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24時間Illustrator「愛(Ai)はクリエイティブを救う」

[157] 片付ける/整理する/捨てる、私の中のデスクトップ

ディスクが慢性的に一杯になってきた。今まで、デスクトップにあったものを、定期的に下の階層の専用に分類したフォルダに入れて、更に複数ヴァージョンあるものは最新に絞って、などとやっていたのに、追いつかない。

年がら年中、片付けなきゃ、という罪悪感にも似たプレッシャーを感じつつ、散らかったデスクトップを眺めている。応急処置として、「misc」というフォルダを作ってしまったのも、状況を悪化させてしまった原因と言えなくもない。作って間をおかずに、「とりあえずの場所」に置いてしまうと、もはや手が付けられなくなる。

何度となく、はまった罠に再びかかる。身動きができなくなった状態で、自分の先送り決断を恨めしく想う。想えば、子供の時からずっと繰り返している。

最終手段は、HDDをつないで、とりあえずバックアップ。マシンを一時的に軽くしつつ、二度と整理をしないんだろうなぁと思えるデータの巨大な塊を見つめる。いつか使うから、と保存しておきながら、5年見もしないファイルがある。5年使わないものを、今から使うことがあるのか、と笑うもう一人の自分を感じる。整理されていない500GB単位のHDDが、数個リアルな机の上に転がっている。

そんな片付け方をしながら、「片付ける」の語源が気にかかる。Twitterでつぶやくと、答えが返ってきた。「片側に寄せる」でしょう、と。なるほど、本質的に減らしてはいないのだ。料理のまな板の上が狭くなったときに、正に寄せるだけ。総量に変化はない。ただ、その一瞬、作業がし易くなるだけ。それを「片付け」と呼ぶのかぁ。

色々と納得する。なんど片付けても、根本的な解決に至らない理由が、ストンと理解できた。そりゃそうだ、減らしていないんだから、減った訳じゃない。当たり前のことに漸く気付く。

子供の時から取り残してきたものもある。ボリューム的に大きいのは、書籍だが、時々その巨大な過去とか思い出という亜空間への入り口を(実際には単なるダンボール箱だが)見つめながら、残りの人生で何度これを見返すのだろうと想ってしまう。

恐らく数回しかないのだろう。必要なのは、本当の意味での「整理」。そして多くの場合、二度と見ないと見切って、捨てることを意味していると思えて仕方がない。

年齢が増え、メモリの少なさと、自分の行動パターンが分かってくると、良い意味での諦めがつく。持っていても無駄なものと、そうでないものとの差が透けて見える時がある。行き着ける先が何となく肌感で分かるようになって、捨てる勇気が出てくるものなのかもしれない。

で、今捨てているのは、先ずは「書籍」。情報を閉じ込めている「箱」。書籍だと理解させる「形」。「自炊(本を自ら裁断しスキャンしデジタル化する行為)」という形で、捨てる作業に着手している。情報としての価値は捨てられない。でも、形や箱として捉え直せば、思い切りもつく。

何冊か思い出の作品を壊してきて、幾つかのことを知った。やはり、本は本の形で何かを伝えるべく最適化されていること。そして、「形」としての美しさは、記憶がかなり補完してくれるということ。台詞や絵をまじまじと見なくても、ありありと情景が頭の中に再現される。

最たるものが、「2001夜物語」。買った当時から、何度も何度も見つめた。普通の白色インクではなく、青色インク。それを白黒でスキャンして、kindleで見る。私の網膜に広がっている映像は、多分同じ画像を見つめる子供達の脳裏にあるものとは違う。記憶が様々な何かを付加してくれている。思い入れがある情報は、再現の形には無関係なのかもしれない。

▼mitmix@Amazon - 2001夜物語 (Vol.1) (Action comics)
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4575930741

で、目の前にある狭い本棚を眺めながら、自分の中のデスクトップを想う。そこは綺麗に整頓されているのか、そこは残された時間の中で見返し活用すべきものだけに絞られているのか。

片付けながら進んでいる気がしてくる。ちょっと脇に置いただけで、何か満足して、一向にデスクトップが軽くならなくて、何か新しいことをやろうとする度に、何かが足元に絡みつく。

情報もスキルも、中途半端なものは、先まで持っていかなくても良い。この先のどこかで更に磨きをかけて、勝負をかけるタイミングのあるものだけに絞って身軽になりたい。

選択と集中。整理と破棄。そんなものの狭間で、断ち切れない郷愁が邪魔をする。でも、一歩ずつ、1バイトでも、身軽に。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]