AD | all

プロローグ

妻となる末子と出会ったのは、結婚の7年も前。場所は、彼女の留学先のアメリカ。 私は、夏休みにそこに遊びに行っていた学生だった。

彼女はアメリカで看護婦の資格を取って帰国。アメリカの看護婦の資格は そのままでは、日本では無意味で取り直す必要がある。ただ問題はその受 験資格で、厚生省は遅々として返事をくれず、必要書類の請求ばかり繰り 返した。結局、日本では最初から、つまり3年間勉強しなければならない かもしれないと言われる。彼女は、看護婦になることを諦め、一般企業に 入社する。私は制御工学を修士まで学び、プログラマとして外資系コンピ ュータメーカーに就職。そして、2年弱。1990年12月29日、2人の出会い の地、米国ペンシルベニア州ランカスターで挙式。

ここは、映画「目撃者/刑事ジョンブック」の舞台ともなった、古き良き アメリカの匂いを残す田舎町。霧深い年末に、教会での式であった。色 画用紙とコピーを使った手作りの招待状で集まってくれたのは、約80 人。日本からは極少数[1]だけ。緊張の式の後には、教会内でのレセプシ ョン。その片付けや掃除まで自分達も参加するといった手作りの式だった。 形式などに捕われずに、自分達が一番正直になれる場を選んだ結果であった。

[1]私達の親兄弟と米国旅行中の友人。式の後には、皆んなで一緒
にディズニーワールドへ行くという付録をつけることで、自費で
来て貰った。旗こそ持たなかったけれども、私がツアーガイド。
尚、日本の友人向けには、帰国後に会費制のパーティを開いた。

つたない英語で生涯の伴侶となることを誓いはしたが、その目でアメリカ の生活も見ているので、その歪みも苦悩も知っている。アメリカ至上主義 でもない代わりに、日本の「型にはめたがり主義」にもうんざりしている 世代に属するのだろう。

これが、この後に続く子育て騒動の序奏である。もちろん、結婚当初はそ んな大事がその先に待っているとは夢にも思わずに。