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[136] 講演、パネルディスカッション、その準備

2009/10/29 14:00  

ただただ熱苦しいプレゼンをするしか能がないのだが、身に余る場に呼ばれて話してくれと言われることがたまにある。ここ数年、話す内容に余り変化がなく、それなりに資料は溜まっているので、準備は楽といえば楽。けれど、使っている絵にしても、挿入する情報にしても、微調整はかけている。でも、伝えたいことに余り変化はない。現場の話。ただそれだけ。高邁な話をする訳でも、高尚な理論を披露する訳でもない。当たり前の開発者同士が、どんな風に疲弊して、どんなことを考えれば、何かを変えられるはず。そんな話をしている。

登壇している実時間分の練習はまずできない。申し訳ないが、3時間のコマを与えられても、練習に費やす時間は20分が限度か。目の前に人がいないと集中力がそれ以上持続しない。資料作成には相変わらず時間をかけるようにしているが、時々は過去分の「編集」だけで済ませられるようにもなってきた。蓄積も力なり。

資料作成の最初は、「外枠」作り。呼んでくれたカンファレンスやセミナーの名前やロゴを使って、パッと見でどこでやったプレゼンかが分かるようにする。この「形」作りがないと、没頭できない。まず形から入るのは、必ず右足から風呂に入るのに似ている。なんだかそこが決まらないと落ち着かない。

だから、カンファレンス名がしっかりしてなかったり(恒例だったりして、どこまでがメインでどこまでがサブか不明のものは結構多い)、セッションIDが残念なもの(例「パ01」とか無味無臭すぎなもの)だと、途端にテンションが堕ちる。で、1時間程うだうだして、気を取り直して作り出して、朝を迎えるのが通例。そして、更に行きの電車の中で1ページ位は足してしまう。

足してしまうのは、時間の読みが甘いからだが、参加者の情報が全くないか、沢山あるときに、色々と盛り込む傾向がある。情報があると色々とサービス精神がモゾモゾし、足りないと仮想敵国(敵ではないが)への攻略法をここかしこへと備えてしまう。

だから来てくれる層の情報をくれるところとはやりやすい。会場の様子を事前に色々と教えてくれるのも嬉しい。広いところではどこまで歩き回れるのか、狭いところでは白板が使えるのか、プロジェクタはどこまで大きいか、拡大して見せるためにはどうすれば充分か。同じテーマで話すことが多いので、話したいことにブレがない分、環境や客層に気が向く。そうした配慮というか準備が不足しているイベント屋さんと組むと結構不機嫌な顔をしているようだ。

ツールは、IllustratorでPDFを作成し、それをInDesignで組み上げる。PDFは単体で使い回せるし、Illustratorがない人にも配布できる。再構成する際にもリンクを変えるだけなので、比較的楽である。でも、PowerPointで同じようなものを作るのに比べ三倍ほどの時間をかけていると思う。その理由は、プレゼン中に拡大できるから。その一点に尽きる。ベクトルで作っている限り目一杯拡大してもぼけない。気持ちがいい。Flashに惹かれたのもここからだった。ビットマップ系の拡大するほどピンボケ化する画像に感動を感じない。

PowerPoint2010がトランジションなどをApple Keynote風にできるようだけれど、実のところそんな表層系よりも、如何に内容を的確に伝えられるか、という役立つ機能をもっと充実させて欲しい。拡大縮小もそうだし、目次作成機能もそうだし、現場で使えるスライドマスタをデフォルト(標準状態)にするのもそうだろう。

物事を分かり易く伝えるには、俯瞰図を見せてそこから絞り込むという方法が気に入っている。通常倍率で一旦見せて、ドリルダウンして説明を加える。随所にキーとなる話題を隠し持っておき、客層やテーマによって文脈を切り替えられる点も、詳細に描き込んだものを一枚用意して拡大縮小を繰り返す方法の長所だろう。

拡大縮小を繰り返す以上、最大化してPDFを使うことができない。AdobeはPDFを紙の代わりと思っているようだけれど、そもそもの「紙」の概念が変わってきているように思う。そしてそうした用途の変遷を考えると、今のユーザーインターフェース(UI)はかなりミスマッチであり、操作性に欠ける。そもそもアイコンにセンスが感じられない。

まぁそんな口を開けば文句ばかりなのだが、使い続けている。代替品がないのがその理由でもあるけれど、馬鹿な子ほど可愛いという面も否定できない。そんなツールを時によっては使い分け、講演の場に呼ばれたら、基本的にお断りすることなく日程調整する。そして毎回何かを学ばされる。

