InfoGraphics | comics | 電網悠語(DENMO-YUGO) | Webデザイン エンジニアリング(WDE) | ミルクエイジ | Faith | RIA関連ニュース | 電子書籍系備忘録

index of this page

[157] 片付ける/整理する/捨てる、私の中のデスクトップ

2010/06/24 14:00  

ディスクが慢性的に一杯になってきた。今まで、デスクトップにあったものを、定期的に下の階層の専用に分類したフォルダに入れて、更に複数ヴァージョンあるものは最新に絞って、などとやっていたのに、追いつかない。

年がら年中、片付けなきゃ、という罪悪感にも似たプレッシャーを感じつつ、散らかったデスクトップを眺めている。応急処置として、「misc」というフォルダを作ってしまったのも、状況を悪化させてしまった原因と言えなくもない。作って間をおかずに、「とりあえずの場所」に置いてしまうと、もはや手が付けられなくなる。

何度となく、はまった罠に再びかかる。身動きができなくなった状態で、自分の先送り決断を恨めしく想う。想えば、子供の時からずっと繰り返している。

最終手段は、HDDをつないで、とりあえずバックアップ。マシンを一時的に軽くしつつ、二度と整理をしないんだろうなぁと思えるデータの巨大な塊を見つめる。いつか使うから、と保存しておきながら、5年見もしないファイルがある。5年使わないものを、今から使うことがあるのか、と笑うもう一人の自分を感じる。整理されていない500GB単位のHDDが、数個リアルな机の上に転がっている。

そんな片付け方をしながら、「片付ける」の語源が気にかかる。Twitterでつぶやくと、答えが返ってきた。「片側に寄せる」でしょう、と。なるほど、本質的に減らしてはいないのだ。料理のまな板の上が狭くなったときに、正に寄せるだけ。総量に変化はない。ただ、その一瞬、作業がし易くなるだけ。それを「片付け」と呼ぶのかぁ。

色々と納得する。なんど片付けても、根本的な解決に至らない理由が、ストンと理解できた。そりゃそうだ、減らしていないんだから、減った訳じゃない。当たり前のことに漸く気付く。

子供の時から取り残してきたものもある。ボリューム的に大きいのは、書籍だが、時々その巨大な過去とか思い出という亜空間への入り口を(実際には単なるダンボール箱だが)見つめながら、残りの人生で何度これを見返すのだろうと想ってしまう。

恐らく数回しかないのだろう。必要なのは、本当の意味での「整理」。そして多くの場合、二度と見ないと見切って、捨てることを意味していると思えて仕方がない。

年齢が増え、メモリの少なさと、自分の行動パターンが分かってくると、良い意味での諦めがつく。持っていても無駄なものと、そうでないものとの差が透けて見える時がある。行き着ける先が何となく肌感で分かるようになって、捨てる勇気が出てくるものなのかもしれない。

で、今捨てているのは、先ずは「書籍」。情報を閉じ込めている「箱」。書籍だと理解させる「形」。「自炊(本を自ら裁断しスキャンしデジタル化する行為)」という形で、捨てる作業に着手している。情報としての価値は捨てられない。でも、形や箱として捉え直せば、思い切りもつく。

何冊か思い出の作品を壊してきて、幾つかのことを知った。やはり、本は本の形で何かを伝えるべく最適化されていること。そして、「形」としての美しさは、記憶がかなり補完してくれるということ。台詞や絵をまじまじと見なくても、ありありと情景が頭の中に再現される。

最たるものが、「2001夜物語」。買った当時から、何度も何度も見つめた。普通の白色インクではなく、青色インク。それを白黒でスキャンして、kindleで見る。私の網膜に広がっている映像は、多分同じ画像を見つめる子供達の脳裏にあるものとは違う。記憶が様々な何かを付加してくれている。思い入れがある情報は、再現の形には無関係なのかもしれない。

▼mitmix@Amazon - 2001夜物語 (Vol.1) (Action comics)
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4575930741

