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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[069] 震災

阪神淡路大震災の1週間後、私は神戸にいた。今まで、自慢話のような気がして友人にも話すのを躊躇していたのだが、やはり残しておこうと思う。

あの震災を知ったのは、昼過ぎにたまたまTVをつけた時だった。映し出されたモノが、倒れた高速道路であると理解することにすら時間がかかったのを憶えている。当時、父が大阪天王寺区に住んでいて、何度も電話をしたがつながらなかった。数日後、父が無事であることを知るが、何かじっとしていられない気分だった。その前の月に前職を希望退職制度で辞め、無職の状態だったのも関係した。

一週間後、通っている教会の牧師から連絡が来た。夕方の4時頃だったと思うが、「今から神戸に行くことにした、一緒に来るかどうか一時間で決めてくれ」。車中に二泊、神戸には三日間、計五泊の予定だった。米国人宣教師二人が交代で運転するという。

計五人がバンに乗り込み神戸に向かった。神戸では現地の教会に寝泊りさせてもらって、指示された「現場」に通った。教派的には異なる教会が現場だった。大きな教会堂は塔の部分に縦に亀裂が入り、横にあったという建物が全壊していた。三日間、その全壊した場所約150坪を更地にし、残った教会堂の横に炊き出しをする小屋を作る手伝いをした。同伴した宣教師はプロ並みの大工だったことと、その教会の牧師が巨大なショベルカーを運転できたので、もう少しでどちらも完成というところまで進めた。

毎日砂ぼこりの中で休む間もなく働いた。毎日泥だらけになり、へとへとで話をする気力もなかった。でも最後の日も日が暮れてもなお炊き出し小屋の屋根に釘を打った。実動三日間を最大限活用しようと意地になっていたのかもしれないし、この日が終われば「家」に帰るだけだったからエネルギーを残しておく必要は無かった。ただ車に乗れば良いだけだった。

最終日の昼食時にその教会の方が近づいてきて、不思議そうに質問された。「何故見ず知らずの私達にそんなにしてくれるのですか」と。その時の不思議そうな顔が今でも忘れられない。でも多分私も不思議そうな顔をしたのだと思う。自分達が彼らを助けているという意識は殆どなかった。

正確に言うと、何かできると思って神戸に向かった。しかし、直接的に人を助けることなんてできないと思い知らされた。声をかけることもはばかられた。言葉を選べなかったから。でもその時に自覚したことがある。私達のしたことは、更地作りを手伝ったことでも、炊き出し小屋を作ったことでもなく、ただ頑張る姿を見せたことなんだと。

瓦礫の山だった約150坪が更地になったことよりも、炊き出し小屋ができたことよりも、見ず知らずの数人が毎日ヘトヘトになりながら作業をしている姿に意味があったのだと思う。

実際、炊き出しを計画できるのだから、その場には食事も水も食べ物も、それなりに存在した。同系列の教会からの支援が集っていたからだ。だから、その教会の人たちがやる気になっていれば、更地も小屋も似たような時間内で出来たに違いない。理屈では。

でも、やる気になれないのだ。力がでないのだ。そして、それは誰にも責められない。宣教師の勧めで少しは破壊された街を見て回った。焼け野原の中、様々な哀しい話も聞いた。体育館で寝泊りする人達にも会った。そこで思ったのは、「頑張れ」ってそう気軽に言える言葉ではないということだった。

今まで頑張って築いてきたモノがあっという間に破壊されたのである。そこを更に生き抜くには頑張るしかないと頭で分かっていても、やはり力が入らない。人の頭はスイッチのようには行かない。時間が必要だ。

そんな時、私たちのような「帰る場所」がある人間が役立てる。あと何日、あと何時間でこの地を去ると決まっていれば、かなりの無理がきく。それらの積み重ねが、被災者達の「俺たちも頑張るか..」につながっていくのだと思えた。

今回の新潟の映像を見るたびに、息を呑む。今回私は時間的にも何もできない。でも、先日某Flash系企業の社長がボソッと言った。「RIAとかFlashとかやっているんだから、避難所にネットが来さえしていたら、ご老人達にも使い易い安否掲示板のようなものが提供できるんだよなぁ」。ドキリとした。

9年前の震災時には、ネットインフラはまだまだ高価だった。今はそれ程無理しなくても提供できる。パソコンもあの頃に比べれば早くて安いマシンが手に入る。開発技術も格段に上がってきている。ネットでできることも広がっていたんだ。

安否を知りたい、知らせたい人達からの情報を集積する。必要としているもの、送ろうとしているものの情報の整理をする。必要であれば、紙に印字できるようになっていても良い。連絡が取り合えた後も、その伝言の紙を握りしめて、精神的な糧にできるかもしれない。電話の言葉も力になるけれど、繰り返し読める文書も力になる。

勿論、生身の人間の暖かさに勝るものはない。でも、ネットもそれに近い何かを伝達できるようになって来ている。ネットのセールスポイントは、今も昔も、「時間も空間(場所)も超越できる」ことだ。何かできることはないか、そんな人間としての根幹を広げる道に、ネットは育っていける。

...新潟県中越地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます

以上。/mitsui