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[143] Web担当者のガッツポーズ

2009/12/17 14:00  

企業ウェブ・グランプリというイベントがある。今年で3回目。企業のWeb担当者が集まり自分達で自分達を吟味する。コンセプト&アーキテクト部門、デザイン&クリエイティブ部門、ガバナンス部門などなど幾つもの視点があり、それに応じて賞が設けられる。そして年間最優秀賞(グランプリ)は、参加企業に投票権が与えられ会場での投票を経て決定される。

Japan Web Grandprix | 企業ウェブ・グランプリ
http://www.web-grandprix.jp/
3サイトが同時受賞、「第3回企業ウェブ・グランプリ」ベストグランプリが決定 | Web担当者Forum
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/12/08/7017

各賞は年間最優秀賞も含めて、渡されるのは賞状とトロフィーのみ。しいて付け足すなら、年間最優秀賞受賞サイト担当者は翌年の懇親会(イベントの最後に軽く乾杯する程度のもの)の司会が回ってくるという副賞があるくらい。

業務もテーマも異なる50サイト以上が集まって、賞毎にノミネートとグランプリを選んでいく。作り手側である私が絡めたのは、RIAC特別賞を昨年から許されたから。他にそんな形で参加したのはオールアバウトさん。特別賞はノミネートの幅が広く、今回は50サイトのリストが渡される。昨年は約20サイトだったので、目を真っ赤にしながら吟味しつつ、その拡大ぶりも実感できた。

少し前ならトップページを見るだけで、なんとなくそのサイトの個性というか特性が感じとれた。でも最近はそうでなくなりつつある。様々なコミュニケーションの方法を幾つも織り交ぜているサイトも多い。トップページと、他のページ群(スペシャルコンテンツやスペシャルサイトとなることも多いが)の管轄者が異なっている企業も多いように感じる。

企業の正面玄関で伝えるべき方向性と、その有する製品について伝えたい方法とでは微妙に変えた方が効率が良かったりするからだ。もちろん、金太郎飴のように、どこを切ってもぶれのないブランディング手法も健在だし、正攻法としての揺るぎはない。でもスピードを求めるコミュニケーションでは、異なる方法も有効だ。

情報発信をする企業として、統一感を求めつつ、個別対応が許される余地というか「のりしろ」も想定する、そんな流れが大きくなっているようにも見える。一人の人間が様々な表情を持つように、一つの企業が様々な表情を持つ。デザインガイドライン的な規約を持ちながら、多少の自由度を現場に与えることもそんな流れかもしれない。そして、そんな流れがあるということは、そのような人材がいるということだ。

日頃、各社のWeb担当者とどう対峙しているか。もちろん発注者としての立場が最大ではあるけれど、大きな声では書けないが(?)、仕様を揺らす敵であったり、予算をかき集めてくれる味方であったり、一喜一憂を共有する友であったり、世界で唯一公開までの苦労を分かち合える兄弟であったりする。

打ち上げを除いて基本的には会議室という閉ざされた場でのコミュニケーションしか重ねていないのだが、今回は晴れの舞台での素顔を見せて頂いた気がした。直接私が関わったWebサイトはないのだが、「のり」が似ているというか、さすがにWeb系の匂いが漂うホームグラウンド的な心地がする。何か同じ苦労を理解しあえる共有感みたいなものを感じる。

奇しくも、司会者が幾つかの場面でインタビューをしていた言葉がささった。

司会「あのサイトは何年おやりになっているんでしたっけ?」
担当「3年ですね」
司会「そんなになりますか。わが子のようなものですね」
担当「まさにそうですね...」

アクセスの量に一喜一憂し、1ピクセルにこだわって作りこんできたサイトに思い入れが生まれない訳がない。それが年単位で継続しているのであれば、尚のことだ。自分達が担当している仕事にどう向き合っているかが伝わってくる。

そして受賞の瞬間も見ていて気持ちが良かった。参加者は自分のチームを代表しているし、それはその企業の人たちだけではない。制作に関わった方々も一緒に壇上に上って祝福しあっている。素直に「いいなぁ」とつぶやいてしまう。渡されたトロフィーを高々と上げて、会場にいるチームメンバにガッツポーズをする人もいた。輝かしい笑顔が本当にまぶしい。

あぁこういう笑顔を支援するのが我々の仕事なんだと再認識した。Web屋の原点というか、ゴールというか。日頃エンドユーザのためとは言ってはいるが、エンドユーザのためになるような方法を一緒に見つけ出し、様々な課題をクリアしながら、よりよいコミュニケーションを実装しているのだが、とは言ってもお客さんに喜んでもらうのを忘れては本末転倒だ。

