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[193] ノウゼンカズラ(凌霄花)と朝顔と育成と

最近少し庭いじりをしている。ほんの少しだけ朝早く起きて、水をやり、少し葉っぱをいじる。ノウゼンカズラ(凌霄花)、それがお相手の名前。

ノウゼンカズラ - Wikipedia

前の住人が残して行ってくれた庭木だけれど、きちんと咲いたことがなかった。きちんと世話をしていないのだからしょうがない。それを、何故だか突然、世話を焼き始めた。後ろの家の庭に余りに堂々と枝を伸ばしているのを見かねたのが切っ掛け。優しい隣人は見て見ぬフリをしてくれるけれど、何だかバツが悪い。

そもそも、庭いじりの経験が殆どない。見よう見まねで、出来ることを考える。100均に行って考えた結果(買えるもので考えてみた)、「園芸ネット」という緑の網を買って来た。それで覆うようにして、枝をブロックしてみる。思惑は、予想を越えて成功したのだが、そこからが諸々気になることが始まった。

既に伸びている枝に、網をかぶせるのだから、葉っぱが無理矢理に網に包み込まれてしまう。安いだけあってか、かなり粗い目の網(目合約10cm)なんだけれど、葉の表も裏もおかまいなしに包み込む。それが、少し離れて見ていると気になってくる。なんとも言えず不自然。葉の密集のしかたが、なんというか人工的でいやらしい。

なので、色々と網目の隙間から葉っぱをゆっくりと引っ張り出して、できるだけ自然な「拘束状態」を作ってあげる。どっちに枝を伸ばしても良いのかを、悟らせる。そのための「制約」。そう、何事もベースとなるルールは大切。

葉の重なりの不自然さは、陽の下でよく分かる。日差しの中で、緑の濃淡を見れば良い。変に濃いとそこが不自然に密集している場所。つまり、私が過度に干渉した場所。他には、よくよく葉っぱを見る。葉は裏表で色が違う。無理矢理包み込まれた部分は、葉が表裏混合状態になっている。そこを「ほぐす」ように、網目から枝を解放してあげる。そう縛るだけでは伸びない。

でもただ緩くするだけではない。進むべき方向に進むように、枝(つた?)を網目に沿うように縛ったりもする。よくパンなどについてくる、プラスチックに包まれた針金みたいなのを使う。でも、後で思い知るのだが、枝の方向性がある程度定まったら、その補助具は外した方が良いみたいだ。成長とともに、いらぬ制約になっていって、何だか窮屈。そう時間的なバランスも大切。

そうこうしているうちに、台風が来る。そもそも我家の「猫の額庭」は風の通りがよい。そこに暴風雨が来たものだから、かなり激しく吹き荒れた。さすがに暴風雨の中で庭木を守る気概はなかったので、家の中から見ていたが、暴風雨の中で振り回された枝が何本も何本も折れて行く。見ていて辛い。この辺りはもう少し網に絡ませておけば良かったと後悔した。でも木は強い。台風一過の晴天の下、生き残った枝達は逞しく輝いて見える。

そして、開花。未だツボミがあるので、未だ未だ咲きそうだけれど、既に過去最高の開花率。前例が皆無に近い状態なので、あっと言う間に新記録。きちんと育てれば、育つものだ。そして、大したことはしていないが、育ったことに関与できた喜びが、こちらに残る。しかも、かなり爽快。

すっかり庭木爺さん化したついでに、朝顔も買って来てしまう。昔、息子が通っていた幼稚園の傍に、深青の朝顔が咲き誇っていたのが、頭の片隅に残っていた。あいにく、その色は手に入らなかったが、植えてみる。1株105円で4株。

こちらは未だやっと根付いたかどうかという状況。時期を逃したので、種からではなかった。40年ぶりの朝顔日記という感じにはならないけれど、育ってくれるか心配するという、毎日の楽しみが増えた。

で、育て方。買ってから調べるという本末転倒型だったが、こちらも中々味のあることが学べた。「ピンチ」という。最初に伸びたツルを切る(切り戻す)ことを意味する。最初に伸び始めたものをブロックすることで、朝顔は他のツルを数多くださないと行けないと悟って、結果としてより繁ることになるのだという。

これこそが、吾が行く道だと枝(ツル)を伸ばしたが、そこを切り取られる。それが別の才能を開花させ、結果的として大豊作に至る。目の前の朝顔がどこまで咲き誇ってくれるか、未だ分からないけれど。人の世や自分の過去を重ねて見てしまう。愛着が更に増す。

ノウゼンカズラが咲き誇り始めた今、小さな庭に沢山の生き物が集うのに気がつく。昨日は、枝の傍に蛾がとまっていたのだが、その横を遠慮しいしいトカゲが通るシーンを見た。蝶も舞う。よく見ると蟻も一所懸命何かを運んでいる、マルムシもミミズもごそごそしている。多分、いつもの初夏の風景なのだろうけれど、そんな営みの厚みを、今までとは違った形で見つめている。

今年、下の子が大学に行ったので、親業としては一応の一段落(学費を稼がねばならないが)。人生の先輩が庭木をいじるのを不思議に思っていたけれど、その愉しみを少し体感できた。育てることの愉しみ。そのために、すべきこと、してはいけないこと。親業と余り変わらない。でも目に見えた反抗がないだけ良いかもしれないか?

ちなみに、ノウゼンカズラの花言葉は、「名声 栄光 名誉 女性」。当然ながら、育てた方への言葉ではなく、咲き誇る花への言葉。育てる側は、完全に裏方さんなんだと、改めて思う。でも、そこに喜びがあるし、そこに喜びを感じる人だけが、育てられるのだと想う。植物も、人も、技術も。

どの枝が伸びるのか、どの枝をピンチすべきなのか、どこを支えてあげるべきなのか、どこは任せ委ねるべきなのか。よくよく枝を見ながら、その過程も楽しむ。技術という苗に対しても、そう接して行きたい。

以上。/mitsui