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[078] イントラネット

Webに惹かれていると公言して数年経つが、実を言うと個人的に一番好きなのは「イントラネット(イントラ)」の世界だ。世界中の様々な趣味や意見に触れることは、勿論楽しい。しかし、それらは自分の生活に直結はしていない。イントラが賢く鋭くなると、私の仕事は円滑になり、ストレスが減る分生活も潤う。

今は、Ridualの開発が実は主業務であるのだが、たとえそれに専念できているとしても、会社で働く以上何かしらの間接業務が発生する。それは、交通費申請であったり、勤怠管理だったり、そうした日常の細々した情報操作だ。開発業務や研究活動だけして、給料がもらえるような会社は多分ないだろう。

私は転職組で、複数の組織のカラーと仕組みを見てきている。年俸アップだけを見つめて移っていった訳でもないし、昭和初期生まれの父の世代からは、転職すること自体に眉をひそめられた。転職するたびに、「モラル」や「忠誠心」や、そもそも「会社って何?」等を考える機会を持ってきた。

「親方日の丸」や「よらば大樹」的な考え方が、儒教的な色彩も持って浸透しているのが従来型の「会社勤め」だったと思う。それに対して、私の世代の前後からは、「会社」を想う精神的な「量」が減ってきているのかもしれない。会社員生活だけが自分の生活の全てではないことを自覚していたし、会社も私の一生の面倒を見るほど人情味に溢れた場所でもなくなって来たからだ。

そんな状況の中で、自分を特定の会社に結びつけるものは何か。この問いの答えを未だ完全には見つけていないが、私にとってはイントラと関係がありそうだ。イントラの良し悪しが、「会社で居心地が良いか」と直結していると思えるからである。

今後もしも転職することになっても、私がやれることはWebに関係する業務しか事実上ありえない。他には能がない。この分野での自分からのアウトプットは自分を律するしかなく、自分自身でコントロールできるところだ。優れた人達から感化されることは多々あるけれど、誰かに依存する部分は少ない。

だとしたら、それに如何に集中できる環境であるかが、会社選びの要となる。それは私にとっては、申請処理などの日々の細々とした作業を如何に簡潔に行えるか、社内の情報共有がどれほどスムーズかにかかっている。福利厚生と同じくらいに、社内システムのIT化の度合は気になる。

複数の会社のシステムを実際に触り、時にはコンサル的な立場でクライアントのシステムを見せてもらったりもする。余り事例的に多くを見ているとは言えないだろうが、素晴らしいイントラのシステムに出会うことは極めて稀である。現場が悩むだろうとか、情報共有が進まないだろうなぁと容易に予想できるシステムがゴロゴロしている。

Webデザインが単なるグラフィックデザインではないと気が付いてから、インフォメーションアーキテクト(IA)の分野の仕事の比率は否が応でも増加する。そうした情報整理の目でイントラを見回すと、そこには広大なマーケットが存在していると感じている。更に魅力的に感じるのは、改善されると喜ぶ人達を身近に感じることが出来る領域だということだ。不特定多数への貢献も楽しいけれど、特定多数も捨てがたい。

しかし、どうもイントラには、「釣った魚には餌をやるな」という風潮が、広がっているようだ。社内の情報システムへの投資を積極的に行なっているという話は余り聞かない。たまに雑誌で美談的に扱われているのを見ると、そうした風潮を逆説的に証明しているようにさえ感じる。

そうした美談の成功秘訣は、基本的には現場の声にどこまで従っているか、だ。偉そうな情報システム部門が「下」の者に作り与えるという形式での成功話は殆ど聞かなくなった。現場重視。その証拠に「パートのオバチャンが使い込めるかが、鍵でした」のような見出しが目に付く。

「上」の者が理屈で考えた理想論システムではなく、「現場」の声を重視した設計。理屈の上での効率化ではなく、現場のポテンシャルを現場自らが引き出せる効率化の路線。しかし、これこそがWebの特にB2Cの分野で繰り返し示されてきた教訓だ。とにかく現場(ユーザ)に聞け。

Rich Internet Application(RIA)の芽が出始めたとき、多くの雑誌で特集されたのは、「クライアントサーバ(C/S)システムからWeb(HTML)システムにしたのは間違いだった、現場の効率が悪すぎる。RIAへの期待は高まるばかり」という結論だった。

一見すると、HTMLが悪くてRIAが優れているように読める。しかし、本質はそうじゃない。HTMLシステムでは、現場の力を引き出せない分野に、HTMLを導入したことが間違いなのである。それはRIAにしたからといって解決される訳ではない話だ。技術の話ではない。現場をどう見ているかどうかの問題だ。