で、目の前にある狭い本棚を眺めながら、自分の中のデスクトップを想う。そこは綺麗に整頓されているのか、そこは残された時間の中で見返し活用すべきものだけに絞られているのか。

片付けながら進んでいる気がしてくる。ちょっと脇に置いただけで、何か満足して、一向にデスクトップが軽くならなくて、何か新しいことをやろうとする度に、何かが足元に絡みつく。

情報もスキルも、中途半端なものは、先まで持っていかなくても良い。この先のどこかで更に磨きをかけて、勝負をかけるタイミングのあるものだけに絞って身軽になりたい。

選択と集中。整理と破棄。そんなものの狭間で、断ち切れない郷愁が邪魔をする。でも、一歩ずつ、1バイトでも、身軽に。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]

[156] Web2.0、恥ずかしがっている場合ではない

2010/06/17 14:00  

Web屋的なポジションの人に、「Web2.0」という言葉に対して肯定的な反応を余り見ない。それは「ヤコブ・ニールセン」に対する反応と似ている。正しくはある、でも心からその主張に乗るのは、少し抵抗がある or 気恥ずかしい。

▼Jakob Nielsen博士のAlertbox
http://www.usability.gr.jp/alertbox/
▼mitmix@Amazon - ヤコブ・ニールセンのAlertbox -そのデザイン、間違ってます- (RD Books)
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4903065065
▼mitmix@Amazon - 新ウェブ・ユーザビリティ
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4844358928

技術者というカテゴリーの中では、世の中はもはや「ポスト2.0」であり、2.5や3.0などと呼ぶかどうかは置いておいて、少なくとも当時よりは先に進んでいる。でも、ちょっと待て、と思うことがある。

先日、「今」を「ツー・ポイント・オー時代」と称して、その特性を説明する講演に参加した。正直って、分かり易いなぁと感じる。時代の切れ目というか、節目というかそれを巧く使っている。実感を伴う現状があった上での、「こちら側」と「あちら側」とに二分された世界を軽く説明。その状況で、「クラウド」ってことさら大声で語ることにも風刺をこめていた(「あちら側」が何であろうと良いじゃないか、という趣旨)。

聞いている方々は、多分純粋技術者というよりは、技術者を使う立場の方々のように見えた。だから尚のこと、雰囲気としてもしっくり行ったのかもしれない。在庫という観点からロングテールは分かり易かったろうけれど、マッシュアップとか、サービス型とか実は一般の人にはピンとこない話だっただろう。その利用活用が漸く定着してきた感じがする。気構えなくても、当たり前にそこにある感じ。とすると、「2.0」の実体って、実は今あたりでちょうど良い気さえしてくる。

変な例えかもしれないけれど、竹の子みたいなイメージ。どこまでが「子」で、どこからが違うのか。境界線が曖昧で、単なる連続体。早く気付く人には、早くから認識でき、そうでない人には、既に成長しきってから気付く類の流れ。

でも、早くに気付いていることを価値に転化できる人は少ない。情報の流れがライフラインになって久しいとは思っているが、そう気付いていない人も案外多い。自分から取りに行かなくては何かのリスクを負うとまで意識している人は、更に少ないように思う。この業界で生計を立てるのであれば、スピードは命だけれど、利用者側からすれば、分かり易い状況で名前が付いてくれた方が楽かもしれない。

現実が肌身で変わってきたと分かる場合には、その変化を言葉で定義してあげると、より分かり易くなる。「あ~、そういうことか」と。言語化することが、人に伝えるためだとするならば、分かり易く伝えるのに越したことはない。分かり易い方が喜ばれもする。結局のところ、「伝わって何ぼ」と考えるならば、「2.0」という言葉を木っ端ずかしがっている場合ではない。

