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[159]捨ててきたパラレルワールド:IT推進策への決断

韓国のソフトに少しかぶれている。AdobeとMSを中心とした視野の狭さを思い知らせれている。米国中心の技術革新の波の中で育てられたせいか、風は東から吹いてくるものと思っていたのかもしれない。

いや、よくできている。開発コンセプトに感心する。デモ自体に驚かされる。パフォーマンスに唸ってしまう。まだ、手を動かしての検証作業に入っていないのは、他のタスクが溜まっていて時間がないからにすぎない。

Javaベースの製品だが、ランタイムを必要とするものと、JavaScriptのみでインタラクションを制御する版との二つを、同じソースから生成する。

▼RIAソリューションフォーム、XPLATFORM|TOBESOFT
http://www.tobesoft.jp/tobesoftJpn/GoodsInfo_Xplatform.aspx

講演が発端だった。折りあって、短期間に別々の講演を二回聞いた。どちらも感動した。Flash(FutureSprash)を見つけた時の感触ではない。でも「表現」の領域ではなく、「(円滑な)開発」という領域で、何か心がざわついた。なんだか行けそうだぞ、これ。只者ではないかも。自分でいじり倒していないので、断言はできないけれど、かなりよさげだ。

ドキュメントがどこまで揃っているか、まだ知らない。開発ツールも評価版しかない。無償版がある訳でもない。少し時流に反する点がない訳ではない。でも、心の中の何かが囁き続けている。

ただ、日本語という壁を通しての話であることは注意が必要だ。講演での表現は、少し差し引いて聞いてあげないと駄目だ。AdobeやMicrosoftの欧米開発者が日本語で話すことはまずないから、そこを忘れてはいけない。なまじ日本語で話してくれるので、きびしめに耳をそばだてて、違和感を感じてしまう傾向は否定できない。

実は、製品自体ではないところでも、私のアンテナに引っかかっている。国を挙げて、この製品が後押しされているように見える点だ。この製品は、義務教育のどこかの段階で利用され、それが普及に一役買っているとも聞く。宿題か何かのやり取りのプラットフォームで使われているのだとか。

ソフトウェアに与えられるものの中でも、特に栄誉ある賞を受け、米国進出も視野に入れて、日本への展開中だ。失礼な書き方かもしれないが、私企業の努力以上の力を感じる。

ちなみに、韓国はワードプロセッサ・ソフトウェアの中で、MicrosoftワードがシェアNo.1を獲得できていない唯一の国なのだそうだ。

▼アレアハングル - Wikipedia
http://bit.ly/alPY8l

正直、羨ましいと感じる。当然ながら、脳裏に浮かんでいるの、TRONやATOK。諸々の事情があり、国内展開にさえブレーキを踏まれた技術だけれど、これを正しく国が後押ししていたら、或いは守っていてくれたなら、10年の単位で考えると大きな違いが出ていたのだろうと考えてしまう。

日本発のOSであるTRON。その完成度は、組込OSでのシェアの高さからも事実上の実証済み。記憶の中で多少美化している気もするけれど、初めて友人にデモしてもらった時の驚きはまだ新鮮。コンピュータに対して、データ演算装置というイメージの強かった時代に、もっと人間くさい何かを感じた。当時にもっと何かができたなら、今のOS勢力図も、技術人材勢力図も変わっていたかもしれない。

▼ASCII.jp:「今やTRONは世界でもっとも使われている組み込みOS」 坂村健氏勝利宣言──“TRON SHOW 2001”で
http://ascii.jp/elem/000/000/318/318837/
▼トロン組み込み技術、人材養成の意義を強調 --坂村健・東大教授が講演 - 毎日jp(毎日新聞)
http://bit.ly/aCAnO0

ATOK。こうして日本語で自由に書けるのは、このおかげ。感謝の念は、MS-IMEで誤変換をされる度に忘れまじと心に深く強く浮かび上がる。個人的には、手塚治虫とともに国民栄誉賞ものだと思っているが、長く辛い時期が続いたことに心が痛んだ。

▼ATOK.com - 日本語入力システム「ATOK(エイトック)」や日本語に関する情報のサイト
http://www.atok.com/
▼浮川和宣氏の新会社MetaMoJi、1~2社のIPO目指す XMLを中核技術の1つに | BCN Bizline
http://biz.bcnranking.jp/article/news/1001/100114_121512.html
▼MetaMoji-jp
http://www.metamoji.com/jp/

別に、積極的にガラパゴス化を目指すのでも、技術鎖国政策を推している訳でもない。それでも、誰かに良い顔をして招いた、特定技術に対する不遇がなかったなら、どんな未来に今がなっているのかを考えてしまう。失ったパラレルワールドが薔薇色に見えるのが常だとしても、少なくともUS一色に染まっている技術マップに違う色が添えられている気がしてならない。

進化したTRONがAndroidと名を連ねているかもしれない。既に様々な液晶パネルの上で高度な情報伝達や、コミュニケーションが成立していたかもしれない。教育現場で、電子教科書なんてとうの昔に達成できていたかもしれない。奇しくもラップ系などで日本語へのリスペクトが高まったと思っているのだが、それがもっと早く起こり、もっと深く浸透したかもしれない。文字や言葉を大切にすることが、心を病む人を減らせたかもしれない。方言がもっと日常的に文字(デジタル)化されていたかもしれない。言葉による励ましが活躍できた場が広がったかもしれない。心に沁みるコミュニケーションがもっともっと日常化したかもしれない。

国が活気を削いだときの影響の長さ、その深さ。そして逆に国が後押ししたときの意義や、影響力。同時に、そうした判断する者の責任感の大きさ。そして、何よりも、常に判断と決断はなされているのだという事実。そして、それは国だけの話ではないということ。何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。これからの決断が思慮深くあらんことを。

何度か、このコラムでは書いたけれど、またニーバーの祈りを思い出した。何かを選択したときに必要な勇気。見誤らないで、恐れずに進みたい。

▼The Serenity Prayer(ニーバーの祈り)
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm
  神よ、
  変えることのできるものについて、
  それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
  変えることのできないものについては、
  それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
  そして、
  変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
  識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]