C/SからHTMLシステムへの移行は、更新と維持コストを背景に進められた。システム部門の都合で進められたと言っても良いだろう。しかし、現場の生産性が開発終了時点から問題となって行く。最早近視眼的なIT開発では会社をハッピーにするシステムは構築できない。最終的に会社としてのトータルな生産性を考慮して、システムが徐々に見直されている。

Blogやソーシャルネットワークサービス(SNS)は、隣席の社員よりも、もっと緊密な情報共有が可能な赤の他人を知り得ることを証明して見せた。社内他部署でどんなプロジェクトが進んでいるのか、誰が何に詳しいのかを、少ない労力で知り得る。そんな情報システムが構築できるのだ。

そんなイントラシステムが稼動し始めた時、その根本機動力は、BlogやSNSと同じように社員の好奇心だろう。何かを知りたい、誰かを知りたい。そんな興味がWebの世界を引っ張ってきた。それが社内に広がっていける。

これを会社への忠誠心と呼ばずになんと言うのだろう。決してナァナァの関係にならずに、会社の内に向かって伸びていく好奇心と、自分の専門性に集中できる環境、それをシェアできる情報システム。その品質がその会社から離れたくなさせる力になる。捨てるには惜しいと感じさせる。そして、その目に見えない力は、ネットに乗って広がり、そうした環境を好む優秀な人材を呼び寄せてくれるだろう。

先日見せてもらった某社のシステムには驚かされた。Windows 2000/XPマシンが標準端末であるにも拘わらず、XP端末から誰もが使う業務システムにアクセスすると、「Windows XPでの使用は推奨されていません、Windows 2000をお使い下さい」とJavaScriptが偉そうに語りかけてきた。

一人に2種の端末が提供されている職場ではない。自席で個人がその業務システムを操作することが業務効率が上昇すると考えられて導入されたシステムである。根本ポリシーが継承されていないシステム設計が実装されている。

イントラは、単一民族(社員のみ)が使用すると想定できるので、B2Cシステムのように様々なブラウザ依存性など検証せずに、IEを使えとか指示し易い。それは開発コストに直結する。その意味で特化した環境でシステム構築が進むのは理解できる。しかし、このメッセージには閉口した。XPユーザはどうすれば良いのだ? 逃げ口がない。

イントラを情報サービス業の出入り口だと認識するなら、利用者を門前払いするのは最後の手段である。それを何の思索も重ねずに断行している。余りに開発者中心の考え方に呆れてしまう。私には単なる怠慢にしか見えなかった。

更に心配なことがある。こうしたシステムを毎日見慣れている人達が、どんなシステムを作っていくのか、という点である。環境が人間に与える影響は大きい。毎日付き合うものならば影響力は絶大だ。怠慢は怠慢を呼び込んでいく。

単純な申請に数十分もかかるシステムや、逃げ口のないメッセージを出して平気なシステムに慣れきったシステムエンジニアは、多分同様の負荷を現場の人に押し付けても罪悪感も感じないだろう。私なら、そんなシステム屋に開発をお願いしたくない。金を払って、社員のストレスを上昇させるなんて、本末転倒である。ITは現場の効率を上げるために投資・導入されるものだ。

そんなシステムの改善案作成屋として呼ばれると、Webデザイナとして「使い易いデザイン」を要求される。しかし、見栄えの化粧直しで使い易さが作り出されると思っているとしたら、それは「情報」をなめている。もやは情報がビジネスの根幹になっている。見た目を赤から青に替えただけで操作性が上がったりしようはずがない。

本来使いにくいモノは、少々の飾りでは直せない。根本治療が必要になる。システム的な制限や、データベース(DB)構成上の話からではなく、ユーザビリティの観点から出発するイントラ開発。使われなければ意味がないという視点。

これから、このようなイントラの整備が水面下で進んでいくと思っている。そして、そうならなきゃ困る。その時には、多くのWebデザイナが、情報のデザインや、使い勝手のデザインを構築するためにDB設計にまで影響する力を持つようになるだろう。

「頼むから本質的な仕事をさせてくれ」、そんな声なき現場のニーズを「形」にする仕事。「デザイナ」という肩書きにこだわっているのは、そこに誇りを感じるからである。最近、Web業界の暗い面ばかりを考えてしまうが、先に広がる道も見えつつある。B2Cで鍛えられたノウハウが、廻り回って日常業務を支援する土台になって還ってきた。

以上。/mitsui