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[093] 百均(ヒャッキン/百円均一ショップ)

「百円ショップ」と呼ぶものだと思っていたのに、娘は「百均(ヒャッキン/百円均一ショップ)」と呼ぶ。最近そこに頻繁に行く。家での片づけのため、手ごろな大きさの整理箱が目当て。

それにしても、百円でよくこれだけのものを作れるなぁと、今更ながら感心する。今までの値付けが不当なものに感じる商品もあれば、これはヤバイだろうと思えるものもある。最近は後者の方に目が行く。

ケースとか、箱とかの単なる「立方体」というのであれば、材料費と多少のギミックで百円はアリだと思う。しかし、明らかに「形状」に工夫があるような「名品」を、型にとって作りました、という商品には眉をひそめてしまう。

例えば、マッサージ系の商品。どこかで見たなぁという独特のフォルム。でも、よく見ると、細部に手抜きが見える。百円だということでは文句は出ないが、そのオリジナルをデザインした人には耐え難いのではないかと想像する。マネそのものにも腹を立てるだろけれど、やるなら細部までやれよという怒りもあるんじゃないだろうか。

「肩を叩く」という機能を、最適化するために考え抜かれた形状。如何に叩き易いかを追求した結果としての、その曲線、重さ、材質。その結果だけを型取りしてプラスチックを流し込めば、コピー完了。でも、繰り返された計算も試行錯誤も、そこには跡形もない。

努力することなく利益を得ようとする、そうしたソックリさんを見つめながら、嫌な経験を思い出した。

1ピクセルにこだわって、長時間話し合い、格闘してリリースしたサイト。その更新の時だった。一緒に頑張ってきた者がリーダーになったにも拘らず、リニューアルされたサイトは無残だった。

場違いな情報、勘違いなその見せ方、単なる形だけの利便性、ユーザが積極的に求めていない機能、見苦しいアバター、オチャラケたアイコン。どれをとっても、それまで格闘してきたブランド戦略とは異なる方向性のものが付け足され、これでもかというほどチグハグな印象だけが輝いていた。

理由は、予算。「今回は前回ほど予算をかけられないので、できる範囲でやりました」、担当者は平然と、噛み付いた私に答えた。重ねた試行錯誤もアイデアも無視して、経済性だけが優先された。夢や芸術性では食っていけないのだと、現実的に考えろと、彼は私を諭すように言った。

私達は、1ピクセルまでこだわる事で、アート性を高めようとした訳ではなかった。自分達の美意識とかそんな話ではなく、システムにユーザビリティとかブランドという「付加価値」を付けるために徹夜した。

本音を明かせば、クライアント教育も兼ねたプロジェクトだった。エンドユーザに愛されるサイト開発の一例を示したつもりだった。単なるシステム的な発想だけではない「おもてなし」。それを一緒にこれからも作り続けたい。そんな風にプロジェクトの間中想い焦がれていた。納品したファイル群だけでなく、仕事の進め方自体を提供した気でいた。エンドユーザの立場に立つ一例として。

予算内に収まるように作ること、収支を合わせることは、勿論必要なスキルだ。しかし、一方で世の中には「投資」という言葉もある。チャンスだと思われる分野や時には、短期的な収支ではなく、長期的な視野に立つ。

その辺りを促すこともWeb屋の仕事に入ってきていると思う。「今、このユーザを掘り起こしましょう、種蒔きしましょう、半年後には収穫があります」。商品とユーザと企業とを熟知できる立場にあるWeb屋こそがこの台詞を言える。

深く考えることには、時間やコストがかかる。逆に言えば、コストを下げたければ、深く考えなければ良い。ユーザのことを考えない、運用のことを考えない、全体の整合性のことを考えない、企業イメージなど考えない。コストダウンする方法など山のようにある。1個100円でGIFアイコンを作成を発注して、組合せだけで、ごちゃごちゃのサイトを作ることは現実に可能な話だ。

しかし、安く開発する方向性に走り出すと、その先に待っているのは価格競争だ。価格競争で生き残るのは並大抵のことではない。そして、価格だけで選ばれるWeb屋になることに私は未来を感じない。そもそも、会社の総合受付をハリボテで作りましょうと提案することがあるだろうか。無理してでも大理石で設計したいではないか。Webは今やその総合受付以上に会社の顔だ。

新たな付加価値を含めた開発を持続させることは、Web屋にも顧客にも、悪いことではない。安かろう...、の先に本当に良い状態が待っているのか。良いものにコストがかかるのは自明のことで、それを納得してもらいながら、より良い総合受付を作っているのが我々Web屋じゃないか。

アリモノでまかなったり、思慮浅く対応したり、価格競争に走ったりすることは、タコが自分の足を食べている姿を思わせる。その時は食べた気になっていても、大事なときに全力を出せない体になっていく。

その後、そのプロジェクトを進めたチームの良い話は聞かなかった。相変わらず、仕事は取れていたようだが、残業残業でとてもハッピーには見えない。余裕もなく自転車操業。付加価値を育てずに、できる事だけをやった結果だと感じたし、先を見ない「現実主義者」という正当化台詞が哀れに思えた。

出来上がったチグハグなサイトを見つめながら、Web屋の仕事を改めて考えた。公開されているサイトは誰もモノなのだろう。勿論お金を出したクライアントのものである。でも、そこにつぎ込まれた情熱や知恵は、きちんと受け継ぐ責任もあるんじゃないだろうか。

細部にまで拘って作り込んだサイトが、公開後数ヶ月で、様々な「部品」を付け足されて、レイアウトが崩れていくという経験は何度もした。あの長時間にわたるユーザビリティとか見易さの議論は何だったんだろう、と幾度となく涙を飲んだ。

時代は進んで行っているし、ユーザの志向も想いも変わるだろう。だから、それに合わせて、Webサイトも変わっていくべきだと思う。でも、Webサイトは自動販売機で買ったものじゃない。きちんと変遷の歴史を踏まえながら変えるべきだろう。

映画「マトリックス」を見たときに、「これは『GHOST IN THE SHELL 甲殻機動隊』じゃないか」と思わされた。しかし、「コピー」でも「二番煎じ」でもない。ウォシャウスキー兄弟監督が正式にコメントしたかどうかは知らないが、明らかに「GHOST..」に対する敬意を感じる。出典が分かるように細工をしつつ、新たな価値を付け足している。出典の暗示には潔ささえ感じる。

先代の優れた点を、更に磨きをかけたものに昇華していく。それが猿真似ではない、更新系のモノつくりの原点なのかもしれない。それを「オマージュ」と呼んでも良いだろう。

Webサイトがリニューアルという階段を超えて、なお輝きを維持するのは珍しい。担当者の交代や、開発陣の入れ替えなど、知恵の継承を阻害する要因に満ち溢れているためだ。

でも、熟考されたサイトのリニューアル時に、更にその熟考を重ねられるなら、更に良いサービスをユーザに提供できるのではないか。それこそが、ユーザを大切にすることであり、長期的にその会社や製品のファンを育てることに繋がり、それこそが経営戦略の根幹なのだと信じる。

安さという魅力に負けて「百均スタイル」で進むのか、多少コストはかかっても「熟考の継承スタイル」を貫くのか。ユーザとの接点をどのように捉えているのかで、進む道が決まっていく。

以上。/mitsui

ps.
先人の熟考を形に表すのを「解析」と呼ぶ。Ridualは、サイト構造を視覚化するというアプローチで、熟考の継承を可能にしようとしています。