先日は、PowerPoint、PDF、Keynoteという三種のツール競演でのパネルディスカッション。実は、綿密な打ち合わせなしで演るのが一番難しいのが、パネル。誰かの独演会になっても駄目だし、三者三様でもイマイチ、筋書きありきも興を削ぐ。共通のテーマに登壇者全てが絡んでこそ、聴いている側にとっては面白い。実は東京でやったものの京都での「再演」という形ではあったが、出演者にとってはかなりのリターンマッチ感。東京場所が失敗とは言えないが、もう少し打つ手があった。そんな反省を各自が随所でしていて、しかも何が飛び出すかの事前打合せはかなり軽めで臨む。

別に相手を打ち負かすような内容のものではないのに、キチンと聴衆に届けたいという静かな闘志がひしひしと伝わってくる緊張感のある舞台(長テーブルだけだったが)。理論、現時点、少し未来。三人がそれぞれの軸足を定かにして、聴衆に語りかける。なんと三人が三人とも、お隣が話している間に、自作プレゼンにその場で何かを足して、話を進めた。

有線LANが1本しか与えられなかったが、私がAirMacを持って行っていたので、ネット上の情報も自由に差し込みながらのライブトーク。誰かが引用しているものを、誰かが検索して入手している。久々に楽しい時間でした。

最後の質問の時間でも、誰も手を挙げてくれないので刺激してみた。「スタッフから『東京では質問がないのは当たり前だが、関西では質問がない=つまらなかった、ということです』と言われてます、何かお願いします」。会場からクスクスと笑いが漏れ、一人が手を挙げてくれた。

でも発せられた言葉は質問ではなく、コメント。他のセッションではなく、ここを選んでよかったという賛辞。彼女が受け取った内容を要約し、今後の展望まで含まれていた。報われた感が込みあげてくる。やってよかった。いつもはアンケートという紙の形で批評に触れる。知人がいても遠慮して真実なんて語ってくれない。フェアな感想が紙ではなく、耳で聴けるなんてレアで幸せな体験なんだろう。

こういったライブ感がプレゼンへの意欲を刺激するのだろう。「スーパーエンジニアへの道」で、ワインバーグは「学びたければ教える立場に就け」と言っている。まさに語る側が多くを得た感が残る。精進精進。

▼mitmix@Amazon-スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4320025636

[135] CMSな人:RCMS、SOYCMS、TYPO3、eZ Publish

2009/10/22 14:00  

サイトのデザインをするということは、見栄えについての悩みを解消するだけにはとどまらない。文字通り、「デザイン=設計」であり、様々な事柄の設計を担当する。開店前に、開店後の日々の状況を考えるのも、そのひとつ。「運用」は大きな課題であり、先読みして負荷軽減を図らないと、みるみるサイトが劣化してしまう。情報は鮮度が命、Webサイトでは運用がその動脈である。

そのサイトという生き物を支える骨格が、運用システムであり、広義のCコンテンツ・マネージメント・システム(CMS)と呼んでよいだろう。CMSは手作りの独自システムから、製品、オープンソース(OSS)まで、値段も機能も千差万別である。自分達の運用体制に適したものを探すこと自体が難しい。

クライアントにとって難しい領域は、即ちWeb屋が頑張る領域でもある。折に触れ提案を求められる。ということで、日々それなりの調査を重ねている。自分達の得意分野を押さえつつ、日進月歩の技術とコンセプトを追う。今回は、そんな中で出会った方々を軽く紹介したい。

■ 真摯な視線のKさん@RCMS

先輩社員から伝え聞き、デジクリ読者の方も絡んでいたので、勉強会に参加した。会場は、SINAPさん。外見は普通の住宅なのに、中はまさに絵に描いたようなデザイン会社。足を踏み入れるだけでワクワクする。

そこで語られた「RCMS」は、「世の中の9割のWEBサイトはシステム化できる」というコンセプトの下に開発されたもの。サイトに行けば実感するが、主としてSaaS型のもの。インストール等の手間から開放され、様々なサポートがオンラインで受けられる。何より感心するのが、その試用版のラクチンさ。少々情報を入力したら、約5分でサイトが出来上がり、管理画面へのログイン情報とともにmailで連絡が送られてくる。

コンセプト的なお勉強はした方がいいし、細かなカスタマイズにはSmartyをかじっておく方が良い。それでも、サイト内にある動画やマニュアルでかなりのことが自習型体験が可能なようにできている。

勉強会での説明は、派手目な演出もなく淡々と進む。でも質疑になった途端に視線が変わるのに気がついた。質問者の目を見る姿勢が真摯。できること、できないことを明確に分け、じっくりと説明してくる。まさにマンツーマンのサポート。なんだか良い。サービス精神に溢れたサイトの原点なのだろう。

▼CMSならRCMS - あらゆる要望に応える最強のCMS
http://www.r-cms.jp/
▼SINAP - 株式会社シナップ
http://sinap.jp/

