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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[115] (そうは)思ってないでしょ?

友人や他人が本当のところどんな風に感じているのかを聞き出すのは難しい。 ストレートに質問したとしても、答えがストレートに返ってくるとは限らない。

さすがに40年強生きてくると、立場上私の職位が上となる関係が増えてくる。 具体的には、私が勤怠管理をしてたりする人たちとチームを組むことも多い。 そんな上司にあたる私のアイデアの評価を聞くのが難しい。

私の作ってきたデザインやアイデアに対して、「部下」にあたる人たちに質問 するとき、いつからか、返される言葉ではなく、相手の顔色を観るようになっ てきている。人は疑問を抱いたときの反応を、本当に気に入ったときの顔色と 同じにはできない。

特にWeb屋は感情を隠すのが下手な気がする。自分も含めて。Webという情報共 有の場を、恐らくは普通の人の数倍のレベルで見慣れているWeb職人にとって、 その職業上のアイデアやデザインに関しての質問は、自分の立ち位置というか プライドというか、そんな領域に踏み込む質問になるんだろう。

たぶん眉が微妙に動くとか、言葉が返ってくるまでの応答時間とか、言葉が少 し低くなるとか、そんな変化なのだと思う。職業的センスがまず頭の中を駆け 巡り判断を下す。そして、質問者が誰なのかを思い出し、どう答えるのが社会 的なマナーかを考える。そんな感じのプロセスが受け答えの中に潜んでる。

それを自分もやっているからか、かなりの確度で受け取れている気がする。だ から、私が感想を求めて、「良いですね」とか返事をされても、時折聞き返す。 「(そうは)思ってないでしょ?」。

■質問する相手をそれなりに選ぶ

仕事をしていて感じることは、リーダーシップを取るタイプに少なくとも二種 類あるということ。一つは「自分のアイデア」が支持されることに快感を感じ るタイプで、他方は本当に「良いモノ」を世に出すことに快感を感じるタイプ。 その出所が自分である必要はないと思える人。

私は明らかに後者だ。たぶん自分の出すアイデアの質に自信がないことの裏返 しでもある。だから、チームメイトの感性を取り込もうとする。そのためには 正確な感想が必須だ。ご機嫌伺いはいらない。

自分のアイデアが否定されるのは、余り気持ちの良いものではない。けれど、 RidualのようなツールやWebサイトを構築してしまった後に問題が発覚する方 が余程手痛い。デザインやアイデアのよくない火種は早いうちに消すに限る。

でも分析はする。何故拒否されたか。デザインが低品質だからか、アイデアが アバウトだからか、相手に専門知識がないからか、相手と趣味が異なるからか。 様々な理由が絡んでいる場合も多いけれど、得られた「評価」がどこまで汎用 的か、どの程度他の人にも当てはまるのかを中心に悩む。

そして、明確に「NO」と言われても、翌日「やっぱり、この方法で行くことに する」と説明する時もある。その時は相手が自分の意見をつぶされた形になる。 言葉は慎重に選ぶし、何故そう結論したかも論理的に話す努力をする。

それもあって、質問する相手をもそれなりに選ぶ。たとえば、私の妻はmailを ようやく始めたようなレベルなので、HTMLやXMLとか言っても、説明している だけでこちらが疲れてしまう。素人さんがどう行動するのかを、聞きたい「場 面」に限定して、こんな時どうするのかと聞く。で、5分状況説明をしても理 解してもらえなかったら、「聞いた私が悪かった」といって退散する。

職場でも、やはり相手を選ぶ。あまり予算がない仕事中心だったので、同じス キルの人はチーム内には複数いないのが通例だ。グラフィックデザインに長け ている人、CSSに長けている人、プログラミングに長けている人。相手の専門分 野を足場に、この人ならどう感じるだろうか考えた上で、話しかけるか決める。

話しかける場合もあれば、自分で抱え込んで、悶々としている時もある。人と 相談してもしょうがない話題もある。Ridualに関して言えば、その目的とする 部分に関しての話がそこだ。