Webがコミュニケーションのメディアやツールであると言っておきながら、きちんと伝えることができないのならば、それは問題だ。きちんと伝わっていないことは日々の活動の中で実感している。かなりネット依存の生活をしている者がいつつ、全く無関係な顔をしている人もいる。

地震が起きれば誰よりも早く震源地と強さを言える者がいて、ネットの障害が起きれば何もできない状態で青くなっている者がいて、そんなことには左右されない生活を送っている人がいて。重なり合う、アンテナとスキルとデバイスの間で、情報は更に生活の中に浸透していっているように見える。

でも、ネットやネットありきの生活を語る言葉は未だ未だ不足している。発せられた言葉は多いけれど、響く状態にはなっていなかったものも多い。Googleの画像検索を眺めると、伝えるために発せられたエネルギーと、表層だけを伝える結果になっているものと、空回りの度合いや、様々な残骸が見え隠れする。

▼web2.0 - Google 画像検索
http://bit.ly/cMIiss

伝え切れていない部分は、担当者の世代交代という形で、この現場にいる我々を直撃している。そして、それは無理解というレベルから、一気に飛び越した先を求める動きになっている。

クライアントは、既にWebの専門家を求めていない。ビジネスの専門家を求めている。Webは単なるビジネスの一つのタイヤに過ぎない。大きいし、ますます大きくなっていくけれど、それでも一輪にしか過ぎない。そのことをポジティブにもネガティブにも熟考できるスキルが求められている。今まで大きな領域を占めていたものが、気が付くと小さな領域の特殊な能力になり下がっている。

2.0ブームの頃、分かっちゃいないよなぁなどと言ってしまった自分が今は恥ずかしい。様々な今までしなかった事柄を用意してクライアントと接する今になって、この状況につながる一本道のど真ん中にいながら目をつぶていたのかと反省している。思っていた以上の大波のど真ん中にいる。

で、その上で先をちょっとだけ読んでみたい。世の消耗品の多くは、生産側と消費側に二分されて成立してきた。小さい頃、玩具やお菓子がどこでどのように作られたかを気にしていた人は少なかった。最新の工場というブラックボックスこそが清潔で一番信頼性のある場所だったようにも思っていた。でも、今や違う。根こそぎ変わってしまった。生産者が表に立って、商品の安全性を語る時代である。

こちら側とあちら側、二分しての議論は楽だけれど、長続きするようには感じない。どこでどう作られているのか、それは大事な要素なのだと思う。それはなにもWeb屋やSIerの顔を出すという流れではない、どういったデータセンターを使っているのかから、どのようなコンセプトでエンドユーザと接するつもりなのか、いつかは隠しきれずに公にされる。

今起こっていることを、真摯に体系化して伝え残していく作業。それこそが、種蒔きを呼ばれる作業なのだろう。今度こそサボらずに良い種を蒔こう。次の大波が来る前に。今起こっている変化は3年後もしくは5年後には定着するだろう。その時に発してきた言葉が軽すぎず重すぎず根を張っているように。

以上。/mitsui

  • トレンド無視のマイブームは、MacBook/Kindleと自炊。やることあり過ぎ、才能なさすぎ。適切な武装が必要だ。
【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]

[155] Microsoft future vision:作業と仕事

2010/06/10 14:00  

疲れたときには、天を仰ぐ。突き抜けるような青空なら、尚のこと元気が出る。下を向いて、済んでしまったことをあれこれと考えるよりは健康的。上を向いたときに、首がゴキゴキとなれば、それは暫く上を向かなかった証。下ばかり見ていた証拠。下ばかり見ていて硬直している、色んな意味で。

そんな風に考えるようになったのは、ここ数年。このまま、ありったけを消耗して行った先に何が待っているのかが気になり始めた。どこまで辿り着けるのか、辿り着いた先はどんなか。

激動の中で、未来を描いてみることをサボっていたのだろう。次々と目の前に展開される未来の種に食いついて行くことだけで息が切れていた。目の前30cmの視野から離れないと駄目だと思い始めた。世界は50cm先にも、100m先にも、1Km先にも広がっている。勿論もっと遥か彼方まで。