■ ニーズが聞きたくてたまらないFさん@SOY CMS

会社にわざわざ来てくれたので勉強会に参加。「SOY CMS」。実装可能かを問うたびに、それ作りますという答えがすぐさま返ってくる。いやいや大丈夫かいと、こっちが心配するほどにアグレッシブ。ユーザが望むもので理にかなっているものなら、瞬時を置かずに実装してしまわないと気がすまないみたいだ。

物腰も柔らかく、そして若い。私のようなオジサン世代にとって、プラグラマブルな方というのは、どっしりとして話ベタなイメージがあるのだが、真逆の位置に感じる。だって作れるんだもん、作ってしまいましょうよ。そんな元気な声が聞こえてくる。

サイトに行くと、元気でシンプルな画面が目に飛び込んでくる、デザイナとの親和性の良さは、ググれば随所に書かれている。既存サイトの移行も比較的容易という点も嬉しい。しかもOSS。

▼使いやすい!簡単便利で高機能なSOY CMS無料で公開中
http://www.soycms.net/

■ 惚れ込んだんですとオーラを発するSさん@TYPO3

mixiマイミクの日記から辿り着いたCMS、「TYPO3」。最初の勉強会は、マンションの一室。ホントにここでいいのかと疑いながらドアを開け、結局終電まで色々と話す。日本では未だ知名度は低いけれど、欧州でのシェアは高い。

TYPOスクリプトでかなりかゆいところに手が届く(そうだ..未だ体感できるところまで勉強が進んでいないので伝聞)。別言語を憶えなければならない敷居の高さを嫌う人も多いけれど、最終的に色々と手を加えて行くのであれば、何かしら憶えなければならないのではないかと思っている。「色々やってもできない壁」と「色々と勉強すれば何でもできる」のバランスが鍵だろう。製品自体も、本体のエンジン部分と、プラグイン部分とに大きく分かれ、プラグイン部分の開発が作り手の腕の見せ所。多元語系で発達した経緯からも、その辺りの配慮も強め。

ご本人は、英語ができないというが、マニュアルや教本系の充実度は、圧倒的に英語と独語。これをモノにするのに、言語の壁を避けられる訳はなく、凄い努力を重ねたと創造するのだが、どこか飄々としている。

プレゼンも、はにかみながら人見知りっぽいという印象。人と話すよりもコードと格闘している方が好きなのかもしれない。それでも自分の壁を越えようとチャレンジを続けている動力源は、TYPO3への熱愛なんだろう。

ちなみに、製品名はタイプミスから来ているのではなく(笑)、タイポグラフィが由来。で、Versionが上がっても「TYPO3」で行くようである。現在Ver.4に向けて開発が進んでいる。

▼CMS TYPO3 スタイルチューン株式会社
http://www.typo3.ne.jp/

■ ヘタレですからと謙遜する眠らないエンジニアFさん@eZ Publish

TYPO3つながりで知ったCMS、「eZ Publish」。最初の勉強会では、短時間で実際にblogを作って見ましょうコースを実演。最初に言った時間を少し越えてしまったけれど、作りきった手さばきに熟練プロ根性が見え隠れ。でも、タイピングの手を止めずに、私はヘタレなので...と謙遜する。彼がヘタレならと思うと、もっと頑張らねばと思ってしまう。スケジュールを聞くと、日本中を飛び回って伝道している。なみのタフさではない。

次に凄さを感じたのは、TYPO3の勉強会。キチンと競合分析をしている姿が新鮮。いつも使い慣れている製品のベンダーは、理由は分からないが競合製品を余り見ていない。でも、ユーザは色々と試行錯誤しているものである。それを実際に分かっているのだろう。しかもTYPO3のSさんとも仲が良い。シリコンバレーで競合エンジニアがバーで談笑するような感じ。正攻法で情報交換している姿は清清(すがすが)しい。

▼eZ Publish - Open Source Enterprise Content Management System (CMS) for web content management solutions
http://ez.no/jp

さて、我がbA<* http://www.b-architects.com/ >は、クライアントに合わせた、最適な個別コミュニケーションの手段としてのデザインを提案/実装する会社だ。クライアントの状況、対象ユーザ、伝えたい事柄などを、一つ一つ絞り込み吟味して唯一無二の実装を行う。だから企業ブランドと合致した多くのサイトは、少なくとも他のサイトよりも寿命が長い。根幹にブレがないと、古びない。

それでも、いや、それだからこそ情報の汎用化には取り組まざるを得ない。様々な情報の形や大きさを、毎回異なる形でユーザに提供するのは、学習効率上よろしくない。同じ意味のものは同じ形で、似た意味のものは似た形で類推を喚起する必要もある。

情報の独自性と汎用性。このバランスは、おそらくどのような情報提供の場合でも考えなければならず、弊社は前者から取り組み、CMS業界は後者から取り組んでいっているのであろう(余り知られていないが、MTはかなり強い。エンジンよりも拡張の方がでかい納品物も多い)。

