先日、若い開発者の方と話をした。バグ潰しの日々に疲れたとぼやきつつ、今日はひとつ良いことがあったと目を輝かせる。「きれいなクラス定義を見たんです、癒されました」、本当に嬉しそうな台詞に圧倒される。
クラス定義とは、オブジェクト指向プログラミングの領域の話である。文字列が並んでいるだけの、ソースコードである。おそらく「きれい」と感じる人は稀だろうし、それで「癒される」人は、日本中にさほど多くはない、はずだ。でも、彼は癒されたという。目を輝かせながら。
モノ作りの本質がここにある。自分の担う対象に対するすべてで、癒されながら仕事は進む。本当に好きならば、丹念に作りこまれた部分への「気付き」は、分野を問わず同じはずだ。プログラマならプログラムに、絵描きなら絵に、センサーは敏感に反応する。
まだ絵を描いていた頃、私でさえ、美術館でも、週刊誌の漫画でも、線の細さに、見事な構図に、色使いの鮮やかさに、ため息をつきながら、時には涙腺を緩ませて見つめたものだ。「見事な技」、そういったものに触れる度に、心が洗われたのを思い出す。頑張ろうと誓い直したことを思い出す。
■襟を正して接する
「良い職人」というのには、共通点がある。私の変な言葉で表現すると、「自分のフィールド」を大切にするオーラがある。別に会社や制度じゃない。自分がどの会社に属しているか以前に、自分が何者であるかを考えている。そして、そこに「聖域」を築いている。
自分のフィールドとは、たとえばプログラマならプログラム・ソースコードであり、絵描きなら色の一つ一つか。「コダワリ」と呼んでも良いのかもしれない、そうしたものへの敬意の念が人よりずば抜けて強い。「作品」を、いい加減な気持ちでは、見ない・書かない・評価しない。必ず襟を正して接する。
そこには、共通の理念があるようにも思う。品質が宿る場所を本能的に知っているのだ。それは、汚れた場所ではない、きれいな場所である。品質とは、自分の仕事に対するプライドであり、その仕事をやり続ける原動力に他ならない。
多分、私が尊敬した方々は、自分が品質を保持できなくなったら、その職を辞めるつもりで仕事をしてきたと思う。その姿勢が美しかったし、だから尊敬したし、それが今でもマブタの裏から離れない。
品質は、モノ作りの基本だ。それを保持できないなら、プロではない。逆に言えば、品質保持のために努力できない者をアマチュアと呼ぶのかもしれない。そう考えると、Web業界の中の「素人」と「職人(Web屋)」の差も見えてくる。
昔、中学の頃、水泳部に属していた。顧問の先生の毎日の姿を今でも思い出す。その先生は、プールに入る前、必ずお辞儀をした。水に入る前じゃなく、プールという建物に入る前に、必ず頭を下げてから、足を踏み入れる。
礼儀に背を向ける年代だった私達には、それは奇異に映り、時には大仰に真似して笑いをとったりする友人も居た。でも、ひと夏、一日も欠かさずに、クスクス笑われながらも、頭を下げる先生の姿は強烈だった。
「あぁ、水泳を本当に好きなんだな」と、思えたのは卒業してからのことだったかもしれない。大切なものに対する礼儀。背筋を伸ばし、襟を正してからでないと、接しないという、自分なりの「掟」を貫く姿は、言葉にできないまでも、忘れられない姿として頭から離れなかった。
■「見事な技」
本能的に仲良くできない人たちが居る。きっとそれは、Webそのものを舐めていると感じるのだと思う。開発を舐めている、エンドユーザを舐めている、交わす言葉の端々から、聖域を汚される予感がする。
「こんなもんで良いだろう」、「ま、いいんじゃない」、怒りに直結する言葉が、「出来上がり」からプンプン匂う。手抜きをねじり込める場面は、山ほどある。企画、アイデア出し、検証、試作、開発、テスト、体制作り、コミュニケーション、どんな場所でも手は抜ける。
厳しい納期と労働条件の下、否応なしに手を抜かざるを得ない場面もある。人は寝なきゃ駄目だし、予算は人の命より時に重い。でも、そこに罪悪感を感じ続けない限り品質は上がらない。そうした覚悟を捨てた時点から、品質の崩壊は始まり、現場の奇特な有志の肩に全てが重くのしかかる状況に陥る。
そうした一線を意識できる人だけが、プログラム・ソースコードを見ても癒される人に育つのだろう。一見無味乾燥としたモノに、聖域を意識するが故に見えるモノ。多分多くの人は「オタク」と呼ぶのだろうけれど、現場の人間達は、そこに神聖な職人気質を感じて、頼りにするのだと思う。
嫌なことが続くと、Webブラウジングが増える理由が、言葉にできた気がした。「見事な技」を見ることで癒されていたんだ。日々の忙しさの中、本来あるべき仕事の姿を目の当りにしたとき、萎えかかっている自分に気が付き、「あぁ、こんなんじゃあ駄目だ」と踏み留まらせてもらっていたのか。
やはり、いい仕事をし続けないと。こだわらなきゃ駄目です。誰に言うでもなく、自分に一番聞かせるように声に出す。日々仕事をただ進めることを余儀なくさせられて、大切なものを置き去りにしかかっていたのかもしれない。少しは、立ち止まることも考えなくては。
一番大事にしているモノ、自分の聖域、品質の拠り所、自分らしさの原点、居住まいを正すほどの緊張感、自分のフィールドに対する礼節。色んな言葉が浮かぶ。嬉しそうに語る若手に教えられた。感謝。
以上。/mitsui
ps. 最近、父親タスクが増えてきた。息子との諸々の葛藤。疲れる。少子化進むはずです。考えてみれば、子が少ない=親も少ない時代なんだ。やりづらい。