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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[061] アテネ・オリンピック

テレビを殆ど見ない生活をしているのに、「金」獲得のシーンをLiveで何度か見れた。生活が普通じゃない分、時差が大きい方が見れるチャンスが高い。

柔道がこんなにエキサイティングなものとは知らなかった。何処からが「技」かも知らない素人だが、アナウンサーの絶叫を聞きながら、足を抜いたら技がかかったことになるんだぁとか呟きながら凝視する。ルールを学びながら、応援する。体が激しく浮き沈みすると、息を呑み、こらえるべき所は思わず声が出る。

誰が「金」をとってもおかしくないような猛者が集う場で、日頃の練習の成果を出し尽くす。常人にはできないことなのだろう。そうした猛者たちが、汗を輝かせ、息を弾ませながら、もてる力の限りをふり絞る。開会式の華やかさとは対照的な、大声援の中にありながら、どこか孤独な畳の空間。

Liveで見れて良かったのは、TV局というフィルターが余りかからないモノまで気にできること。勝負時の目の輝きや、呼吸の乱れ、汗の滴る瞬間も、瞬きをする間のことのようなのに目に焼きつく。

一本で投げきったときの、両者の表情。小躍りする者、雄たけびをあげる者、静かにガッツポーズする者。天を仰ぎ静かに目を閉じる瞬間。そして柔道着を整え礼をする。ショックが抜けきれないままの者、悔しさが自分に向かっているのを隠せない者、悔しいはずなのに勝者を称える者。

勝利インタビューの時にも幾つか驚かされる。耳がはれ上がっている。畳にこすり付けられて、内出血どころじゃないのか。それが直りきらないうちに更にこすり付けられているのだろう。腫れ上がり方が幾重にも重なって普通じゃない。でも笑って答えている。汗を拭う指先のテーピーングの量。勝利と引き換えにしてきた代償は、TVの前で唸っている私の知識を越えたものなのだろう。

負けた者たちも少しでもメダルに近いところを目指して歯を食いしばる。3位確定と共に、それまでのムッとした表情が崩れて泣き出す者の多さ。3位になれても、満足できない。それは彼ら彼女らには意味がないかのようだ。世界3位の猛者が泣き崩れる。コーチに抱きついた途端に緊張の糸が切れる。ここまでの数ヶ月間は何だったのか、何故あそこで油断したのか。様々な考えが浮かんでいるのだろうか。悔しさで顔が歪んでいる。

戦歴を聞いていると、どの大会でも上位で出会うのは同じような人達のようだ。どこか戦友のような感覚を持っているのかもしれない。同じ時代に生れたというだけで、数ヶ月単位で行なわれる世界大会で競い合い、数年に一度のオリンピックのような場でも顔を合わせる。

前回の「負け」をバネにして、今度こそという思いで練習を積む。数ヶ月や数年後の1日に自分のピークを合わせるような自己管理。華やかな舞台の裏に幾つもの涙が、にじんで見える。

性分として、負けている方をいつも応援したくなる。頑張っている姿が好きだから。でも柔道には勝っている方も負けている方もなさそうだ。両者が頑張っているのが良い勝負。そんなシーンが自分の仕事の踏ん張りどころにもなっていく。誰かが頑張っている姿は、得がたい栄養補給剤みたいなものだ。

翌日、電車ですれ違う小学校低学年の子までが、「野村」や「谷」と興奮気味に話している。昼休みには近くの公園で親子キャッチボールが増えて見える。子供たちも走り回って見える。いつもより声が響いている。子供たちにも伝わっているよ、と教えてあげたくなる。見知らぬ誰かの笑顔の糧になる、種になる。今日出会った子供たちが、いつか「あのシーン」がキッカケでしたと、五輪の勝者インタビューで答えるかもしれない。

数回前のオリンピックでは、何だか組み手争いばかりしていて、一向に技が決まらないのに、勝負が付くという印象を持ってしまった。それが柔道着の素材やら審判の動向を前提にした、勝つための戦略が先行したためだと後で知った。幻滅に近い印象を更に深めた。投げるか投げられるか、真っ向勝負の代表のようなスポーツだと単純に思っていた柔道もそういう勝つためのビジネスになったのかとため息が出たことを憶えている。

今回の日本の躍進の分析が新聞に載っていた。チーム重視から個人重視への選手育成の姿勢転換だけでなく、審判側も変わっているのが書かれている。下位戦で「いい判断」をしたものしか、上位戦の畳の上には立てないそうだ。肩書きではない、当日のジャッジの質で決められる。シドニーの「誤審」への反省とある。

このままでは、駄目だ。このままでは視聴者に受け入れられない。そんな危機感が審判とか体制側にあるのが驚きだった。体制とか伝統とかいう言葉に守られている側が、危機感を持つことは稀だと思ってきたから。

「反省」した国際柔道連盟が、審判レベルの向上に力を注いだとある。自らの姿勢を先ず正して、ファンに問う。その結果が私のような柔道音痴でも手に汗握る試合につながっている。礼に始まる格技らしい。そういえば、谷選手は、表彰台に上る前、一人靴を脱いで畳の上に立ったようにも見えた。

皆が熱狂するスポーツ、小さな子供たちさえ名前を口にする「英雄」を生み出す土壌。それでさえ、自分達がどう受け止められているかを真剣に模索しているのだ。いわんや、企業をや、Webサイトをや。

ユーザに受け入れられるものこそが、という方向にWebサイト開発は向いてきている。と、言われて続けている。しかし、現実は少し違う。ユーザが知りたいことを提供する姿勢を貫くのは、まだまだ大変な作業だ。昔ながらの壁が立ちはだかる。本でセオリーが語られるほど、本質は変化していない。

でも、変化が少ないと思っていたことが、変わって行っていることに勇気付けられる。何だか「俺たちももっと先まで行けるぞ」と思えてくる。硬直 し変化しないモノは何ものも先へは続いていかないと希望を持つ。変化を恐れないモノだけが不動の支持を得るのか。

今回の勝者たちの履歴記事も面白い。お山の大将だけで行き着けた人が殆どいない。多くが「もう辞めようと思いました」と過去に岐路を経験している。そんな過去がありながら、「柔道続けていて良かったです」と語る。そんな言葉が耳からしみて来る。辛いことがあっても、あの腫上がった耳やテーピーングを思い出せる。こんなことでへこたれてはいけない。まだやれる、と心のフンバリが少し強くなる。

オリンピックのおかげで睡眠時間は更に短くなった。でも、気力は増している。そんな人が心なし増えている気がする。眠そうなのに気が張っている顔つき。電車に揺られながら、何となく想う。頑張ってる人が美しいのは、それを受け止めた人が反射板になって更に光を増すからかもしれない。

以上。/mitsui