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[071] 種蒔き:場とコンテンツ

USの某マルチメディア企業のプライベート・カンファレンスに参加してきた。三日間、朝から晩までセミナー漬け(初日は8:00-22:30、少々殺人的)。今回はカンファレンスの内容ではなく、その環境について感じたことを。

ここ数年、年に1~2度、海外のカンファレンスに参加させてもらっている。名の知れた大都市ばかりだが、行く度に感心させられることがある。それは会場。大抵の都市に、その中心付近に幕張メッセ並みの施設がある。しかも、それは最新の施設ではなく、それなりに歴史が刻まれていそうな風情で存在している。

建物としての古さは、参加者としてはさして気にならない。エレベータとかトイレはさすがに古いとは感じるが、音響もネットも最新になっているので低評価材料にはならない。むしろ、カンファレンスなりセミナーなりのコミュニケーションが、それなりの形で開き易くなっているように見えて羨ましい。

最近、RIAコンソーシアム等でセミナー開催などに関係するようになって、会場探しに困っているので、尚のことそう思う。経費の比較的安い古い会場はネットや音響、それにプロジェクタがそれなりに貧相だ。設備の充実している所は、それなりに高い。小規模の勉強会をしたい場合や大規模に集客したい場合など、ニーズは様々だけれど、毎回苦労するのは都心の会場選び。

古びた会場の壁を眺めながら、USはこうした施設を早くから作って、こうしたコミュニケーションの場を広く提供してきたんだなぁと想う。どんな大きな会場でも講演者に質問を投げかけられる米国人は、USの教育方針に依るものだとばかり想ってきたが、こうした「場」が一般的に使われている、というのも一因なのかもしれない。

奇しくも、そのカンファレンスのキーノートで語られた言葉は「対話」。従来その企業は独自に機能開発を進めて新製品や新版をリリースする、という手法で業界をリードしてきた。しかし最近それを修正していると言う。顧客と話す時間をとり、β版(或いはα版)を提供して、満足度調査をする。しかもそれを繰り返し、複数の顧客を回っている、と。少々独善的な機能追加が気になっていただけに少し驚き、かなり感動した。

良いモノを作り続けるには、やはりアイデアの枯渇が最大の敵だろう。その一番の良薬はコミュニケーションではないだろうか。一人のアイデアマンが吐き出せるアイデアには自ずと限界がある。様々な意見に触れ合う場所を、仮想的な場だけでなく、現実の場でも持とうとする時、その実現の敷居が低ければアクションに移しやすい。

建物だけ作って魂入れず、というのは日本的な手法を否定的に言う時によく使われる言葉だ。しかし残念ながら、「対話」の場所としての「建物」は余り作られずに来たのかもしれない。箱(建物)さえあれば、もっと様々な交流が生まれる土壌ができているだろうに。ネットのような凄いスピードで変わり行く急流の時代には、そのような先見の明のなさが悔やまれる。

世界一土地代の高い国だから、低料金で使えるコンベンションセンターを作るのは無理だったのかもしれない。逆に維持費とか回転率とかの理論で、税金をそうしたところに投入することに勇気が必要だったのかもしれない。でも、何かを活性化する支援土壌としては、そういう種蒔きが欲しくなる。

場がないから気軽に集れない。集らないから場が作られない。卵と鶏の議論ではあるけれど、各種セミナーの動向を見ていると、今は場がないことが何か活性化に対する足枷になっているように感じる。「遠くの大規模展示会より、近くのプライベートセミナー」、と望む声が強まっている。

USに行く度に感じるもう一つのことは、各種コンテンツへのアクセスを身近に感じること。カンファレンスやセミナーがリアルタイムの「対話」であるなら、DVDやCDなどは時間を越えた対話だと思う。日本でのDVD等の値段が下がってきているとは言え、やはりUSの方が安い。日本語訳という工程が入るので割高なのはある程度はしょうがないが、解せないのは、日本の名作がUSの方が安いという事実だ。

今回は、US仕様の「七人の侍」を買ってきた。私は家ではMacユーザで追加のDVDドライブをリージョンコード1にしているので、視聴には何も障害がない。新作ではないので、リージョンコードの理論にも抵触しない。そもそも日本映画なので、日本語が入っている。それが三千円程度で売られている。

恥ずかしながら、私はこの名作を三十路を過ぎてから見た。今まで見なかったことを心底恥じたし、もっと早く触れていたら人生が変わったようにさえ思った。そして、自分の怠慢を棚に上げ、こうした名作コンテンツに気軽に触れさせない価格帯に腹を立てた。

黒澤作品だけでなく、日本映画は洋画に比べて、気軽に所有する気になれない価格のものが多い。それがUSでは安い。更に大都市では、図書館も充実していて、名作映画などは勉強する意思があれば、洋の東西を問わずにほぼ無料で見ることができるという。羨ましいとしか言い様がない。

日本に居ながら、日本名作に触れる敷居が高い。こんなに勿体無いことはない。
私は漫画とか映画に沢山のことを教えられてきたので、学校の授業に一回/週で良いので、名作鑑賞の時間を義務付けるべきだとすら考えている。年相応に、国際的にも誇れる名作で見ておくべき作品が多々ある。黒澤作品もジブリ作品も然りである。

どんな有能な先生でも、名作映画に込められた情熱に勝るものを、同じ2時間程度で語り続けるのは不可能ではないだろうか。子供たちの情操教育とかユトリ教育とか理論的な進め方よりも、週に一回学校を映画館にして、思いっきり笑わせ、泣かせ、感動させた方が手っ取り早く堅実だと思う。

ここ数年、日本は、コンテンツを資産として考える方針に傾きつつある。それは取りも直さず、如何に良いモノを生産し続けるかという課題を抱えることでもある。いつまでも過去の資産維持管理をして儲ける訳にもいかない。

対話の場と、名作コンテンツの常識化。気の長いこうした種蒔きが堅実な実を結ぶ最短路かもしれない。

少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
聖書:コリント人への手紙 第二 9章6節

以上。/mitsui