だから、牛歩の歩みでやってきた映画の中のユーザインターフェース(UI)コレクション(=画面のキャプチャ収集)も少しは本腰入れ始めてる。SF映画に出てくるUIは、遠くない未来にやって来る。やって来なくても困らないかもしれないけれど、来て欲しいし、来なきゃ嫌やだ。あれらが魅力的なのは、単に格好いいだけじゃない。映画という、時間制限のあるなかで、正に一目でどんな機能を担っているのかを観客に分からせないと話にならないという使命を持っているから。この点で、1秒前後で判断されるWebと似ている。座って観ている者には分からない、過酷な制約なのだと思う。

そんなアンテナに引っかかってきたのが、「Microsoft Future Vision」。本音を言うと、MSの描く未来に興味はなかった。でも、これは色々と考えさせてくれる。数ヶ月前から、色々と観ながら夢想に浸っている。

▼ Microsoft Sustainability : Productivity, future vision
http://www.youtube.com/watch?v=HvA9lA7_5FE
▼ Microsoft Future Vision : Healthcare
http://www.youtube.com/watch?v=V35Kv6-ZNGA
※もっとあります。
▼ YouTube - Microsoft Future Vision(検索結果)
http://bit.ly/ck2zic

で、シーンを切り出して、現時点で実現するのはどうすれば良いかを考えてみた。驚くほどに、一つの課題さえクリアできれば、多くのことが今日にでも実現できるんじゃないかと思えた。それは、ディスプレイ。どこでもタッチパネル液晶というインフラが整えば、かなり自由な空間が広がっている。

大学のとき、キャンバスが買えなくて小さな絵ばかり描いていた。そんなことを繰り返している気さえしてきた。オフィス中が、街中が、UIを張り巡らせられる状況なら、どうなるのかと思い始める。

勿論人的な障壁はある。街中がキャンバスで、そこにVisualBasic風のボタンがぎっしり秩序なく敷き詰められたら、かなり苦痛だろう。定期券を買うのに、山ほどのボタンを押下(注)しなければならないとしたらウンザリだ。それらは、私の中では、技術や知識の問題ではなく、純粋に人の問題。センスのない人間が、そういったプロジェクトを率いることにこそ問題がある。

注)システム系の画面設計書では、クリックのことをこう記述する

正しい知識と正しいスキル、そして判断力。少なくとも1年後程度では陳腐化していない品質での納品を考える力。そんなプロジェクト管理が、どこでも液晶の世界に向き合えば、今すぐにでもかなり生活が変わるだろう。一時的には、ゴテゴテのUIも流行るだろうけれど、そのうちシンプルなものに集約されていき、目に見えて便利な世界が近づく。

流行もシステムも、風化するのは早い。あっという間に、古くなり、次の波がやってくる。だから、少し先の波を見据えるべきだ。今に満足するな、もっと先を見ろ、多くの先人達が口を尖らせて教えてくれている。親の小言みたいに、聞き流すのではなく、真摯に受け止めるべきなのだろう。

でも、正しいものの積み重ねが未来に確実につながっているとも言えない。今やっている作業を何万回繰り返しても、未来に辿り着けると思えない。野球でバントを何百回繰り返しても、点が入らないようなイメージ。

それは、今やっていることの単位が、「作業」だから。作業ができる人と、仕事ができる人とは違う。様々な作業を複合的に組み合わせたものが「仕事」。そしてその組み合わせ方に、人の妙が現れる。

単なる作業の累積の先に明るい未来はない。それは、単に「ご苦労さん」でしかない。でも、正しい仕事の先には、どこか納得できる未来が待っているように思う。少なくとも、思っても良い資格を得ていると感じる。だからこそ、いい仕事をしたいと願う人が多いのだ。良い作業の積み重ねではなく、良い仕事の積み重ねが、未来への階段なのだ。