マーケット的な部分も含めた場合、流れ作業のようにゴリゴリとコードを生産 する会社ではなかったので、そうした現場の感覚を有する人がいない。苦労点 が見えないなら、改善策が浮かぶ訳もない。

Ridualの根幹である、「なんのためにこのツールを作るのか」は、私だけの課 題だった。そうした議題は、会社のざわめきの中で考えるより、子供達を学校 に送り出した後の家のキッチンの方が効率的だった。

質問するということも含めて、人と議題や疑問を共有するには、相手も場所も 考えるようにもなる。話し相手という意味では、面白い傾向も見えてくる。 CSSの専門家は、Ridualプロジェクトからは二人輩出できたのだが、その二人 ともが、画面レイアウトに少しでも関係する質問をすると、その情報の「粒度」 を聞き返す。「そこに表示したい情報は、"h1"ですか"h4"ですか」。

h1やh4は、HTML上の「見出し」部分の定義タグで、数字が小さいほど、上位を 意味する。だから、h1はページ全体を一言で表す見出しであり、h4はその遥か 下の小々見出し、という具合である。

PhotoshopやIllustratorで画面をデザインして、これをHTML化する、というワ ークフローの時には、こんな質問は返されなかった。情報の論理的な位置づけ が問題ではなく、見た目のレイアウトが中心に進められたからだ。コンテンツ とレイアウトが混在する時代と、それらを分離しようとする「波」との端境期 に、我々の時代があることを嫌が上にも意識する。

■キャッチボールが生む信頼感

以前、あるクラシック系のカルテットの方が話しているのを聴いたことがある。 「人の性格が楽器を選ぶのか、楽器が人を選ぶのか、楽器が人を変えるのか、 バイオリンを好む人の性格には類似点があり、フルートにも、バスにもそれが ある」。その場では、それぞれの楽器奏者がおどけて、音で自己紹介をした。

CSSが人を選ぶのか、人の性格がビットマップを選ぶのか、XMLが人を変えるの か。それとも、Webが仕事上のコミュニケーションまで変えるのか。

そういえば、アイデアやデザインを聞くだけではなかった。自分が感動したり、 憤慨したWebサイトを見せて、「これどうよ?」という話も重ねる。自分の意 見を先に示すときもあれば、相手の反応が返ってくるまで待つ時もある。

チームとして互いの感性の原点みたいなもののリトマス試験紙的なサイトに出 会った時には必ずそういう会話をした。それが安心して作業をお願いできる地 盤になっていた。これだけ伝えれば、良いものを出してくれる。そんな信頼感。

そんなキャッチボールを繰り返す。だから、私も同様に見透かされる。チーム メイトが出してきたアイデアやデザインに、「OK」と言っても、目を直視され て、数秒後に聞き返される。「(良いと)思ってないでしょ?」。

その作業にどれだけの時間をかけてくれたかも知っているから、GOサインを出 したりしているのに、修正作業に取り掛かってくれる。「あ、いや、そういう 訳じゃ..」とか私が口ごもっている間に。でも引き止めることはしない。本人 が納得する仕事をすることこそが、強いチームを作る「要」だから。

更に嬉しいこともある。そうして互いに修正したページを、数日後その人が見 つめていることがあること。何してるの、と聞くと、「これ、良いですね」。 製作中の勢いの中ではない。少し時間の経過した静けさの中でも、良さが衰弱 しない。お客様に届けられる品質の証だ。

もう誰の発案かなんて関係ない。CSSコーディング等はその人がしてくれてい るけれど、目の前の画面はチームの作品だ。自分達自身が納得して「形」にで きていること自体に価値がある。自惚れと紙一重の領域だけど、エンドユーザ ーに褒められたときの次に嬉しい瞬間。そして誓う、次もいい仕事しよう、と。

以上。/mitsui

「(そう)思ってないでしょ?」、と聞き合える関係ができること。これこそ が、「Webマネージメント2.0」かも。