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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[110] 街路

職場が変わったので、最近電車に乗っている時間が増えた。なかなか疲れが抜 けない働き方をしているので、ぼーっと外や人を眺めて時間をやり過ごす。

ここ数年、ネットの中の自分に響く部分だけに没頭して来た。それで良いと思 いつつ、孤立した流れに入って行くことを、どこか恐れていた。自分のネット の使い方が、一般性を失なっては、多分ネットコンサル的な働きはできなくな る。自分の使い方を絶対視するなら、それは押し売りだから。

街路を行き来する人達を眺めながら、何か置き忘れてきたものがあるような思 いにさせられる。そうか、こういう生活が基盤なんだという、今更気が付いた のかと言われそうなこと。

電車の中。ケータイに没頭する人たち。ゲームをする人、メールを読み書きす る人。声に出してキャーキャー騒ぐ女子学生。ヘッドホンから耳に過度な負担 をかけつつ、回りにも迷惑を垂れ流す若者。女性の裸身を外側に向けて、ス ポーツ新聞に没頭する紳士たち。

画一的に何が正しいとか言い出す気はしない。昔からある風景、見慣れた情景、 当たり前の生活。雑然としつつも、何かしら秩序がある。多少の不自然さをは らみつつ、それでもどこか安心感のある空気。

どれも、もはやネットに完全に無関係ではないけれど、PC系Webとは距離があ りそうだ。自分がメインにしてきた分野の小ささを思い知る。どんな素晴らし いサイトや、革新的なユーザインターフェース(UI)を作っても、彼らが目を 輝かせて話すことはない話題なのだろう。

駅の売店で、誰かが何かを買っている。顔見知りなんだろうか、会釈もするし、 笑顔も見える。毎日通る、この場所で、多少の会話と共に、購買と息抜きが同 時に進められている。

コムツカシく状況分析をするのは悪い職業病だ。でも、羨ましい。モノを売る 際に、あんな風にできたなら。検索性能やユーザビリティとか、関係ない。少 し年いったオバちゃんの笑顔に、勝てると思えない要素がある。

ビジュアル的視点から、売店のオバちゃんをそのままWebのUIにする時代は多 分来ないだろう。別に美人でないと言っている訳ではない。電車の発車間際の きわどいタイミングでも、商品とお金とお釣りを手渡してくれる安心感に勝る 機能はない。でもそれが伝わるUIをデザインできると思えない。今は。

東京の外側をぐるっと囲むような周回コースなので、気分は遠足の方々もいる。 電車から山や川が見える。写真でもモニター越しでもない、ホンモノの風景の 中で、目を輝かせている幼児と、腰をかがめて家庭サービスしているお父さん もいる。

興奮して走り出しそうな子供を必死で制するお父さんと、嬉しそうにそれを見 つめる荷物係のお母さん。十年前の我家とそっくり。電車に乗っても、子供独 特の甲高い声が、嬉しさとケタタマシさを放ってる。

少子化対策に、お金をばら撒くことが解答でない事を更に思う。お金があるか ら子育てするのではない。したくなるのでもない。子供と一緒にいて楽しいと 思えることが、モティベーションなんだろう。

そうした楽しさ自体を提供することはできないかもしれないけれど、本来の楽 しさに専念しやすくすることは、情報のパイプがお手伝いできるかもしれない。

どこで乗り換えれば楽なのか、何両目が乗り次が楽なのか、どの時間帯が適切 か、何を予め用意しておけば便利なのか。今よりもっと気軽に調べられたら、 どれくらい喜んでくれるだろうか。

ケータイをめぐる風景も変わってきた。相変わらず、街中で大声で歩きながら 話す輩や、職場ですらウロウロしてしか話すことができない方々、駅の自動改 札の手前で突然立ち止まって電話しだす人達。相変わらず迷惑な場面は多いけ れど、街行く人たちの表情はこの十年で大きく変わっている。

無表情に職場に向かう朝のラッシュアワーですら、どことなく昔とは違ってい る気がする。明るい笑顔の人たちが増えた。まるで自宅でくつろいでいるかの ような話し方と笑顔が、街のいたるところで見られるようになった。ケータイ の存在は大きい。

暗い無表情が国民性であるかのように言われていたのが嘘のようだ。皆な、こ んなにもお話したかったのか、と驚く。そして、どこでもコミュニケーション できることが、何をもたらすのか預言されているかのようにも思う。

ネットが一般化してき始めて十年。少し前までは、今までできなかったことを、 Webで実現することに注力してきた。今まで特別な場所からしかアクセスが許 されなかったことを、Webはその時間と空間において開放してきた。

でも、ケータイが短期間に達成してきたように、多分気持ちを伝えることが主 たる機能に変わっていくんだろう。できなかったことを、できるようにするだ けではない。我慢してやってきたことを、気持ちよく終わらせることができる ようにする。

眩しい春の陽の光の中、色々な表情の方々を見ながら、まだまだやれることが 山済みなのを実感する。そして、ネットがその技術力の部分から脚光を浴びて きた時代は終わり、着実なインフラとしての使命を帯びてきていることも、実 感する。

技術が主役だった時代から、人が主役の時代へ。「あったら便利」な時代から、 「なくては辛い」時代へ。この基盤を守りたい、良くしたい。裏方としての 「やり甲斐」が膨らんでくる。

以上。/mitsui

ps.転職、怒涛の一週間でした。疲れました。