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Home » Archives for 1991
お前も親になれば
子供の頃、「お前も親になれば判るだろう」とよく言われてきた。そんな ものは無いと信じて来たが、実際に親になってみて初めて見えてくるもの は存在した。父の話してくれた事と同じかどうかは判らない。しかし、こ ...
育児参加させろ!
悠澄が退院してから、一旦戻っていた義母が再び来てくれた。ただでも狭 い我家(1LK)に、大人3人赤ん坊1人の生活が始まった。しかも、この生 活の中心点は、高々身長50cmの息子である。 常に3人が寄っ...
赤ちゃんが来た!
入院騒動の一週間後、ようやく息子が我家にやって来た。退院のお迎えに は、私は仕事で行けなかった。帰宅すると息子がさも当然のような顔でベ ッドに眠っていた。 訳もなく添い寝をしたかった。「スースー」微か...
名前
名前は、「悠基(ゆうき)」「悠雄基(ゆうき)」「智基(ともき)」「悠燈 (ゆうと)」...かなり考えた。「ゆ」にこだわった訳ではないが、なんと なく選んだものがこうだった。親とも相談したが、「悠澄(ゆうと)」とし ...
呼吸停止
「それ」は、翌22日00:15PMにやって来た。午前中、少し元気がないか なと思いつつも、私は子供の異常に気付かなかった。昼食が私達の部屋に 運ばれ、交代で食べようと言う事になった。単に一緒に居たかっただけで ...
出産
予定日は、10月1日[1]だった。それまで、妻は体重と食欲と御腹の圧 迫感との間で、傍目にはおかしく微笑ましい格闘を真剣に演じていた。通 う産院に依っては、出産迄の体重増加分を規制するところがある。基本 的に出産時に、胎児(約3キロ),羊水+オッパイ(3キロ)の計6キロが、 最低...
出産場所
出産場所は悩んだ末、「片桐助産院」[1]に決めた。海老名市の主催する 母親学級でも評判が良かったし、実際に2人で行って見てその熱意に感じ 入ったからだった。片桐さん曰く「子供は、自分の力で出てこようとす る。そのために彼らなりに非常に努力している。母親の体もそのために、 実に巧妙...
妊娠
子供を授かったのを知ったのは、結婚後約1ヶ月半ほど経った頃、あまり に妻の毎月のお客さんが遅かったので、調べてもらった結果だった。慌た だしい結婚式から解放されて、2人ともほっと一息いれた所だった。色々 な意味でのショックを感じた。 子供を授かったことへの感想は、第一に「戸惑...
はじめに
子を持って、日々思うことを書き綴りました。無邪気な子に、時にイライラさせられ、時にホッとさせられ、時に喜ばされ、時に笑わされ....1日として同じ日はなかった、目まぐるしい日々の記録です。 幼い時より常に引っ掛かっていた「家族とはなんだろう」という疑問への、問いかけでもあります。...
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