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[116] 指揮者、あるいはプロジェクトマネージャー(PM)

■「指揮者、すごかったね」

先日、教会で高齢者のグループの音楽奉仕があった。「音楽奉仕」とは、礼拝 中に歌や演奏をすることを指すが、「奉仕」と名が付くのは、その曲を聞かせ る対象が、人ではなく、「主(神)」であることを強調しているのだろう。

日本のクリスチャン人口は1%を切っていると言われているので、Web屋やデジ クリ読者の中でも、教会に足を踏み入れた人は少ないかもしれない。そもそも 日曜に休むことが何故か厳しい業種だし。

歌っていたのは、平均年齢60ちょい。背が曲がっている人もいるし、おそらく 専門的なトレーニングを積んできた人たちではない。そんな方々が約80名ほど。 曲が進むにつれて、引き込まれる。少しゾクッとくる。

最近の教会の音楽は、古臭いものが主流ではない。教派によって嗜好は大きく 分かれるが、自分達の意識を高める方向の選曲やアレンジに向かっていると思 う。映画「天使にラブソング」ほど、ドラマチックではないけれど、アップテ ンポや流行のゴスペルを積極的に取り入れているところは多い。

曲は約5分。家族でその礼拝に行っているのだけれど、終わってから我が家の 全員が言った台詞は「指揮者、すごかったね」。見つめる先が同じだった。

何にゾクッとさせられたのか。純粋な歌唱力ではないと思う。バックの演奏で もないだろう。聴く者を引き込んでいるのは、中央で私達には背を向けている 指揮者である。手や体全体を使って、歌い手や演奏者の「内なるもの」を引き 出している。それが凄い。

手を伸ばし、空中下方で歌い手達の「何か」を掴む。それをググッ持ち上げる。 歌い手達が肺を振り絞る、指揮者が高く手を上げる瞬間に声が重なり響き渡る。 自分達でもこんなに声が出るとは思っていなかったと言い合っているんじゃな いかと思うほど、指揮者が腕をこれでもかと伸ばすと、声も伸びる。

指揮者は歌わない。歌っているにしても、それが聴く者に届く訳ではない。実 際の「仕事」をしていないと言ってもいいのかもしれない。しかし、欠かすこ とのできない存在になっている。この指揮者が居なければ、こうはならない。 Webの仕事と重ねてその働きを見つめる。指揮者は、プロジェクトマネージャ ー(PM)、あるいはプロジェクトリーダー(PL)か。

■「PMは何をしてくれるんですか」

少し大きめの仕事を頼むと、PMやPLのコストが見積りの中に記される。大抵は 単価が普通のエンジニアより高い。しかし、やることがグレーだ。以前、閉口 したのは、大手システムインテグレータに発注したとき、何人もの大きそうな 肩書きの方々が、毎回の打ち合わせにゾロゾロとやって来られたときだ。

こちらは大きな会議室を押さえるのにも苦労して、さらに会議の間中、彼らは 何も話さない。本当に一言も。しかし、請求書の中には、その人たちの時間が 明記され、それが高額請求の根拠とされた。

さすがにクレームを出した。年齢的にも直感的にもWebに精通してるはずのな い人達で、会社に座らせていてもしょうがないから、舐めれる相手に「不良債 権処理」しているのがミエミエだった。居ても居なくても変化がない者を指揮 者とも、PMともPLとも指揮者とも呼ばない。それ以来、不信感がある。

先日も、見積もりの中に、ひときわ輝くPMの「一行」が加わっていた。その会 社とは既に数か月仕事をしているが、その指揮系統の甘さは既に火種であった。 出てくるべきものが、期日に届かない。詳細が詰められていない。事前準備な しに、打ち合わせに来る。プロジェクト全体に「しまり」がない。

だから聞いた。「PMは何をしてくれるんですか」。根本的な質問だ。案の定、 答えに詰まった。私も答えにくいし、考える質問だ。しかし、見積書の中に記 載するなら、何をする人かを答えられなきゃ変だ。

基本的には、情報整理と決断と育成なのだろう。通常は、ある程度の人数のプ ロジェクトになれば、リーダー格の人間が必要だとされる。ドラマのように善 悪がはっきり分かれるものばかりじゃない。正論が複数ある中から、一つに決 定するためには、代表を選んでおいた方が仕事は進む。

正しい決断のためには日頃の情報収集が決め手となる。メンバーがどんな作業 をして、クライアントが何を求めていて、トレンドはどっちに向いていて、過 去の経験から火元はどこにあるのか。その知識の量がPMの単価の高さの根拠だ。

