AD | all

24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[104] かけがえのないもの

妻と一緒に買い物に行く。夕飯はなにが良いかと問われて、何でも良いと答え、 妻の機嫌が悪くなる。食材を手に取りつつ、自分が何を作れるかを考える。こ れをあーしてこーしたら食べられるかな、と妻に聞く。さぁ、と答えられて、 妻がさっき不機嫌になった気持ちを理解する。

週末に仕事を持って帰らないことはないが、可能な限り、「家庭」内の生活を しようと頑張っている。たわいない会話も、ささいな衝突も、どれもひっくる めて自分の家庭なんだと考えようと努めている。

Web屋としての将来を考えたとき、仕事を終えたとき、自分に何が残るのかを 考えるようになった。そして、何が自分の一番大切なのかということも。究極 的な答えは、「家族」だ。それしかありえない。

家族の健康、家族の笑顔。文部省(今は「文科省」、念のため)的で嫌な言い 方だけれど、やっぱりこれしかない。でも、絵に描いたような、いかにも幸せ というスタイルではないらしい。

私は子供達を愛していると公言できるけれど、既に私の身長を追い抜いた息子 と同じ空間にいるとウットウしくて仕方がない。愛は愛だが、昔テレビで見た ようなバラ色で暖かい家庭などとは程遠い。でも、大切であることに違いはな い。

我家は、子供が二人。2006年春には、小学生がいなくなる。二人とも中学に通 う。昔、この子達が生まれた頃に蒔いた種が、漸く芽を出しつつある。今思え ば、良い種も悪いた種も蒔いてきた。子供達の生活を見つめながら、自分達の してきたことを思い知らされる日々が現れてきている。

日常的にパソコンを使っているので、その力みは子供達にはなさそうだ。特に 教えた訳でもないのに、何かあるとGoogleで調べていたりする。先日もmixiで 教えてもらった「やわらか戦線異状なし」を見せると、数日後にはピアノで音を拾い、 兄妹で合唱し、教室で広めていたりする。

食卓も「継承」の実践の場だ。貧乏性の私達は賞味期限を見つつ、○割引きの 商品をよく買ってくる。すると、やはり子供達に買い物を頼むと、これ安かっ たよと得意げに割引商品を買ってくる。食卓にラベル付きのものが複数並ぶと、 気持ちは複雑だが、よく伝わっているなと感心もする。

日頃から、嫌味っぽい言い方で教育指導をしている成果も現れてきた。先日、 妻が友人から「あるバラの花を想うと思い出す」と言われたと少し嬉しそうに 話したら、娘はすかさず「トゲがあるから?」と聞き返してきた。鋭い突っ込 みに、少したじろいでしまう。

言葉で遊ぶことも随分と時間をかけて教えてきたつもりだ。まだまだ気の利い た台詞がポンポン出てくるところまでは行かないが、時折微笑ましい会話が成 立したり、見事な揚げ足を取られたりする。既に、教える側と教わる側という 固定の立場はない、互いに教え教わる関係になりつつある。

言葉遊びといえば、昨年のクリスマスは久々に「サンタさんごっこ」もした。 PSPとDSを欲しいと子供達がねだって来るので、サンタさんに手紙を書けばと 誘う。但し、サンタさんは北欧の人だから、せめて英語じゃないと伝わらない と付け加える。

英語の嫌いな息子への誘い水だ。必死で欲しいものと理由を英語で書く。その 紙をツリーにぶら下げておく。すると翌朝サンタから返事が来ている。更なる 質問があり、また頭を掻きながら息子は書く。娘も面白がって参加してくる。

誰がサンタかは誰も口にしない。そういう暗黙のルールを守ることができた。 イブの前日私が量販店からどの機種なのかを電話で聞いた時も、笑いながらも 正体探しはしなかった。○○とサンタさんに伝えておいて、と大笑いしてる。

そしてイブの朝、「サンタさんから電話があって開けてもよい」ってさ、と伝 える(正式には25日の朝に開ける慣わしらしい)。大歓声。電話などかかって きていないことは狭い家なので誰もが知っている。屈託のない笑顔を見ながら、 ちょっと高等なゲームを楽しめるようになってきたのが誇らしい。

でも、誇らしいことばかりがある訳ではない。こうしたところに書けるのが、 笑えるようなことだけだということだ。書けない話が何倍も横たわっている。 私が手を抜いてきた部分、悪癖もちゃんと目に見えて継承されている。生活と いう場の怖さを思い知る。

仕事のように、タスク表を掲げて、ガントチャートで進捗管理などできる話で はない。しかも十年以上かけて漸く目に見えるのだ。自分が何を蒔いたかを忘 れた頃に、まざまざと知らされる。家庭とは、重く怖い場所だ。

けれど、時々思い出す。たわいない会話で妻が笑う時、この人を喜ばすために 頑張ってた出会いの頃を。あんなに一生懸命プレゼントを選び、ドキドキしな がら出会ってた頃を。そして何も色褪せていないことも感じる。

会社でこんな話をするのを余り聞かない。男たるもの家庭のことをペラペラ喋 るべからず、みたいな雰囲気があるのだろうか。でも、仕事でどんなにでかい ことをやり遂げても、子供の笑顔には敵わない部分が絶対にある。

アクセスログが跳ね上がるような達成感はないけれど、つまんない役でも自分 の子供が学芸会でちゃんと台詞を言えた時のドキドキハラハラは、どっちが上 とかではなく、絶対値として大きく胸に残るものだ。

皆が、自分の大切にしているものを、時々は話せばいいのだと思う。一番大事 なものがなんであるのか、話しながら気が付かされることもある。話している うちに、もっと関わらなきゃと発奮するときもある。

Web屋がどんな子育てをしているのかには、とても興味がある。Web屋の本質は、 コミュニケーションだと思うから。コムツカシイ話題をどう伝えるのか、文化 の違う会社とユーザをどうつなげるのか。こここそが腕の見せ所だ。

そうしたことを本職にしている人達が、文化的断絶状態とも言える若い世代に どうリーチできるのか。残業の連続で、平日は子供の起きてる顔を見ない日が 続いている自分が、「ひさしぶり」とか挨拶しあう親子が、この少子化に対し て何ができるのか、考えただけでもワクワクする。

そしてWeb制作と子育てには、もう一つ接点がある。Web制作に火がつく(残業 が増える)のは、基本的に要求仕様が変更されるからだ。そしてそれは、私が 思うに、各種の担当者がリリース近くになってから本気になるからだろう。

プロジェクトが始まった時に、何ができるのか、どこまで口出しをして良いの か分からない各種の担当者が、誤解と衝突を繰り返す中で、欲が出てくる。そ うして、ここをもっと良くしたい、ここをもっとアピールしたいと言い始める。

開発末期になって、皆が本気になるとも言える。でもそこからではできること に限界がある。予算を増やしたり、期間を延長したりしない限り、行き着けな い場所がある。

たいていの場合、「あー最初から全力でやっていれば良かった」という結論に 至る。そう、子育てと全く同じ。大きくなった子供達を見ながらつくづく思う。 手遅れにはしたくない。してはならない。だから、二兎追おう。仕事も家庭も。

以上。/mitsui

ps.今週末は風邪でダウン。当然家族に負担がかかる。かけながら、これを書く。 自己矛盾。頭上から「大丈夫?」とか息子に声をかけられながら、再度ムスッ。