失礼な言い方かもしれないが、この賞は正直言って仲間内で決めているものだ。でもそれこそが大きな意味のあることかもしれないと思わされた。上述のURLの記事にもあるが、日本IBM最高顧問の北城恪太郎氏は次の言葉でこのイベントをしめた。

「企業自身や製品サービスを紹介する、ウェブサイトを作る影で苦労している人達がお互いを表彰しあおうという趣旨でやっていたのですが、こうして盛大に開催できたのは嬉しいことです。お互いのサイトを見ながら、地道な苦労や活動を認め合う、そういう意味で企業ウェブ・グランプリは意味がある」

FlasherがFlasherにしか分からない苦労を分かち合う空間となんら変わりない。泣き出したいことや、辛かったこと、板ばさみにあっても尚公開にこぎつけた喜び、諸々の大人の事情や政治力に翻弄させられ本筋を見誤った苦労話などなど、Wen担当者にしか分からず、Web担当者なら分かるだろう事柄が沢山ある。

Webが世の中に浸透するとは、こういった人たちが増えていくということも指すのだ。そして共通の苦労はなんらかの方法で軽減し、共通の喜びはもっと大きくできるかもしれない。そのためにリアルな交流が役に立つはずだし、実際に受賞者の笑顔はそれを証明しているのだろう。

もはや誰も無視できない情報経路となったWebを支える人たち。それがWeb屋だけではないとも、戒められもした。たかがWeb、されどWeb。そんな言葉も浮かんでくる。よりよい歩みを目指したい。

以上。/mitsui

[142] あるADのつぶやき:伝えるべきことと、伝える方法と

2009/12/10 14:00  

「そりゃないな」、ボソッとアートディレクタ(AD)がつぶやく。リニューアルをしようとしているサイトや、その競合サイトを皆で見ながら、共通意識をもつための場で。

何を伝えようとしているのか、どんな機能を持たせようとしているのか、常日頃からそういった視点でいるからこその即断に聞こえる。「馬鹿じゃね」とか「意味わかんね」などのはき捨てる言葉より、重く響く。伝えるべきことと、伝える方法とのミスマッチを突いている。「表現」がすべきことを見極めているからこそ、か。

時代と技術は複雑化の一途を辿っている。でも、その受け手の人間の処理能力は、それほどのスピードでは多機能化はしていない。だからこそ「表現」の持つ力の大きさに期待が高まる。人間の処理能力と処理傾向に関してのノウハウと、今までの実績的経験値が、重なり合って高度な判断をしているのが伝わってくる。

しばらく操作をして、またつぶやく。「あぁなるほどね、これがしたかったのか」。触ってみて、操作してみて、設計思想を探ってる。そして続ける、「でも、そりゃないな」。見た目だけではない部分を評価している。

多くの人が誤解しているけれど、設計思想はキチンと伝播する。いい加減に作られたものは、いい加減さが滲み出る。そしてそれはWeb屋にのみ分かるものでもない。Web屋はユーザの行動傾向を体系的にまとめて言葉にする能力が長けているのであって、感じる部分では差はないのだと思う。Web屋は自分が抱いた少しの不快感を、一般的にはどうかなど分析する能力が少し高い人のことなのだろう。

触ってみて、「こーいう使い方を想定していないのか」と失望することは稀ではない。その想定の狭さは、設計思想に依存しているし、万人にマッチするモノがそう多くないことを考えると、多分多くの人がそれなりに感じていることなのだろう。どんな人にどんな風に使って欲しいのかがミスマッチな製品は触っていて可哀想にすらなる。不憫というか不幸というか、もっと考えてくれる人の下に生まれていたら、などと考えてしまう。

IT業界は、宿命的に技術寄りの判断が盛り込まれることが多い。でも、技術主導の結果、てんこ盛り状態で、何のための誰のためのものなのかが分からなくなってしまったものも多い。Webはもはや万人受けを前面に打ち出すことから一歩引いている。製造業でさえ、多品種少量生産+カスタマイズという複雑な工程を経て消費者にモノを届けようとしているのに、一群の画面を用意すれば万人に伝わると考えること自体が甘えと見える。

適切な対象ユーザに適切な表現を。Webの軸足は確実に「絞る」方向に向いていると言えるだろう。誰に何を伝えたいのか、その問いかけの重みはプロジェクト初期の大きな課題であり、開発チームのぶれてはならない共通認識の要だ。自分達の語りかけるべき人の姿をペルソナなどを使って常に意識しようとしている。

けれど、4大メディアの広告費が減少していることからも、マイナーだったWebは今やメジャーである。少なくとも相対的にはそう言える。続きはWebで。多くの人が言われなくても詳細情報や確認を求めてWebを活用している。その意味では万人のためのものでなければならない。メジャーであることの責任の重みを、ユーザビリティやアクセシビリティという視点でカヴァーしようと、バランスを取っている。特定の人に語りかけつつ、万人も無視しない。込み入ったテーマになればなるほど、微妙な配慮が必要とされる。

