AD | all

24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[117] 口癖

Webの仕事をしながら、私の口から出る言葉のパターンは、比較的少ない方だ と思う。大抵同じような言葉を繰り返す。語彙が少ない証拠だ。いつもは私と 近距離で仕事をする人しか聞けない言葉を、再考する。

モゥイッカイ(もぅ、一回 / 大抵は人差し指を立てて)

質問の意味や意図を汲みきれなかった時に多用する。画面デザイン時や画面遷 移を、チーム内で精査している時に口にする。自分やチームで作り上げた画面 は、基本的には頭の中に入っている。それをユーザーの立場で考え直す時だ。

こういう状況のユーザが訪れたなら、どうか。自分の中の声や、チームメイト の質問に対して、大抵は目を閉じて考える。このボタンは押し易いか、あらぬ 方向に視点がそれないか。自席でも会議中でも、指で空中のボタンを押しなが ら、考える。ユーザ像も変える。お爺さんになったり、主婦になったり。

複雑な動きを作りこんだ場合や、データのやり取りが複雑に絡まっている場合 には、一回で状況把握ができない。だから聞く。「モゥイッカイ」。まだ馴れ ない仲の時は、「もう一回言って」とか言うけれど、親しくなると体言止め。

そして親しくなったチームメイトは、さっきと違った言葉で説明してくれる。 同じ言葉をオウム返しすることは稀だ。さっきの言葉で私が理解できないなら、 違う表現で伝える努力をしてくれる。こちらも頑張って言っていることを理解 しようとする。何が問題と思ったかが重要。そこに落とし穴がある。

職位とか性別とか全然関係ない。ただ「疑問」があり、それにちゃんと「答え」 が用意できるかに集中する時間。もしかしたら、今まで頑張ってきた設計を根 本的に修正する可能性だってある、緊張感ある瞬間。

ブァッカジャナイ / ナンデコウスルカナァ

まだ子供が幼いときは、一応「汚い言葉」は避けてきた。でも最近は余り遠慮 しないようになりつつある。Web画面を見ながら、次に何をさせたいのか訳が 分からない時や、どう見てもクリックされることを拒否しているようなボタン に出会うと、ポロッと口から出る。「ブァッカジャナイ」。

粋のいいグラフィックを並べながら、カビの生えた言葉を重ねたり、次画面に くるべき情報が余りに陳腐だったり、行きたい情報に早く辿り着かせない回り くどい画面遷移に出会うと、「ナンデコウスルカナァ」。

何故こんな風に作るのか。何故こんな風に考えるのか。何故こんな風に手を抜 くのか。何故こんな風に自己満足に浸れるのか。何故ここで考えるのを止めて しまうのか。本当にこれが最適解なのか。一瞬で眼前に広がる「画面」から、 色んなことを受け取り考える。

そして判断する。「馬鹿」という不適切な言葉を敢えて用いるのは、判断を明 確にしようと思っているからでもある。最近は中途半端な判断をすることは止 めようと、意識的にしている。恐らく私がWebサイトを自分の目で見て評価を 下していける時間は余り長くない。せいぜい10!)15年というところか。

ならば、ばっさり切り捨てて良いだろう、と。良いものだけを「良い」と言お う、悪いものには「悪い」と言おう、と。もちろんはっきりと言えない状況も あるけれど、せめて自席では気兼ねなく判断したい。隣から「またやってる」 と、クスクスと笑われても。

そうした不適切な言葉を、ブツブツと日に何度も口にする。そして、そうした 言葉を口にすることで、自分の判断を耳からもう一度聞き、記憶に刻み付ける。 自分が同じようなことをやったとき、そんな自分の叱責の言葉も思い出す。

本気で怒ったほうが記憶には残る。だから本気で怒る。せっかくの素材を台無 しにする料理人を許せないのと同じ道理だ。真剣に怒りつつ、それでもその判 断基準を疑う。だからオーヴァーに怒る。汚い言葉を口にする。

独りよがりに怒っているのは醜い。同じ判断基準で自分も見られる。それを自 分でも実践する。それは子育てから学んだのかもしれない。子供達を叱りなが ら、自分が叱られている気分になったり、私に叱る資格はないと思ったり何度 もしたから。

そして、やっぱり自分も同じような、「馬鹿な」ツクリをしてしまう。その時 に赤面する。叱責した相手(画面)が微かに頭に浮かぶ。ごめんなさい、と言 葉も浮かぶ。でも、その時も馬鹿だと再度思えたなら、やっぱりそのツクリは 捨てる。

コレクライ(曖昧なサイズ指示)

昔から、画面上でピクセル単位でイメージの大きさを指示しない。画像イメー ジのサイズを聞かれたとき、答え方は決まっていた。親指と人差し指を広げて、 「....コレクライ」。何ピクセルという指示を意図的に止めた。なんとなく、 数字を指定する方が不正確な気がするから。

サイズは、全体的なバランスで決まる。その全体像を私自身が掴み切っていな いとき、数字の指定は極力避けた。変な情報をチームメイトに与えたくないか ら。あるいは、それで作れば良いんだと思って欲しくないから。

私はグラフィックに関しては、基本的な方向性を示すだけ。まぁ大抵がAdobe Illustratorで描くので、数値で指定しているも同じなんだけれど、大き目の キャンバスに好きなように描いて、それを縮小するのが常なので、ページのサ イズに配慮しない。だからそのまんまでは使えない。

写真を張り込もうが、凝ったベクトル画像を組み合わせようと、自分では、ま だまだワイヤーフレームのつもりでいる。それをデザイン担当者がいれば、 練ってもらう。そしてその人の味を足してもらう。

方向性を示しただけのワイヤーフレームが、良い味付けをしてもらえて手元に 戻ってきたとき、なんだか良い気分になる。「オカエリ」という気分。「良い 旅してきたね」という気分。付け加えられた隠し味を味わいながら、チーム内 のコンセンサスが取れていることを確認したり、「そう来るかぁ」とワクワク したり。

最初に設計したモノを忠実に実装していく「ウォーターフォール型開発」が、 時代にそぐわないものだとして何度も話をしている。でも、いざ作り手に回っ たとき、その方が楽で効率的に決まっている。誰かが決めて、誰かが作る。で もそれじゃ、やっぱり駄目だ。良いモノが作れない。Webというコミュニケー ションの場作りには、やっぱりチームの活気が必要だ。あまり上手い方法では ないのかもしれないし、実際上手くまわせなかったことも多いけれど、こんな 会話の先に、少し普通とは違った連帯感が作れてきた気がする。

以上。/mitsui

ちょっと落ち込むと決まって観る映画がある、ディープインパクト。長いので、 二度目のチャレンジ決定の「We don't.」と言うシーン、二度目のチャレンジ 直前の家族との別れ、最後の10分ほどの三箇所。最近映画館行ってないなぁ。