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[124] 冥王星2.0

冥王星(Pluto)が「格下げ」になる。国際天文学連合(IAU)が長く続いた議論に終止符を打った。発見された1930年以来「惑星」の地位にあった冥王星は、今後「矮(わい)惑星」(dwarf planet)という新分類に入れられる。
< http://journal.mycom.co.jp/news/2006/08/25/101.html >

見たこともなく、月よりも小さいことも今回知った程度の「仲」だけど、何か心の中で揺れている。冥王星そのものが変わる訳ではない。実体から遠く離れた地球での呼び名についてだけの話なのに、どことなく、心の中が騒がしい。

●冥王星は境界線という意識

私と冥王星との最初の接点は、宇宙戦艦ヤマト。地球を飛び出したヤマトが、いよいよ我らの太陽系を離れる瞬間、というシーン。映像の記憶も殆どないけれど、ここからは未知の世界、という境界線という意識を乗員全員が感じていたような覚えがある。太陽(地球)の方向に敬礼をしたかもしれない。

何だか分からないけれど、いよいよだな、と。14万8千光年彼方のイスカンダル星よりも、私が知っている惑星群を外れる、という想い。別に太陽系内であるから「内海」の様に穏やかである訳もない。ただ、知っているところから、知らない何処かへいくことに、荒唐無稽さを笑うよりも、ワクワクした。

次の出会いも、松本零士系。延々続くメーターの先にある未来。銀河鉄道999。メーテルのお墓(?)。続いては、クラークの「宇宙のランデヴー」、冥妃星。そして、星野宣之。「2001夜物語」の反物質星、魔王星(ルシファー)。冥王星が「身内」最後のラインという意識のもとで、様々なドラマに魅せられた。

「冥王星」が、太陽系の境界線であるということから、「蒼天航路」の台詞も思い出す。万里の長城に立つ曹操曰く、「これは確かに始皇帝の力の巨大さを示すものではあるが、同時に自分の支配が及ぶ空間はここが限界なのだと認めた証だ」、「大地に境界を引くこの長城、なんと壮大なる愚かしさよ。俺ならここに立てばどこまでも大地を駆けて征(ゆ)きたくなる」。

境界線が、はっきりしている方が、人は何かと安心する。議論の余地がなくなり、すっきりする。反面、壁となり風通しを悪くする場合もある。今回、「惑星」は8個になったが、太陽系の境は少し緩く定義されたように見える。冥王星外の「2003 UB313」まで矮惑星となった訳だから、太陽系は少し広くなったことになる(たぶん)。領域が広がったにも関わらず誰からも文句が出ないのは、宇宙ならではか。

●やっぱり不思議な「惑星」冥王星

ドラマと言えば、「惑星」と定められた時のドラマも紹介されている。発見当時から、「惑星」と呼んで良いかの議論があったようで、発見者が米国人だから現状に落ち着いていたとか。フェアというか、理論や正確さが優先される世界に見える世界でも、そんな覇権争いがあったのかと、少し可笑しい。

「惑星」になった時には色々あったにせよ、今回の決定に際しては、それなりの「愛着」が無視できないものになっていたみたい。さすがに70年言われ続けた事柄には、重みが生まれる。それが無視できなかった過程が、また面白い。

市町村合併で故郷の名前が変わるというのも、やっかない問題だけれど、昔馴染んだ知識の定義が変わるのも不思議な思いがする。調査が進むにつれ変化する日本古代史のあたりは、まぁしょうがないにしても、円周率が「ほぼ3」とか、実生活には全く関係ないけれど、「いい加減にしろ」と思ったりする。

でも今回の決定は、科学的定義の問題だ。他との整合性を合わせるためのもの。今後は、「スイキンチカモクドテンカイメイ」とは言えなくなる。きっと、孫を膝に抱く頃に、そんな語呂合わせを口にしても、「何、そのメイって?」と言われるんだろう。

今回の定義変更は、冥王星よりも大きな星が見つかっていることなどによる、混乱が背景にある。それらが「惑星」になれないのなら、冥王星の地位に触れざるを得ない。なんだか、有能な若手と古株などに置き換えると、少し笑えない話に見える。天文界はかなりマシな方かもしれない(笑)。

それにしても、70年も前、(少し)大きな星々をさしおいて、冥王星を発見したのも不思議だ。順当に大きい順に発見すれば、こんな話にはならなかったのかもしれない。しかしこうなったからこそ注目も集める。やっぱり不思議だ。

おかげで、組曲「惑星」に新楽章「冥王星」を組み込んだCDが早くも幻のCDになる可能性が出るわ、ディズニーの小人(dwarf)がプルートゥ(Pluto)を仲間に入れると声明をだしたり、教科書業界が焦ったり、中々騒がしい。

そんな喧騒が聞こえる訳もなく、冥王星は回っている。そして、そんな議論が起こることも予想せずに、「惑星:冥王星」を目指して飛んでいる探査機もある。2006年1月に打ち上げられた、NASAの「ニューホライズンズ」。9年後に、「矮惑星:冥王星」に接近することになる。

目的地がなくなった訳ではない。調査する項目が増減する訳でもない。やることに何の変化もない。粛々と9年間を飛び続け、決められたことを成す。そして、時間差のある中、実験データを地球に送信する。全く予定通り。でも何か意味が変わるのかもしれない。呼び名のもつ「魔力」か。

●2.0の呼び名のおかげで注目度が高まったWeb

実体が変わらないのに、呼び名のおかげで注目されることは、よくあることだ。そう、我らが「Web 2.0」。呼び名のおかげで、Webへの注目度が高まった。ある意味嬉しく、ある意味胡散臭い。コミュニケーションを中心軸にする立場なら、何を今更という感も強い。

「2.0」という一種厳格なナンバリングをしておきながら、実態はかなり曖昧だ。様々な可能性の含みを持たせている。今は未来を限定しない、でも過去とは違う状況にあるんだと、曖昧な境界線が示されている。しかし、その言葉の響きには、先に進もうという意思が感じられる。そこには強く共感する。

ニューホライズンズにかかわるジョンズホプキンズ大のウィリアム・ブレア博士は言う、「冥王星は昨日も今日も同じだし、ずっとそうだった」。そして、Webに深く関わる誰もが言うだろう、「Webは昨日も今日も同じだし、変化し続ける。これまでもそうだし、これからもそうだ」。

名前は実体があってこそ付けられる。Web 2.0の動きは、既に存在したが故に、そんな名前が付けられた。単なる旗印ではない。そして、今回は特定の技術とかではなく、「変化」そのものに名前がつけられたようにすら感じる。考えるに、Webらしい。

でも、呼び名が変わろうが、何と呼ぼうと、やることもやるべきことも変わらない。自分で境界線と定めてきたものを、もう一度見直してみるのも一興か。

次回今期最終回!

以上。/mitsui

ps. 最近IM(InputMethod:日本語変換)に嫌気がさしている。なんだかワザとではないかという程、誤変換が続く。いすかんだる- >椅子間ダル。あぁ、やはりコード変換だけしてては駄目です。文化も加味しないと。ATOKが恋しい。(Wikipediaのヤマト、メーテル、セーラームーン等、異様に充実!)