AD | all

[090] 会社を騙す

RIA(Rich Internet Application)系のプロジェクトについての話を開発者から聞く機会が増えた。セミナーや小さな会合や、場は様々。何に苦労して、何をやりたかったのか。ご本人の口から語られる言葉には、やはり重みがある。

成功事例には、幾つかの共通点がある気がしている。発注するクライアント内に熱意のある方が居る。その熱意が、単なる「担当者」という域を超えている。そのプロジェクトを自分の子供のように思っているフシがある。寝ても覚めても、そのことを考えていることが、言葉の端々から伝わってくる。

そして、大抵同じ台詞を口にする、「会社(上司)を騙して(たきつけて)、このプロジェクトを進めました」。

勿論、横領とかそういった類の話ではない。それでも多くの人が「騙す」という言葉を好んで使う。ここに、会社内の様子が垣間見える。会社としては、そのプロジェクトで利益を得るという確たる予測などなさそうだ。「コイツ(担当者)がそこまで言うのなら賭けてみよう」、そんな会議がイメージできる。

数字で経営を進めるというのは基本の基本だろう。費用対効果という概念が大切にされるのも道理である。何をやるのに幾らかかったか、グラフで示し、類似のものと比較し検討する。そうやって物事が全て決められるなら、ある意味ハッピーかもしれない。

でも、費用に換算できにくいものも存在する。例えば、コミュニケーションや個人的ネットワーク。誰と誰が会話を交わすことの金銭的価値をどう評価するのか。たわいない与太話が、ビジネスを生み出したなら有効で、単なる与太話に終わったら無意味なものなのか。

そもそも、Webはコミュニケーションだ。会話や対話を金銭換算することは難しい。そうしたことを分かりつつ、それでもここに投資をした方が良いと進言する場合、「騙す」という表現に落ち着くのかもしれない。

そして、騙すのにも資格が要る。「振り込め詐欺」のように「オレオレ」と言っただけで話が通るケースは少ない。「コイツがそこまで言うのなら」と思わせるにはそれなりの歴史が必要だと思う。

人よりも法や制度を重視してきた人が、エンドユーザとの対話に目覚めました、と対話活性提案をしても回りの人も困る。「コイツがそこまで..」と思わせるには、「コイツはいつもそんなことを言っている」という前提がある。

システム設計の会議の度に、エンドユーザの気持ちを考えましょうと言う。データベースの話をしているのに、やはりここでエンドユーザはこういった操作をしたくなるので、ここにこのフィールドを追加しましょうと言う。表形式になりさえすれば良いと大半のメンバが思っているのに、1ピクセルにこだわって見栄えを調整する。

「また始まった」とか「やれやれ」とか、多くの人に思われる歴史。当人にとっても、その人を抱えるチームにとっても、ハッピーとは言い切れない長い時間。「エンドユーザのことよりも、チームのことを考えろよ」等という、設計者として本末転倒な会話もなされたかもしれない。

システム系の会社なら「Web馬鹿」とか「デザイン馬鹿」、デザイン系会社なら「システム馬鹿」や「カタブツ」。「木を見て森を見ないどうしようもない奴」、そんな陰口をたたかれた時代もあったかもしれない。勝手に敗者復活戦のようなドラマを組み立てるが、まんざら外れていないと思う。

そして石の上にも三年。言い続けた者にチャンスが与えられる。体制やチーム媚びることなく、エンドユーザの代弁者としてWeb開発に関わった重みが発言力を持つ時が来る。

そんな熱い想いを聴いていると、こんな人と仕事がしたいとと思わされる。ここまで来るのに苦労しましたとか、照れ笑いの後ろに、揺るぎない信念がある。一見会社に抵抗して趣味に走っているように見えても、実際は「会社がどう見られているか」を最重視しているからこそ、寄らば大樹の陰な動きができないのだ。今までとは違う愛社精神を感じる。「馬鹿」と呼ばれようと、会社を守るという意思。エリートだけが会社を支えている訳ではない。

今や、Web(ネット)は常識的な位置付けがなされつつある。同時に、奇抜さよりも、誰にでも分かる情報提供・情報共有の場として成熟の途についた。会社概要や製品紹介のページ構成にパターン性が見えてきて、どのサイトも同じように見えつつも、情報を探すアタリが付けやすくなってきている。

そんな流れの中で、新たな付加価値のための模索も活性化されつつある。皆と同じものであるならば、制作費が叩かれるだけである。信じがたいページ単価でWebサイトが構築される。でもそれを続けては、情報の共有スキルが会社もユーザも向上しない。

硬直的な情報提供方式に抗して育ってきたWebが、自らの硬直性の壁にぶち当たっている。「今のままで良いじゃないか、昔よりは便利になったんだから」、「更に投資する意味が見えない」、そんな声に戦いを挑む人達が、声を発するようになってきた。そこに「騙す」人と、「騙される(騙されても良しとする)」会社が存在する。

そして、そうした会社が新しい流れを創りつつあるように見える。Webがもっと一般的になってきたとき、この「騙す」とい言葉は別の言葉になっているかもしれない。

注)「馬鹿」は言葉としては不適切かもしれませんが、親しみを込めたこの表現が最適と考え、用いました。悪意はありません。

以上。/mitsui