共通しているのは、お役に立ってこそという気概。ユーザ(利用者)がどうして欲しいのか、クライアント(発注者)は何がしたいのか、そこに対する姿勢。誰が喜ぶのを良しとするか。

CMSというシステム自体の比較も面白いが、それぞれを背負って立っている人の姿も味がある。そして良く見ると、そのひととなりが製品にも出ているような気がしないでもない。

グラフィックデザインという分野の方が、ぱっと見の存在感はあるのだと思う。しかし、敢えて伝わりにくい「情報の仕組み」に取り組む人たちが居る。会社ごとにそれが異なる手順で行われていることを百も承知で、それでも情報の仕組みの「あるべき論」を忘れずに挑んでいる。そして、様々な見せ方もある。論理説明あり、動画あり、アニメーションあり。デモや体験環境の提供。多種多彩なアプローチの仕方そのものも面白い。

恐らくCMSは、どれが一番巧く作られているかランキングではなく、どれが一番自分にフィットするかランキングが重要になっていくものだろう。つまり、製品比較をしている過程で、否が応でもクライアントは自分調査をしているのだ。私たちはどうやって情報を提供しているのか。そこもWebサイトデザインの開発プロセスで同様に問われる点である。どこか緊密な融合も睨みつつ、協走は続きそうである。精進精進。

以上。/mitsui

【みつい・ひでき】 感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
時間がなくて、電車でタイピング。レノボに変わったThinkPadが諸々不便。月曜日はデジクリ、それ以外は基本仕事。杖をついているおかげで座れる確率が上がった。けれど、ボーッとしたくもあり。最近の取組みは、朝型への人格変革。夜を早められないままだと破綻する。朝日を見よう、と。今まで成功したためしがないことにチャレンジ中。眠い。

[134] バリュー・プロポジション(value proposition)

2009/10/15 14:00  

「バリュー・プロポジション」という言葉がある。日本語訳はどうも定訳はなく、ニュアンスを伝えようと色々と苦労中というところ。「価値命題」「顧客提案価値」「お客様にとって価値のある提案」などなど。

正式に学んだ訳ではなく、読みかじりで脳内自由解釈をしている最中なのだが、本の中(何故だかWebではない)で目に留まり、脳内で絵を描いて、それを気に入った。3つの円が少しずつ重なっているもの。それぞれ、「顧客が求めている価値」、「自分達が提供できる価値」、「競合が提供できない価値」を表している。つまり3つの円が重なっている部分は、「顧客が求めているもので、競合が提供できない、自分達だけが提供できる『価値』」ということになる。

3つの円を描き、概念をつかむのは簡単な作業だ。けれど、その意味することろは中々深い。最近提案案件を抱えるたびに考える。

■「顧客が求めている価値」

クライアント(発注者)とエンドユーザ(利用者)を混在して「顧客」と呼んだ方が面白い。例えば、クライアントが求めている価値。コンペ形式で呼ばれる場合には、「提案依頼書(Request For Proposal:RFP)」が基本的には存在する。文字通り提案して欲しいことが書かれてある訳だが、それが文字通りになっていないことが、Web界の面白いところだ。

自分の価値を高めるためにどこを伸ばせば良いかという問いに、明確に答えられる人がどれほどいるのだろうか。どこを伸ばせば良いかが分かっていれば、おのずとその答えの近くまでは自力で辿り着いている場合が多いように思う。

どの筋肉を鍛えたいかが分かっていれば、そのトレーニング方法は幾つかに絞れていて、あとは体力や生活リズムや嗜好性で決定していける。でも体力を付けたいとか、元気になりたいという総合課題になると、食事療法なのか生活改善なのか筋トレなのか、選択肢は複合的に増大する。

売上を伸ばしたいという課題に対しても然りで、もう少し命題を絞っていかないと、短期間コンペで選ぶ側も困るだろう。困ってしまっているのは、色々と改善&新規提案を語っても、結局トップページの見栄えで決まってしまったりするものが根絶しないところからも読み取れる。

C(コンシューマ)向けばかりではない、B(ビジネス)に目を向けても、状況は変わらない。生産性を上げたい、作業効率を高めたい。そもそも、「生産性」を計る指標が定まってない状況で、それを求められても、多くの異なる立脚点に立つ提案が乱立するのは自明である。

Cには「売上」という絶対的な尺度があり、広告代理店的な指標も各種あるので、ある意味まだましなのかもしれない。Bはもっと指標が少ないというのが現実だろう。ある特化した作業の効率を上げたところで、その作業がいつまであるのか分からない。個別最適はできたとしても、全体最適を考えたら、もっとよりよい手があるだろうと思ってしまう。更に、社内教育やサポートが行く手を阻む。作業効率は高めたいが、マニュアルを更新するのは嫌だという意味不明のリクエストが根強い。全体最適を考えたら、何かを変えたら全部に影響は出る。その覚悟がなければ、総合強化にはつながらないと分かっていながら、実施や社内調整を考えれば腰は重くなくのだろう。

