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[156] Web2.0、恥ずかしがっている場合ではない

Web屋的なポジションの人に、「Web2.0」という言葉に対して肯定的な反応を余り見ない。それは「ヤコブ・ニールセン」に対する反応と似ている。正しくはある、でも心からその主張に乗るのは、少し抵抗がある or 気恥ずかしい。

▼Jakob Nielsen博士のAlertbox
http://www.usability.gr.jp/alertbox/
▼mitmix@Amazon - ヤコブ・ニールセンのAlertbox -そのデザイン、間違ってます- (RD Books)
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▼mitmix@Amazon - 新ウェブ・ユーザビリティ
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技術者というカテゴリーの中では、世の中はもはや「ポスト2.0」であり、2.5や3.0などと呼ぶかどうかは置いておいて、少なくとも当時よりは先に進んでいる。でも、ちょっと待て、と思うことがある。

先日、「今」を「ツー・ポイント・オー時代」と称して、その特性を説明する講演に参加した。正直って、分かり易いなぁと感じる。時代の切れ目というか、節目というかそれを巧く使っている。実感を伴う現状があった上での、「こちら側」と「あちら側」とに二分された世界を軽く説明。その状況で、「クラウド」ってことさら大声で語ることにも風刺をこめていた(「あちら側」が何であろうと良いじゃないか、という趣旨)。

聞いている方々は、多分純粋技術者というよりは、技術者を使う立場の方々のように見えた。だから尚のこと、雰囲気としてもしっくり行ったのかもしれない。在庫という観点からロングテールは分かり易かったろうけれど、マッシュアップとか、サービス型とか実は一般の人にはピンとこない話だっただろう。その利用活用が漸く定着してきた感じがする。気構えなくても、当たり前にそこにある感じ。とすると、「2.0」の実体って、実は今あたりでちょうど良い気さえしてくる。

変な例えかもしれないけれど、竹の子みたいなイメージ。どこまでが「子」で、どこからが違うのか。境界線が曖昧で、単なる連続体。早く気付く人には、早くから認識でき、そうでない人には、既に成長しきってから気付く類の流れ。

でも、早くに気付いていることを価値に転化できる人は少ない。情報の流れがライフラインになって久しいとは思っているが、そう気付いていない人も案外多い。自分から取りに行かなくては何かのリスクを負うとまで意識している人は、更に少ないように思う。この業界で生計を立てるのであれば、スピードは命だけれど、利用者側からすれば、分かり易い状況で名前が付いてくれた方が楽かもしれない。

現実が肌身で変わってきたと分かる場合には、その変化を言葉で定義してあげると、より分かり易くなる。「あ~、そういうことか」と。言語化することが、人に伝えるためだとするならば、分かり易く伝えるのに越したことはない。分かり易い方が喜ばれもする。結局のところ、「伝わって何ぼ」と考えるならば、「2.0」という言葉を木っ端ずかしがっている場合ではない。

Webがコミュニケーションのメディアやツールであると言っておきながら、きちんと伝えることができないのならば、それは問題だ。きちんと伝わっていないことは日々の活動の中で実感している。かなりネット依存の生活をしている者がいつつ、全く無関係な顔をしている人もいる。

地震が起きれば誰よりも早く震源地と強さを言える者がいて、ネットの障害が起きれば何もできない状態で青くなっている者がいて、そんなことには左右されない生活を送っている人がいて。重なり合う、アンテナとスキルとデバイスの間で、情報は更に生活の中に浸透していっているように見える。

でも、ネットやネットありきの生活を語る言葉は未だ未だ不足している。発せられた言葉は多いけれど、響く状態にはなっていなかったものも多い。Googleの画像検索を眺めると、伝えるために発せられたエネルギーと、表層だけを伝える結果になっているものと、空回りの度合いや、様々な残骸が見え隠れする。

▼web2.0 - Google 画像検索
http://bit.ly/cMIiss

伝え切れていない部分は、担当者の世代交代という形で、この現場にいる我々を直撃している。そして、それは無理解というレベルから、一気に飛び越した先を求める動きになっている。

クライアントは、既にWebの専門家を求めていない。ビジネスの専門家を求めている。Webは単なるビジネスの一つのタイヤに過ぎない。大きいし、ますます大きくなっていくけれど、それでも一輪にしか過ぎない。そのことをポジティブにもネガティブにも熟考できるスキルが求められている。今まで大きな領域を占めていたものが、気が付くと小さな領域の特殊な能力になり下がっている。

2.0ブームの頃、分かっちゃいないよなぁなどと言ってしまった自分が今は恥ずかしい。様々な今までしなかった事柄を用意してクライアントと接する今になって、この状況につながる一本道のど真ん中にいながら目をつぶていたのかと反省している。思っていた以上の大波のど真ん中にいる。

で、その上で先をちょっとだけ読んでみたい。世の消耗品の多くは、生産側と消費側に二分されて成立してきた。小さい頃、玩具やお菓子がどこでどのように作られたかを気にしていた人は少なかった。最新の工場というブラックボックスこそが清潔で一番信頼性のある場所だったようにも思っていた。でも、今や違う。根こそぎ変わってしまった。生産者が表に立って、商品の安全性を語る時代である。

こちら側とあちら側、二分しての議論は楽だけれど、長続きするようには感じない。どこでどう作られているのか、それは大事な要素なのだと思う。それはなにもWeb屋やSIerの顔を出すという流れではない、どういったデータセンターを使っているのかから、どのようなコンセプトでエンドユーザと接するつもりなのか、いつかは隠しきれずに公にされる。

今起こっていることを、真摯に体系化して伝え残していく作業。それこそが、種蒔きを呼ばれる作業なのだろう。今度こそサボらずに良い種を蒔こう。次の大波が来る前に。今起こっている変化は3年後もしくは5年後には定着するだろう。その時に発してきた言葉が軽すぎず重すぎず根を張っているように。

以上。/mitsui

  • トレンド無視のマイブームは、MacBook/Kindleと自炊。やることあり過ぎ、才能なさすぎ。適切な武装が必要だ。
【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]