そして、作業をお願いしたい人と、仕事をお願いしたい人も別。今はその間の格差が拡大している最中。更に更に大きく広がると思う。単なる作業労働者は山ほどいる。心を殺して作業に没頭できる才能も広まっている。そして、その拡大が、作業担当者を交換可能な状況へと加速させている。誰がやっても同じ作業にと細切れにされ、過当競争のレッドオーシャン状態だ。

▼mitmix@Amazon - ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4270000708

言われた作業だけを見る者、当たり前の作業だけをする者に、正論だけを語る者に、未来は冷酷な態度をとりそうだ。教科書通りにできることをやれても、誰も褒めてはくれなくなる。無理だと思えるようなことを達成することこそが仕事だと認識されていく。

今行っている作業は、近い将来更なる作業をお願いしたくなる状況へとつながっているだろうか。今勝ち得た作業能力は、仕事能力への一歩となりえているか。作業のレベルではなく、仕事のレベルで顧客の満足を勝ち得ているか。

仕事をお願いしたくなる者、あるいはそうした者にパートナーと思われる人でなければ、次の十年はどう考えても厳しい。足元も見直しつつ、天を仰ごう。未来は先まで続いている。

以上。/mitsui

▼追記:

この主題部分を、推敲のつもりでTwitterしたら、下記のような言葉が返ってきた。「作業ができる人は『自分は仕事ができる』と思い込み、仕事ができる人は『自分の仕事はまだまだだ…』と思っている」。なるほどと感心させられる。自戒もこめて、様々な経験を思い起こす。

▼Twitter / hasui: 作業ができる人は「自分は仕事ができる」と思い…
http://twitter.com/hasui/statuses/15744745456

言葉が反響していって、発した者まで感心しながら、広がっていく。何人かが反応してくれて、更に思考が深まる。一瞬だけ何人かが同じ事を、違うベクトルで考えてる時間が存在する。共鳴。いいこと&凄いことなんだと思える。

以上。/mitsui

[154] iPad狂想曲、頑張れニッポン!

2010/06/03 14:00  

どちらを向いてもiPadやiPhoneの話ばかり、おまけに来週はWWDC。漏れ伝えられている情報が多いけれど、やはり世界中が林檎色に染まるのだろう。

▼Apple Worldwide Developers Conference 2010
http://developer.apple.com/wwdc/events/

大きいだけとは言えぬ新しいUIを見つめながら、今までの情報操作の是非を問う。ブラウジングする行為を見つめる。情報を得るためにしなければならない操作の無駄さ加減を考える。本当に効率よく情報にアクセスできていたのか、と自問する。

綺麗にデザインされた、あるいはチューニングされた情報は見やすい、伝わりやすい。bAで学んだことの一つは、デザインするとは制約整理をすること。自由にする方向ではない、逸脱するものを制する壁を、如何に邪魔にならぬように、かつ気が付かないように張り巡らせるか。そこの巧さにスキルが現われる。

▼[bA] Business Architects Inc.
http://www.b-architects.com/

熟練したエンジニアが書く、プログラマコードに感嘆したのも思い出す。そこでそのように制御するのか、罠のようにユーザのデータの動きを漏れなく拾う。その巧みさを美しいと感じた。単なるインデントされた文字列を何時間も凝視しながら、いつかこんなコードを書けるようになりたいと夢見ていた。

美しさへのアンテナは、美しくないことへのアンテナにもなる。小さいことで言えば、壁にかかっている絵が左に5mm下がっていても気になる。最初は自分の目の錯覚かと疑うが、気になりだすと、他人の家でも、なるべくさりげなく近寄って修正したい衝動に駆られる。

多分そういった日常生活も含めた感性スパイラルが、少しは自分の感覚も磨いてくれたのではないかと思う。同時にもっと磨かれておけば良かったと反省する。もっと集中して更に深みに入っておくべきだった。そうすれば、今違うように物事が見えるような気がする。

