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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[083] VFX

映画が見たくてたまらなくなる時がある。仕事が大変な時に限って無性に疼きだす。本当のことを書くと長編の歴史的なものが好きなんだけれど、なんとか時間を作っても、見るのはSF系に偏っている。

いわゆる正統派映画は見るのに疲れるからだ。それなりに体調整えて、襟を正して映画館に向かわないといけない気すらする。歴史絵巻に入れ込むには、それなりに時間をかけた助走期間も必要だ。主人公がどういった状況でどういった心境に陥ったかをじっくりと納得して、人間模様を理解しつつ、自分の気持ちも熟成させた上で結末を迎えたい。醍醐味なんだが、疲れた頭には少し億劫。

しかし、SF系は少し手軽でのめりこみ易い。有り得ない状況がとっさに起こって、監督が描きたいシーンに一足飛びに突入できる。非現実的であろうと、世界観がそれなりの説得力を伴って描かれていれば、そういうモンなんだと、意識を一体化できる。

描かれた世界観を共有できた上で、主人公達の心の葛藤を楽しむ。映像自体を楽しむ事も多いけれど、作品としては主人公達の心の葛藤が深いほど記憶に残る。逆にショッキングな映像ばかりが続くとなんだか疲れてしまう。

最近はストーリー以外に、CGというかVFXの「使われ方」に興味を引かれている。SF系の映画に限ったものではなくなったので、どんな映画にも使われていると言っても良いかもしれない。

私は、「2001年宇宙の旅」と「スターウォーズ」と「未知との遭遇」をほぼ同時期に見た世代だが、きっとこれらの作品は、それまでの映画文化の集大成的な部分を持った作品群で、それ以降の映画は、ことCGやVFXに関しては異なる流れが生まれてくる時期だったような気がする。

それまでは、別カットで撮られた映像の合成編集的な意味が大きかったのが、完全にコンピュータで作られた映像(CG)が主役にのし上がっていく時代。そして、CGの質が映画の質と誤解されかねない時代を経て、今はやっと監督の一本の馴染んだ「筆」になってきた。

映画という一つの作品の中で、CGだけが変に浮き立つのではなく、全体の中の一部分として機能するような映像に仕上げる。CGらしさをなくしたCGの使い方と言っても良い。でしゃばらず、本当に効果的に配置される映像の一つの種類、という程度にまで、こなれて来た。

映画を見ていて、本当に上手くピンポイントで素敵な映像を使われると、心に焼きつく。名優達の名演技のように、忘れられないシーンとして残る。

映画がCGという新たな表現力を手に入れてそれを使いこなせるようになってきた時間軸を想いながら、Webの世界を考える。Webは個人や企業に与えられた表現力の一つだと思えるからだ。

Web以前には、個人は自分の想いを不特定多数に伝える術を持っていなかった。それが、自分の書評であれ、育児日記であれ、おでん食べ歩き紀行であれ、自由に情報発信でき、誰かのそれらを受け取ることができるようになった。

映画がCGに振り回されたように、個人もWeb(ネットといった方がよいかもしれないが)の力に翻弄される時期を経る。Webに浸る者、逃げ込む者、閉じ篭る者、依存する者。実世界とのバランスを欠いた色んな状態が見え隠れする。それはまるで、映画本編とCGの箇所がアンバランスな映画のような状態のようだ。

そして、事態はまだまだ悪化の一途を辿っているのかもしれない。序章に過ぎない気さえする。個々人の中で、「仮想」と呼ばれるWebの世界を過大評価する力は益々大きくなっているのかもしれない。

しかし、映画がそのアンバランスな状態から抜け出したように、Webを自分の生活の一部分として受け入れ活用できている世代も増えてきているようだ。キチンとバランスをとりながら、良い意味での情報の「良いとこ取り」して身軽に生きていける人達。

やっと、Webが特異なものから日常化したものへ変わろうとしているのも感じる。無い事が想像できない必需の世界に入ってきてもいる。暗い事件の影が余りに大きいので霞んでしまうが、大きな明るい可能性だって見えている。

先日も見知らぬ女の子を救おうと、Webが輪を広げた。悪意だけではない、善意もキチンと伝えていける時代になって来た。善意を形にする場にすらなって来た。もはや仮想という別世界があるわけじゃない、現実とリンクしている。
・あみちゃんを救う会 http://ami.heart.mepage.jp/

さて、企業はどうだろう。Webという表現力を手にして何が変わってきているのか。まだその力をソシャクできないでいるようにも見える。

自社製品や自社情報を直接手渡せるパイプを手に入れながら、形だけのWebに囚われすぎて居ないだろうか。もっとうまく使えば、もっと効果的なのに、もう一歩踏み出せずに立ち止まっているように見える企業がまだ目立つ。

映画がCGやVFXなしに効果的な興行を残せなくなったように、企業もWebなしには「形」すら成していないと見られる風潮を感じる。家に玄関があるように、企業にWebは付き物で、その出来次第で嬉しい風評が広がっていく時代。

部署間の風通しの良し悪しも、企業内コミュニケーションの深さも、Webは如実に表してくれる。エンドユーザのことよりも、自分達が作り易いことを優先する姿勢など、白日の下にさらしているようなものだ。

なのに、Web屋が集ると、本質的な苦労話より、その手の苦労話に花が咲く。エンドユーザの利便性を達成する苦労話よりも、関係者間の仲裁話が多くなる。CMの作られたブランド像よりも、もっと怖い悪評が流布する可能性すら見えているのに。

CGが見た目の主役から、優れた脇役になるまで十年ほどかかったろうか。Webはあと何年で真価を問い直されて活用されていくのだろうか。CGはその十年で革新的な技術進歩を成してきた。Web屋ももっと賢くならねばならないのだろう。それは従来のやり方をキチンと見直し効率的なことも考え始めることから始まるような気がする。

CGの名シーンが記憶に残るように、Webの画面で「旨いなぁ~」と唸らせる広告や製品紹介も可能だ。折りしも、四大広告メディアの一つ「ラジオ」での広告費が、ついにネットのそれに抜かされた。Webを使う側の知恵が益々必要とされる時代に入ってきた。

映画がCGの効果をキチンと考えて作られ始めたのと同じように、企業も必須のツールとしてWebのあり方を見直して、戦略的IT投資を始める時代。単なるお化粧直しの繰り返される場からの脱却。エンドユーザに惜しみなく提供することから、喝采(ブランド)を勝ち得る時代。それは企業もエンドユーザも嬉しい時代のはずだ。そんな時代まで、あと数歩。

以上。/mitsui