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[153] 石橋を渡る、叩き壊してでも渡る

絶望的と揶揄される昨今、試練は幾つも転がっている。何かをしようとした途端に様々な壁に出くわす。対岸の見えない河に出会うこともある。そこで諦めるか、立ち上がるか。そこは、何かしらの価値が試される舞台であり、何かが終わり何かが始まる季節なのだろう。

壁を前にして、大河を前にして、様々な人がいる。目測もせずに飛び越そうと走り始める人、石橋を叩いて渡る人、丸太橋を叩かずに渡る人、石橋を叩いて壊して後続を阻止する人、丸太橋を架けて渡る人、石橋をいきなり創っちゃう人、文句ばかり言いつつ渡る人、文句ばかり言いつつ渡らない人、渡る人を遠目に批判ばかりする人、渡る勇気を誉める人。渡ることを無駄に論理立てて説明したがる人、渡らないリスクを語る人、それが如何に正しいかを力説する人。

最後通告的な壁の前では、個性とか癖とかいう前に、壁を越えて行くには必要な資質がある。先ず、壁を越えることが最優先としているかどうか、越えなければ何も始まらない、あるいは全てが終わってしまうというメンタリティが、その資質を強くする。

資質には、大きくはアクセル系とブレーキ系の二つがあるのだと思っている。物事に対峙したときに、どちらの視点で物事を見るか。アフリカの靴のセールスマンの話が分かりやすいかもしれない。裸足で走り回るアフリカの奥地を見て、ある靴のセールスマンは駄目だと諦め、別のセールスマンはチャンスと挑む。壁に当たったときに、尚アクセルを踏むか、ブレーキを踏むか。

常にアクセルな人といることが幸せではない、でも常にブレーキな人といるのもかなり苦痛だ。壁の見極めと共に、適切な資質の人を支えたい。時代は大きな壁に向かっている。そんな時代だからこそ、チャレンジに賭けたい。いつまでも縮こまっていても、嵐は去らない。立ち向かう人を応援し、共に歩み出す選択肢を採りたい。

大好きな映画に、ルパンの「カリオストロの城」がある。何度かこのコラムでは取り上げているけれど、再度書こう。一秒たりとて無駄にされていない演出の中でも、私の一番好きなシーンは、クラリスが閉じ込められた部屋の中で交わされた、ルパンとの会話。「信じてくれるなら、泥棒は空を飛ぶ事だって、湖の水を飲み干す事だってできる」。

▼mitmix@Amazon - カリオストロの城
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22?_encoding=UTF8&node=46

信頼が増幅する力の連鎖を考えさせられる。誰と組むのか、そのコラボがどこまで大きくなるのか。小さなつぶやきが大きなうねりに広がることにもどこか似てる。アクセルを見たときに、ブレーキに気付いたときに、すぐさま反応できるように、アンテナも行動力も備える必要がありそうだ。

壁を越えていくのに、その先の道が示され、納得できないと進めないと思う層がいる。ゲーム世代なのだろうと言われている。ゲーム開発者の手のひらの上に乗っている安心感が良いのだろうか。旧世代の私には、さっぱり理解できない考え方。先が分からないから「壁」と思う。その崩し方、攻略法が分かっているなら、示せるなら「壁」とは呼ばない。

Jobsも言っている、進みながら道が分かる訳はない、道だと分かるのは振り返ったときだ、と。Stay Hungry. Stay Foolishy。

▼[iTunes] Steve Jobs' 2005 Commencement Address
http://bit.ly/96U0GD
▼Steve Jobs Stanford Commencement Speech with Subtitle
http://doubleko.blog18.fc2.com/blog-entry-3417.html

降りかかる何かに対して、何かしらの対応を続け、それが実となり、糧となり、自分を支えるものの一部となる。だから壁が一種の教育プロセスのようにも語られる。壁があるから成長する、壁を越えてきた経験こそが、未知の壁に遭遇したときにどうすべきかを教えてくれる教科書なのだろう。

ネット黎明期よりも大きなうねりが来ようとしている。クラウドという言葉と合わせて、パッケージからサービス化への波と呼んでもいいだろう。ユーザ志向が、「所有」から「利用」へと変わってきたことも一因だ。ますます企業戦略としてWebの使われ方が変わっていく。

あと10年もしたら、今のネットの使い方自体を思い出せないくらい進んでいるかもしれない。自動ドアは、当時は珍しかったろうが、今や当たり前になっている。逆に黒電話のように、それがなくなることなど想像すらできなかったものがあっという間に見なくなったものもある。

今やっていることの如何ほどが生き残るのだろう。今チャレンジしていることの如何ほどが当たり前になっていくのだろう。ブレーキとアクセル、どちらをどこで踏むのか、時代や壁の読み方次第だ。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]