メンバーの進捗管理には、一番お役所的にやるのなら、次の方法がある。メン バーに意見を言わせて、レポートを書かせて、議事録取らせて、エクセルやMS プロジェクトに入力して(させて)、幹部会に報告する。意見を言えば良いだ けなので、ある意味楽だが、その言葉に重みがないと存在自体に価値がない。

■Web開発におけるヒントは「体験」

メインフレームのようなガッチリ築き上げてきたプロジェクトなら、勘所があ って、「名監督」と呼ばれるPMたちは沢山居る。しかし、Webは少し違うよう だ。そもそも歴史がなさ過ぎる。過去の失敗症例も充実している訳ではない。 更に、ドキュメントもきちんと残っていないのが現状だろう。検証もできない。

そして大きな違いが、目標となる人物像の欠如だ。昔は、誰かを目標として、 五年後にはあーなろう、十年たったら誰々のようになろう、と漠然とした目標 があったような気がする。目標とする像もないから、「恥」の意識も育たない。

更にWeb屋の五年後は分からない。十年後に自分がどんな仕事をしているのか、 明確にヴィジョンを持っている方が稀だろう。そもそも業界自体が未だ十年ち ょっとしか経っていない。だから人材を育てる意識も低いし、自分がイケテル と自惚れもしやすい。

失敗に対する対応もアマアマだ。Webプロジェクトに自然発火はまずない。必 ず人災である。やるべき事をやるべき人がやらなかったか、やるべきでないこ とを誰かが言い出したりやり始めたため、火がつく。

責任の取りようも曖昧だ。責任の所在を明確にする作業も余りなされない。し かし、現実的には、誰かの尻拭いを誰かがする。それを「火消し」と呼ぶ。そ れが、いかほど馬鹿馬鹿しい作業か。誰かが最初からきちんとやっていれば、 山が消失する程には燃えていない。それが火消し役には、後追いで見ているか ら良く見える。

昔のプログラム開発部隊では、責任の取り方はある程度決まっていた。はっき り言ってしまえば「降格」である。PMの資格がなければ、PMの仕事はさせない。 当たり前の結論だ。人事上の降格ではない、プロジェクト進行上の降格である。

そして、それはチャンスとも言える。仕事の借りは仕事で返すしかない。PMを 降ろされた人は、PMの支援をする。それが一定水準を超えたなら、「復帰」で きる。それが現場の教育であり、そのループの速さがチームの強さを示す。

プログラム開発の現場が、組織論や人材育成のテーマになったりするのは、そ うした試行錯誤と知恵の蓄積がなされてきたことと無縁ではない。正しく開発 するにはどうすれば良いのかという問いは常に議論されている。逆にその辺り が、Webがエンジニアリングとの接点で軋む理由でもある。社長や看板デザイ ナーの威厳が絶対視されるような土壌は、エンジニア環境にはない。

そして、そんな「正しい開発」を見つめ続けてきた者だけが身につけられるモ ノがある。オーラと呼んでも良いのかもしれない。一言二言の言葉を聴くだけ で、「この人には敵わないな」と悟る。圧倒されている自分を感じる。

でも、そんな圧倒される雰囲気の中でする仕事は気持ちいい。決して楽ではな い。緊張感に溢れている。一日終わればヘトヘトになる。でも充実感が違う。 誰かの尻拭いではない。何かを築き上げているという喜びが底辺にある疲れ。

良い指揮者とは、きっとそんなオーラをまとっているんだろう。その指揮に合 わせる者達も、同じくらい疲れてつつも魅了されているんじゃないだろうか。 仕事にそんなドラマを想うのは青臭いことなのかもしれない。でも、それが蜃 気楼のように実在しないものだとは思わない。

Web開発におけるヒントは、「体験」という言葉かもしれないと思い始めてい る。「Windows XP」あたりから、「Experience(体験)」という言葉が繰り返 し連呼されている。正しいユーザー体験、ワクワクするユーザー体験。

でも、開発の現場だってそれは必要だ。「ワクワクする開発体験」。プロジェ クトに配属されてから、進行中も、リリース後までの総合体験。それを正しく 進められるのがこれからのPM像なのだろう。そして、それを実現しているチー ムが生き残る。

あの時、指揮者が握り締めて空中に押し上げ、解き放ったものは何なのだろう。 「魂」か「想い」か、それとも「力」か。あぁ、あんな仕事をし続けたい。

以上。/mitsui

クラシックには疎いけれど、指揮者の力に息を呑む演奏:宇宿允人の世界