だからこそ、IT業界という技術一辺倒で突き進んでよい世界で、デザインが必要となり、研ぎ澄まされ続けてもいる。そして、デザインが研ぎ澄まされているからこそ、技術オタクの世界ではなく、多くの人のための情報のルツボとなりえて、メディアと呼ばれる一面も色濃くなっているのだろう。

デザインや表現の部分が担う領域は広くなっているかどうかは、技術の広がりも大きいのでそれこそ微妙だが、少なくとも深くなっている。表層的な部分ではないところでのコミュニケーションの形態探しは年を追うごとに鋭さを求められている。

でも、それが育つ環境にあるかといえば、心もとないというのが正直なところだ。エンドユーザとのコミュニケーションを望みつつ、経済的状況から短絡的な結論に飛びつかざるを得なかったように見えるサイトも多い。見栄えの派手さで、エンドユーザの気持ちをつかんだと勘違いしているサイトも多い。「そりゃないな」とつぶやかざるを得ない場面は決して減ってはいない。

そのADは「そりゃない」という言葉を発しながら、要件として与えられた事柄を、適切な表現に落とし込んでいく幾つものルート自体をも考えているようにも思う。逆算して、その表現に与えられた要件を考えているようにも見える。検討会議の様子まで見えているのかもしれない。

そりゃないと言われるほど未熟な「表現」が、何故そこでとどまってしまったのかまでも推測する。プロセスへの視点は、言葉数が多くなくても、自分達のプロセスへの視線に影響する。反面教師的に、べからず集的な意味で刺激に満ちている。自分達の足元も見直さざるを得ない。

Webは、誰かに何かを伝える場を作るものでありつつ、その開発現場でも様々なコミュニケーションとディスコミュニケーションとが織り交ざる。そう考えると、どこからがロウンチ(公開)と考えるのかも面白いかもしれない。設計思想が滲み出るのなら、プロジェクトのキックオフの時点からの裏側のドタバタが透かし絵のような状態で、シナリオを書き足しながら演じている即興劇。そして公開してからもそのドタバタは決してなくなることはない。伝え伝わるという状況を作り出し続ける場に、沈静化した安定などあるはずもない。

そうした終わりのない劇を演じきれるだけの舞台設備を、デザインと呼んだり表現と呼ぶのだろう。だからこそ、演じる人たちの力量にマッチし、観客達の受容度にマッチした舞台でないと破綻が起こる。破綻が起こらないように、なんらかのルールや制限は設けるが、自然発生的に起こるポジティブな波自体は制限したくない。そこに舞台監督としての力量が現れる。

「そりゃないな」と言われる状況があるならば、「そうくるか」と唸る場面もあるはずだ。語るべき相手にそう思われる舞台作り。それがWeb屋の制作現場。リアルなツブヤキが、目指すべき方向性を示唆してくれている。

以上。/mitsui

[141]RIACビジネスセミナー XIV

2009/12/03 14:00  

RIAコンソーシアム(RIAC)は、年に3~4回の100名単位のセミナーをなんとか自力で開催できるように育ってきた。発足から約6年。私は発足の数ヶ月遅れて参加したけれど、それなりに中心的な活動をしてきた。浮き沈みの激しいIT用語の中で、6年以上前の「RIA(Rich Internet Application)」という言葉が、未だにメディアで取り上げられるのは、このコンソーシアムの動きと無関係とは言えないと思う。

そして第14回のセミナー。最初の頃は違うセミナー名を使っていたので、実際の回数とは微妙に異なる。今回は秋葉原、初めての場所。テーマは「事例」。ここ数回技術系とデザイン系の制作現場という観点でテーマ探しをしてきたが、もう少し発注するクライアントさんも交えた話しを共有したいというのが、きっかけだった。

▼RIAコンソーシアム:RIAコンソーシアム・ビジネスセミナーXIV
http://www.ria-jp.org/information/20091201.html

RIACの事務局長から出たアイデアは、「事例」。RIAC会員の開発した事例をタイムリーに見せて、更に開発苦労話をシンクロさせれば、それだけで価値がある。そう考えて、会員宛に事例募集を呼びかけた。いつもはテーマを絞れても、そこに登壇してくれる方を探すのが一苦労。でも今回は、今までの苦労が嘘のように、短時間に候補が挙がる。

詳細調整は、いつもと変わらない。壇上に立つ方の何人かには、実際に出向いてお願いする。mailだけで済ませられるとは思っていない。壇上に立つ前に、意図を説明し、何を話して欲しいかを伝える。会いましょうと言ってくれた方で、話がかみ合わなかったことは殆どない。単なる企業宣伝の場と思っていた方も殆どいない。自分達の苦労をシェアし、同じ轍は踏まないようにしましょうね、と語ってくれる。

