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[162] こだわりと無駄の中で育む力

細部にこだわる。小さなことに見えかねないことで悩む。そんな積み重ねの重みをひしひしと感じるときがある。Webサイトを構築しながら、大きな構造を練りつつ、細部が引っかかってしょうがない。そこを紐解ければ、全てのパズルが解けるかのように全力で、その細部を解決する。勿論、それで万事解決にはならない事の方が多いのは経験から知っている。でも、やらないと気持ち悪い、片付けるとかなりすっきりする。

全然効率的ではない。ある程度の時間をかければ、次に進むべきなのだろう。全体スケジュールを思い浮かべながら、ヤバイよなぁとつぶやきながら、こだわる。ここで頑張っても、誰も気付かないだろな、とか口をつく。

でもいいや、と思う。もう少しだけ時間をかけると覚悟を決める。プロジェクト管理上は、それがいけないのかもしれない。でも自分が納得できないものでは、クライアントに説明ができない。自分の中で、どこかしっくり来るまで、諸々煮詰めなければ、「そこ」に辿り着けない。

「そこ」って何処だよ。自分の中でも悩むときがある。もはやどの会社もWebサイトを持っている。品質上上下の幅は実は拡大しているけれど、保持しているかどうかの指標の方が大きく映る。相対的に圧倒的な個性を求めるクライアントは減っている気もする。5年強前までは、作るなら凄いのを作ろうという野心に溢れたクライアントが、目だっていたし、彼らが牽引した部分は大きい。

でも、目指すべき「そこ」は今もあるのだろうと思う。無理やり存在を信じようとしている部分は自覚しているけれど、ないと困る。達成感という言葉が当てはまるのか、それともゴールなのか。いずれにしても目指すべき到達点。そのために頑張れる、目の前に吊るされたニンジン。

誰が決める訳でもない。個人的な「掟(おきて)」にも近い。自分自身が納得する線を自ら引いていて、それを越えるまでは、なんだかしっくりこない、落ち着かない。意地と言ってもいいかもしれない。

そんな経験が活きて来る場面がある。何もかもが、クライアントのお気に召してしまう瞬間。え?、これも気に入ってもらえるの??、自分でも驚くほどの出来事。不思議な嬉しさの包まれながら、その根底に、重ねたこだわり苦労が横たわることに気がつく。そっか、あそこでこだわったから、あの作業がなんなくできたのだ。

クライアントとの関係がしっくり行くと、プロジェクトもまわる。プロジェクトが回らないから関係が悪化することはよくあるけれど、プロジェクトを円滑に進めるために良い関係を構築すべきなのだと改めて想う。

同じこだわりの海を航海してきた仲間には、不思議な連帯感が生まれる。まるで、同じ会社のようだ。こだわりを共有して、辿り着いたのだ、最早ブラザー(兄弟)じゃないか。同じ課題、同じゴールに取り組み続けるからこそ、成立する共有感。プロジェクトマネージメント(PM)的に言うと、あのこだわりの季節は、チームビルディングにあたる期間だったのかもしれない。

個々の個性とスキルを活かしつつ、同じ目的(サイト構築)のために全力以上の力を発揮できる環境つくり。そう考えると、一朝一夕にできる訳のない話だと思える。多少の無駄がかかっても致し方ない。むしろ、効率的な無駄作業を選んで行くべきとさえ思える。

それがこだわり議論の部分なのだろう。ユーザビリティへの関心が低い人には、まさにどうでもいいような細部に対して、真剣に白熱した議論ができることは、互いの考え方の傾向までも提示しつつ、合意形成のパターン認識の練習とも言える。

Webサイトが一般的になるにつれ、実は開発プロセスは二極化する。いかに早く安く作れるかという方向と、いかに細部にこだわりつつ様々な価値観を収束させて作っていくかという方向。「ポテトも如何ですか?」と紋切型の店員を放置する接客と、相手の顔色を見ながらおもてなしを考えるコンシェルジュとどちらが好ましいですか、という問いで分類できるものだとも言える。

前者は価格競争に呑まれて行くのが分かっている道だ。ある程度は企業努力すべき必須部分ではある。けれど、全面的にモットーとしていくには、Web屋の生活を脅かす部分がありすぎて危険だ。一発芸で散っていく覚悟ならまだしも、疲弊の蓄積の先には明るい未来はない。

それに対して、後者は、理想論に見えつつも、実はニッチ領域、あるいはエッジのきいたユーザやコンテンツ(商品)に活路を見出そうとするなら、全うに見える道だ。そして、実はそうした領域が多くなっていく気がしてならない。十羽一からげ的なコミュニケーションの時代は終わっている。多種多様な商品を多種多様なユーザにマッチングしてあげる時代のはずだろう。

だからWebサイトは、決まったブロックを積み上げて、はい終了という訳には行かない。一見そうであるかのように見えて、実はそうした手抜きはユーザにはバレバレで、そうなっては本来の目的に反して、ユーザとのコミュニケーションに対する真摯さが低いように見えてしまう。

Webサイトは、自己満足のために情報を羅列している訳ではない。いかにユーザを大切に扱っているかを示すためにも、精一杯の分かり易さでお話ししているようなものなのだ。だからこそ、こだわりは必要になる。

こだわりの連続の先での提案に、「おぉ、やるじゃないか」、と言ってもらう。その一言で、それまでの苦労が消える。威張る訳ではない、奢る訳でもない。頑張ったことへの報酬、この一言のためだけに頑張れる魔法の言葉。そして今までの涙が、底力(ポテンシャル)に変わっていく瞬間。そして、連帯感が強まる瞬間。互いにパートナーとして認め合う瞬間。

ここにショートカット(近道)はないのだろう。効率化と声高に叫ぶと、するりと抜け落ちてしまいがちな、大切な部分。回り道のようで、実は王道。これを短期化に拍車がかかるプロジェクトでいかに成すか。大きくも楽しみな課題である。精進あるのみ。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]