時間をかけられなかったことではなく、集中の度合いだとも思う。与えられた時間にどこまで集中してきたか。一を見て、十を知るというのは、そういう事なのかとも想う。革新的なUIやデバイスを考案できるのには、きっと普通の人には見えないものまで見える眼力があるんだろう。

iPadを綺麗なタブレットと認識すれば、同じようなコンセプトのデバイスは他にもあった。電子書籍と思っても同じだ。でも、これほど熱望され、愛されるムーブメントを起こせたものはない。かろうじて思い出せるのは、やはりSONYのウォークマンだろうか。今ググれば、脳内印象とは違う残念感は否めないが、当時はあれが格好良くて、ロゴが輝いて見えて、欲しくてたまらなかった。

ウォークマン - Wikipedia
http://bit.ly/aPiny

きっと、人とは異なる眼力があれば、こうしたものを作れるのだろうと思ってしまう。だから、研ぎ澄ましておくべきだったのだ、感性を。こうした時代に活かすべき武器を。そうすれば、何かしらそうしたワクワクするプロジェクトに参加するチャンスが増えた気がしてならない。

しかし、と考える。ウォークマンを思い出すと、特に、ちょっと待てよと声がする。これが日本製でないことに、腹立たしく思っている人はどれほどいるのだろう。何もかもが海の向こうからやってくるじゃないか。別段、国粋主義ではないけれど、かつてのモノ作りニッポンの栄光は遠い記憶なのか、それともそもそも幻想だったのか、と思ってしまう。

自分が快適になることと引き換えに何かを失っていないのか。満足してしまうことで、何かに対する視力を失ってしまうのではないかと想いがよぎる。ピノキオが快適な遊園地から離れられなくてロバになっていく姿を思い出す。

▼mitmix@Amazon - ピノキオ スペシャル・エディション[DVD]
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/B001RPFHV4

先日、よくコンペで出会う競合会社の社長さんのお話を聞けた。100名以上を前にして、Blogをやっている人に挙手を求めたら、僅かに数人が恐る恐る手をあげるような状況での講演。それでも、使い勝手の追求で売上向上を狙うといったことがテーマのセミナーである。

そこで語られた事例は、Amazon、AppleやGoogleなど。いまやそうそうたる大企業である。Appleが時価総額でMicrosoftを追い抜いた数日後のことだった。

▼ついにAppleがマイクロソフトの時価総額を追い抜く、iPhoneが躍進に大きく貢献 - GIGAZINE
http://bit.ly/ajycTV

ただし、この成功事例の理由を、それぞれの会社の強さに求めはしなかった。結論は、「強い会社が勝つ訳じゃない、変われる会社が勝つ」。様々な試練の中で、どのように頑張り抜いたか、そのためにどれ程の自己変革を行ってきたのかを熱弁した。そして、それは彼らにしかできないことではなく、集中と選択を正しく行い、何かを徹底的に行い、何かを捨て、利用者の利便性を高め、自分達の強みを強めていったプロセス、いわば当たり前のプロセスだった。

Blogを実際に行っている人が殆どいない、実のところネットから離れていると言っても過言ではない人たちに向かって語りかけた熱い想い。言葉としては出てこなかったけれど、沈滞感とか行き詰まりを感じている暇があったら、自分達のビジネスを見直して、大変革を施して、大変身して元気な会社になろうよ、と叫んでいるかのように見えた。

いいモノや、凄い会社に圧倒される前に、凄い会社になろうと思うこと。覚悟を決めること、実行すること。そしてそれはそれ程凄い才能が必要なわけでもなく、単に変わっていくんだという覚悟だけだったりするのかもしれない。

頑張れニッポン!

頑張れ! > Web屋

頑張れ! > 俺

以上。/mitsui

  • 電子書籍が頭から離れない。5年後10年後の自分の本棚を想う。
  • iPadは貧しくて買えません、まだ。
【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]