若者ランナーを激励しながら走るというのが珍しくないそうだ。それが格好良いという。走る境地を私は理解できないけれど、きっと体力面でも精神面でも、身の丈にあった走り方でないとそうは続けられないのだろう。

短距離で熱血だけで走ることしかできない私には異世界物語だ。でも、体が自分をワキマエロと言っている。自分ができること、自分しかできないこと、誰かにバトンを渡していくこと、それらを整理しつつ走っていかなければならない時期に来ているのか。

手前味噌だが、Ridualはそう考えて開発し始めた。今は嫌がらずにやれるHTMLのチェックも、近い将来できなくなる。目だってカスムし、思考も鈍る。検証も甘くなるだろう。それでもWeb屋であり続けたい。だから自動でやれるところは自動でやりたい。

妻の実家は海まで数十歩の場所。年に一度は行くようにしている。津軽弁は私には難解で会話が続かないので、よく波を見つめに外に出る。寄せては引く波をただじっと見つめる。不思議と全然飽きない。何時までも見てられる。

どれも同じような波に見えるけれど、ふと気が付くとそばにあった流木が彼方に動かされていたりする。拾ってみると、結構重い。同じに見える繰り返す波にそんな力がある。自分もそんな波を重ねて生きたい。

以上。/mitsui