利用者にしても状況は似ている。何が自分達にとって価値あるものかを、その製品やサービスを手にする前に考えさせるのは難しい。基本的には、「それ」なしで生活できているところに、「それ」を押し付けていく作業で、押し付けられて良かったと感じてもらうことが求められる。そして「それ」が定着したら、ない生活を想像できないくらいに深く必要としてもらいたい。例えば、パソコンもそうかもしれない、ほんの20年前、あったらいいなぁと夢想していたものが、今やなくてはならないと思っている人はかなり多い。

育児中、「アメ」が欲しいという子に対して、「実はヨーグルトが欲しいんじゃないの?」とピンとくることがあった。発せられた言葉が的確だとは限らない、要求してくる言葉だけではなく、その子がどれくらい疲れているのか、これから何をしようとしているのか、その時に何が必要なのか、今までの嗜好性から考えるとどうなのか。幾重もの思索をめぐらせて、いくらかギャップのある提案を返す。もちろんハズレの場合もあるけれど、嬉しそうに「ボクのことをよく分かってくれるね」と受け取ってくれるのは幸せな瞬間だった。これは、他の家の子たちの母親もやっていて、「どうしてそれが欲しいと分かったんだろう」と驚かされる場面だ。

分析のスキルとも言えるが、「顧客が求めている価値」の本質を見抜く作業は、単なる洞察力だけではなく、例えば業務知識も要求されるし、日常の普通の感覚も求められる。どこまで彼らの立場に立てるか。やり甲斐のある部分だ。

■「自分達が提供できる価値」

こっちも難しい。顧客が自分の立ち居地を正確に把握できないように、自分達も自分たちのことを正確には理解できない。特にこれだけ技術革新速度のある領域では。今自分達が持っているモノが、どこまで根源的なものなのかが分かっていないといけないことになる。

Photoshopが使えます、Illustratorが使えます、Expressionが使えます、ではない。それ自体が「提供できる価値」ではないからだ。いや、それを価値としてしまっては、価格競争に立ち向かっていくしかないと言った方が正確かもしれない。「ツールが使いこなせます」では、誰かが指示するので安く作ってくださいね、という依頼がいずれ来てしまう。この人(集団)に頼んだら良いものが出てくるという信頼感も構築していく必要がある。売り物はオペレータ技術ではない。

「ツールをどう活用するか」を強みにしていかなければ、先がない。だから、プロはツールの最新版に余りこだわっていないのだろう。古いものでも充分に戦える。最新エフェクトにCPUをゴリゴリと喰われるよりも、エンジンむき出しのシンプルなものを使いこなす方が、実は効率よくいいものができたりする。

余談だが、ツールベンダーは「使い手達」を余りに無視している。この辺りに今後も使い続けてもらえるかの分かれ道があるのだろう。ツールが使い手よりも目だってどうするのだろう。昔DECという会社は、様々なアドオンを開発してくれる会社達とうまくやっていた。しかし、良い機能が開発されると、次々と自社製品に組み込むという戦略に舵を切った。今思えば、いいものを何でも欲しがる若気の至りである。その結果、DEC製品はますます強力になっていき、DEC社内は開発者にとって使い勝手の良いツールに溢れ、あたかも技術者天国となった。しかし、しかし、仲間であったはずの協力会社にお金が回ることは減り、彼らが去り、DECは孤立して行った。協力会社は一番の利用者でもあったのだ。開発能力がそのまま価値にならない場合もある。「自分達が提供できる価値」を見誤った哀しい例かもしれない(DECはその後、Compaqに買われ、そのCompaqもHPに買われた)。

■「競合が提供できない価値」

これもまた難しい。常に競合を見ていないとできない。「これはあそこには提案できないだろう」と瞬時に判断できるためには、日頃の鍛錬は欠かせない。そして方法は2つだろう。アンテナを強くするか、アンテナ数を増やすか。

アンテナを強くする方法は増えている。最近ではtwitterなのかもしれない。わざわざその人に会いに行かなくても、未編集のアイデアレベルのツブヤキが手に入る。すごい時代になったなと思いつつ。日々他人を監視していて、人生が終わってしまう危惧もなくはない。自分で考える時間が次々と侵食されていく。でも、誰かが危惧や不安を感じたら、それほど経たないうちに新しい何かが生み出されて使われる時代である。期待しつつ耐えよう。

そしてアンテナの数。会社という枠は徐々に希薄になってきている。ツブヤキを共有できることとも相まって、それなりに意識を共有できる人たちが増えている。輪が広がっている感じ。でも、ビジネスにおいては一緒に歩める仲間が必要。経済的な部分でも信頼できる仲間。ギブアンドテイクが文字通り定着できる仲間。そこからの情報が何より支えあえる。