実は今回は更に難しいお願いを加えた。「数字」が欲しい、と。昨今の提案は、見栄えとかユーザビリティの正論などで、納得してもらえるケースは余りない。効果を数字の形で見たいと希望される。経済状況からも、理論や高揚した気分でプロジェクトが開始されることは減ってきた。そうした状況を踏まえて、折角クライアントさんが直接語って頂けるのであれば、何を目論んでプロジェクトが生まれ、育ち、測定し、軌道修正し、どこを目指しているのかを聞きたかった。

交渉をしながら書いた案内文は下記の通り(抜粋)。「事例」が中心なのに、担当者にも焦点があたっている。

RIA(Rich Internet Application)という言葉も広く市場に浸透し、RIA技術の進歩も開発環境の整備も進んでいます。同時に多くの視点がそうした技術寄りになりつつあるようにも感じます。しかしながら、何故RIA化するのか、何故ユーザビリティ向上を目指すのかというテーマが、今後のビジネスの根幹になっていることは忘れてはなりません。

今回のRIACビジネスセミナーでは、その本質的な部分や実際の想いや苦労した点などをお話しして頂けるように、実際にきちんとユーザに目を向けビジネスを展開している担当者様にお集まり頂きました。

業界も技術も異なってはいますが、訪れてくれるユーザのことをどのように考え、どのようにもてなすのか。あるいは業務アプリであれば、どこまで自然に操作ができて、作業に集中できるか。そうしたビジネスの原点に関わる努力と技術とがどのように融合して、実際にサービ スやWebサイトが成立しているのかのヒントをご一緒に覗いてみたいと思っています。

技術によってのみ成り立つものでもなく、見栄えだけの整備で辿り着 けるものでもない領域。対象ユーザを大切にするという路線の先にあ る苦労と喜びを、そのプロジェクトの担当者の生の声で共有できる場 を目指します。それが業種業界を越えて、皆様のビジネスにとって、 良いヒントとなり得ることを期待しております。

熱い語りを期待した。そしてまさにそうだった。4セッションある中で、配布資料があったのは1つだけ。他は、センシティブな話をするので、資料配布は遠慮させてくれと逆に頼まれた。日頃見れない数字がスクリーンに現れる。多分私が感知できる以上の意味や価値が、そこに存在している気がする。そこに辿り着けない自分が悔しいけれど、その場にいることが嬉しい。

移動/旅行系、物流系、住宅(通常生涯最高額の買い物)系、保険系。ECサイトなどの分かりやすいWebアプリケーションではない。でも、通常の生活の中に普通に存在する。B2Cプロジェクトが3、B2Bが1。Flashが3、Biz/Browserが1。様々な分類軸はあるけれど、リアルな生活感が香ってくる。ネットが一般的になってきていることを、改めて再確認する。

「トコトンこだわろうと決めた」「○○のシェアがここまで来たら、これを仕掛けると決めていた」「エンドユーザである現場からの不満はゼロ」「要件定義の時点から現場が参加している」「トータルなサービス提供をしていかないと、エンドユーザのためにもならない」「間違いを認め、方針転換すると決めた」「エンドユーザに、こう理解してもらいたいんです」。出来上がったモノを目の前にしたら、当たり前で単なる正論にしか見えないかもしれないけれど、作っている最中にこれらの軸足をぶらさないで作り上げたことの大変さが頭の中を巡りだす。

私は司会をやっていたので、舞台の真横のソデにいて、それらの熱弁を見つめていた。思わず目頭が熱くなってきた。本当に涙腺がきしみ始める。原点に立ち返るという視点で、既存のプロジェクト、しかも成功しているプロジェクトを見返すと、まさにその原点から離れずに進んでいるのだ。しかも収支感覚は厳しくなっているけれど、熱い夢を語っている。勝手に諦めてみていた部分があったのかもしれない、思ってた以上に、クライアントはユーザを見つめている。先の先まで読んでいる。それがビンビン伝わってきた。

なんだ、未だ未だ道は広く遠く明るいじゃないか。この道を進んできて間違ってなんかいない、このまま突き進めばいいんだ、と背中を押される感じすらした。「あれば便利」から「ないと不便」に育った情報インフラ。その中で、開発者もクライアントもベンダーも試行錯誤を経ながら、確実にワンステップ登ったんだと感じる。そして更にステップは続いている。

「ないと不便」から「ないと全然だめ」、そして「あってあたりまえ」へ。そして、その中で更に競争があり技術革新が後押しし、汗も涙も織り交ぜながら次の時代が姿を現していくのだろう。期待を確信に変えてくれる場だった。関われたことに感謝。いつもそうなんだけれど、熱いプレゼンテータが凄かった。心から感謝。

以上。/mitsui