「これはあそこには提案できないよ」と自分達が戦う焦点を絞っていける話し合いをするときに感じる鼓舞感(?)。「ここでは俺達は負けないぜ」と言える自分達の強みを活かせる領域に持ち込める提案の構築を進める高揚感。「これ絶対気に入ってもらえるぜ」と顧客の笑顔を狙う純粋さ。「この提案すげー」と言ってしまう単純さ(笑)。「お客様にとって価値のある提案」を求める道は、険しくも愉しく遠い。

以上。/mitsui

[133] 時間とともに走る旅

2009/10/08 14:00  

ドラッカー曰く「買えない。雇えない。価格もない。簡単に消える。貯蓄もできない。したがっていつも不足している。他のものに代替ができない。しかも、人間に付きまとって離れない。これなしで生きるのはむずかしい。それが時間である」。[注1]

Web屋になって想う事は、時間に振り回される人生が続いているなぁ、ということ。クライアントの時間、会社の時間、チームメイトの時間、ユーザの時間、身近な方々の時間、家族の時間、自分の時間。その制御に成功しているかと問われると心許ないとしか言えない。

なぜいつもいつも追われている感覚があるのだろう。あと何分でこれをしなくちゃ、あと何日でこれをロウンチ(公開)しなきゃ。毎日毎日カウントダウンである。秒針にお尻をつつかれながら作業をしているうちに、次から次へと追いかけてくるモノの影が大きく迫る。飲み込まれそうになりながら、かろうじてお尻を噛み千切られない毎日。

でも、紙一重でかわした経験は、次に生きている。どうなったら「よりヤバイ」かが何となく察知できる。危険だと鬼太郎のアンテナみたいに、何かが心の中でピンと立つ、ささやいてくる。その声に気が付かない程どうかしていることもあるのだけれど、後で考えても、あぁ何か兆候はあったと思い至る。

そうしたアンテナは経験でしか得られないものなのかもしれない。それに気が付いているから、「もの作り」をしないコンサルのみの人の話を信じられない。数日前に斜め読みした日経誌の記事を、さも自分の体験のように語り、机上の「あるべき姿」を説いているだけに見えてしまう。Webがそうした何も生産しない層の中抜き機能によって拡大していると信じているから、なおのこと腹が立つ。傷だらけの現場上がりのボクトツとした声に魅力を感じる体になっている。

デスマーチ(死の行軍)と呼ばれることが多い「アプリケーション開発」は、もはや「そんなものだ」という慣習と化しつつある。そこから抜け出すには、膨大な死の谷を歩んだ実経験こそが鍵ではないかと思っている。後方にいて、対する敵の大きさも恐ろしさも机上でしか経験していない人たちには、語る資格すらないのではないか。

死と直接相対する歩兵である必要はないかもしれない。それでも、前線に出た経験は限りなく重いだろう。その重き経験を重ねたとしても尚追われる感覚が抜けないのは、経験が足りないのか、戦術が悪いのか、頭が悪いのか、それとも戦場が余りに広いのか。

時間を管理しようと挑むのは、考えてみれば年中行事だ。聖夜から年末にかけて、その年の成果と傷と反省とを見つめる。年が明けたら、今年こそ効率よくしのいで行こうと心に決める。手帳や時間管理の方法論に触れ、毎度あたかも初めて知るかのような感動と反省を覚える。1ヶ月経った頃、すでに1/12を経過した事実を重く捉えるフリをする。誰に対してでもない、自分で自分を焦らせる。そして3ヶ月経った頃、再度自分の非力を嘆き、方法論を探す。たいていの本は基本的に同じことを書いてあって、「激励」部分のない「叱咤(しった)」のみに読み解ける。そして半年経ったところで、今年が半分終了したと嘆き、9ヶ月で慣れっこ無感覚に陥る。「あと3ヶ月だよ今年も」と、つぶやきながらも、「打つ手」に鈍さが増しているのも実感する。そして年末、最初に戻る、というループ。

これだけ情報に接していながら、時間を操る方法に辿り着いていない。きっと、それが一番大切な情報なんだと気付いていながら、闇雲に情報を探る行為を繰り返す。頭の中に、情報に接することと生きることとの差異が余りない暮らしを願う自分がいる。

けれど、年を重ねるごとに、自分自身に対するもの以上に抱え込まざるを得ない「責任」が増えていく。父親として、家長として、家庭における責任。年長者として、各種リーダー格として、会社における責任。地域社会における責任。自分一人がちゃんとしていれば良い時代は過ぎていく。何を書いても、何を話しても、なにかしらが後からついてくる。

重荷として認識することも多いけれど、それを糧とする自分もいる。縛るものは、邪魔であるだけではなく、自分を成長させてくれるものでもあることを、今までの歩みの中で知っている。負荷をかけないと筋肉は強まらない。うとましいけれど、それを避けてばかりでは、生き残れない。ピンチとかチャンスとか、後付で命名はされるけれど、どれも貴重な一瞬に間違いない。

いつか時間を追い越しているような感覚を持てるのだろうか。明日が来るのが待ち遠しい。早く来いよと待つ感覚。ワクワクしながら待ち構える。そして待つほどに、こちらにエネルギーがみなぎって来る。そんな夢のような状況。

そんな夢のような状況を生む秘訣とは何だろう。やはり、計画なんだと思う。先を読み、先手を打つ。迎え撃つように構えることができるように策を講じる。「マネージメントとは、先ず時間を管理することである」。再びドラッカーの言葉である。できない身に沁みる。でも、そうなりたいと願う。

そんなことを考えると、「管理」とは、ペットのように飼い馴らすことではないように思えてくる。決して牙を抜くことが必要なのではない。時間をおろそかにした結果の恐ろしさは保っていて欲しい。それでいて、どこか信頼感のある、「共存関係」を築くことが「時間の管理」なのではないだろうか。獰猛のまま、それでいて傍にいて欲しいという変な関係。隙あらば利用してやるという「強(したた)かさ」。

ただでさえルーズな私が時間を制することはないだろう。でも上手に伴走していきたい。無限にかけれる時間はない、かけられる時間内にどこまで品質を上げられるか。そんなことを考えながら付き合っていくと、何か違うところに辿り着くように想う。そう、もっとよりよい伴走パートナーとして。

注1)もしかしたら枝川公一氏自身の言葉かもしれません。
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[132] Web道、武士道、静と動

2009/10/01 14:00  

Web屋さんって、武士のようなものかと思うことがある。戦時においては素早く動き、平時においては地道に備える。田畑を耕し、自らの生活の糧を育みながら、武器を研ぎ、馬を鍛え、腕を磨く。常に戦時ではない、常に平時でもない。そんなところも似ていると想うのかもしれない。

そんなことを考えながら、パソコンを見る。これは「馬」なんだろうな。これがなければ始まらない。歩兵戦を蔑視する訳ではないけれど、歩兵戦だけでクリアできる合戦は少ない。機動力は、そのCPUとメモリと、備えておいたアプリケーション。最近の悩みはいい馬が減ってきたこと。馬に載せる武具は広がっているにも関わらず。

基本的なノート馬暦は、VAIO、Let's Note、ThinkPad、PowerBook、PowerMac。Macは基本的に室内馬(家)で、外に持っていくことは出張時くらい。Adobe製品は、Windowsで揃えているので、武具に頼る戦いは、Windowsでしのいで来た。

馬を買ってきてすることは、前の飼い主の癖を抜くこと。余計で華美な動きが最近の馬には多すぎる。殆ど素(Windows)の状態にする。色々と調べながら引っこ抜く。最近はリカバリー機能が付いているので、購入時(出荷時)レベルには戻しやすい。逆に素の状態+最低限ドライバの状態にしてくれる機能拡張が欲しくてたまらない。買ってきてワクワクしながらする最初の作業が削除だなんて、やってる自分で少し空しい。売り手は、買い手のニーズをもう少し理解して欲しい。

そこまで済んだら、必要最低限のアプリを入れる。基本的にはブラウザとフリーソフト群。鍛えぬいた、というか手に馴染んだ設定を持っていくことも大切な作業。ここ数年で、ブラウザとそのアドオンでかなりをまかなっている感が強い。選択する苦労があるけれど、そこは情報でなんとか軽減化して、お金がかからないことを喜ぶ。

為参考)mitmix :: Add-ons for Firefox
https://addons.mozilla.org/ja/firefox/collection/mitmix

多用しているのは、画面キャプチャのFireShotと、CoLT。CoLTは下記のように設定するのがミソ。URLとタイトルの組合せを右クリック一発でコピー:

▽CoLTの設定:
 1) PlaneText = %T%N%U
 2) TitleOnly = %T
 3) HTML+URL = <a href="%U">%T</a><br>%N%U
 4) HTML+target = <a href="%U" target="_blank">%T</a>

馬(パソコン)と武具(アプリケーション)と諸設定。そこに過去のデータを合わせれば、新しい戦いをする際にかなり楽になる。何もない「0」を創造する力よりも、「1」から「2」や「3」を生み出す方が何かと早い。一度踏んだ生産過程はそうそうは忘れないし、そこに過去財産が残っていると、更なる加速装置として支えてくれる。

かくして馬の数よりも、武具庫(外部ディスク)が増えていく。価格低下もあいまって、整理するよりも先ずは保存。馬固有の武器庫はすぐに一杯になるので、サンダーバード2号方式をもくろみつつも、整理が追いつかない。未整理の武器庫がまさに段々と積まれていく。

なので、定期的に棚卸しをする。プロジェクトの整理、ファイルの整理、参考資料の整理、作例の整理。パワポやイラレでお気に入りの表現は、再利用できるように日頃から集めては整理して、微調整して、をチマチマやる。

武具が錆びつかないように研ぐが如し。侍が静かに研いでいる姿はさまになって格好いいが、作例の整理は余り美しくない。それでもこの作業を怠ると、次の資料作成がはかどらない。忙しい時に限って、未整理資料の中からゴソゴソと探すことになる。地道に堅実に、と3~6ヶ月に一度は振り返る(ように努める...)。

自分の馬や武具を備えた武士が集まると、自然とノウハウ共有が進む。最近は白板にマジックで書くことも続けるけれど、モニタやプロジェクタで情報を写しながら議論することも多い。用意したスライドだけを映すのではなく、議論に合わせて、ブラウザでサイトを見たり、エクセルで課題管理をしたり、ワードで議事録を書いたり、Outlookで会議依頼をその場で出したりする。

当然、衆目の中での操作になる。そこで適切な情報提供と情報操作がなされれば、会議が進むだけでなく、ノウハウも盗用共有されていく。MS嫌いで生きてきたせいか、Office系の使い方は未だに月に一度は新しいものに遭遇する。よくぞここまで分かり難く奥にしまい込むものだと逆に感心する。だからこそ、手練(てだれ)の早業を見せ付けられると、その操作自体にまた感動する。

同じプロジェクト内の侍ばかり、基本的に必要な情報整理方法は似てくる。だからこそ、効果的な技はその群れの中で有効に機能する。さすがに、Office勉強会と銘打っては気恥ずかしいし、わざわざ実施するのも情けない。現場の他流試合のようにプロジェクトの中で披露し合った方が効果的だ。別にOfficeばかりじゃない、PhotoshopだってIllustratorだって。互いの武具を見せ合って、鍛えていく。教室みたいに「ここは大事ですからね」とか誰も言ってくれない。勝手に盗む。見えなければ、「も一回やって」と頼む。それができる集団が強くなる。

そして、手練の武士達が集まると、共同作業の効率が問われてくる。連絡方法やその記録の仕方、情報の置き方から、過去情報の退避の仕方。更には大量生産のための独自ツールやそのノウハウ。ツールを作り込むこともあれば、ルールという決め事で解決する場合もある。

一定の方法で何かがなされることが分かっていると類推が効く。あのプロジェクトのあのドキュメントは良かったから参考にしよう。思い立ったら探し当てられる。ここでも個々が整理されてるというポテンシャルが効いている。

でも、皆が類推できるようなルールを作りつつ、更にそれを改良しようと狙っている。一度作ったものが未来永劫ベストであり続ける訳がない。そんな信念に近い何かも共有されている。もっと良いものがあるに違いない、もっとうまいやり方があるに違いない。そんな体制が、クライアントに変化を提案し続けることができるチームなのかもしれない。

「転がる石に苔(こけ)はつかない/A rolling stone gathers no moss.」ということわざ(?)を思い出す。二つの意味を持つことで有名な言葉だ。苔(moss)を良いものだという立場では、「じっくり腰を落ち着けてやらないと本当の実力はつかない」。苔を悪いものだという立場では、「活動的な人には常に新鮮さをたもつことができる」。自分達の作ってきたルールや仕組みが苔にならぬように、後者の意味で走り続けるべきだと思いたい。

そして苔も付かない活躍をする武士群には戦略が要る。ただし、戦い方ではない気がしてきた。最近読んだ本に、「戦略とは『戦いを略す』と書く」とあった。無駄な戦いを避けることこそが、大切なのかと思い始めている。ふり返っても、なんと無駄な戦いが多かったことか。あの諍(いさか)いがなければ、もっと先まで行けたのに。まさにブルーオーシャン戦略だ。

為参考)mitmix@Amazon - ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する (Harvard business school press)
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4270000708

特に時代劇が好きな訳ではないけれど、戦時と平時がともに描かれているものには好きなものが多い。武勇だけでは胡散臭い、華々しい死は空しい、でも平時だけではなだらか過ぎる。静の中の動、動の中の静。それらが描かれているドラマで、静の中により深い想いや共感が得られるものが好きなんだろう。だから自分の業界も、職場も、環境も、暮らしも、そうあって欲しい。動はあくまでワクワクと、静は限りなく深く。

以上。/mitsui

名古屋で話してきました。最近短めのものが多かった中での50分間。前日の夜中になって、突然不安になって資料をupdate。約50枚、しかもパワポではなく、InDesignで。作りすぎました。覚悟を決めて腹を据えて話さないと、駄目です。話し手の不安はキチンと伝わることを実感。アンケートではほめて貰えたけど、自分自身が納得いかなかった。反省。鍛錬鍛錬。