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[162] こだわりと無駄の中で育む力

2010/07/29 14:00  

細部にこだわる。小さなことに見えかねないことで悩む。そんな積み重ねの重みをひしひしと感じるときがある。Webサイトを構築しながら、大きな構造を練りつつ、細部が引っかかってしょうがない。そこを紐解ければ、全てのパズルが解けるかのように全力で、その細部を解決する。勿論、それで万事解決にはならない事の方が多いのは経験から知っている。でも、やらないと気持ち悪い、片付けるとかなりすっきりする。

全然効率的ではない。ある程度の時間をかければ、次に進むべきなのだろう。全体スケジュールを思い浮かべながら、ヤバイよなぁとつぶやきながら、こだわる。ここで頑張っても、誰も気付かないだろな、とか口をつく。

でもいいや、と思う。もう少しだけ時間をかけると覚悟を決める。プロジェクト管理上は、それがいけないのかもしれない。でも自分が納得できないものでは、クライアントに説明ができない。自分の中で、どこかしっくり来るまで、諸々煮詰めなければ、「そこ」に辿り着けない。

「そこ」って何処だよ。自分の中でも悩むときがある。もはやどの会社もWebサイトを持っている。品質上上下の幅は実は拡大しているけれど、保持しているかどうかの指標の方が大きく映る。相対的に圧倒的な個性を求めるクライアントは減っている気もする。5年強前までは、作るなら凄いのを作ろうという野心に溢れたクライアントが、目だっていたし、彼らが牽引した部分は大きい。

でも、目指すべき「そこ」は今もあるのだろうと思う。無理やり存在を信じようとしている部分は自覚しているけれど、ないと困る。達成感という言葉が当てはまるのか、それともゴールなのか。いずれにしても目指すべき到達点。そのために頑張れる、目の前に吊るされたニンジン。

誰が決める訳でもない。個人的な「掟(おきて)」にも近い。自分自身が納得する線を自ら引いていて、それを越えるまでは、なんだかしっくりこない、落ち着かない。意地と言ってもいいかもしれない。

そんな経験が活きて来る場面がある。何もかもが、クライアントのお気に召してしまう瞬間。え?、これも気に入ってもらえるの??、自分でも驚くほどの出来事。不思議な嬉しさの包まれながら、その根底に、重ねたこだわり苦労が横たわることに気がつく。そっか、あそこでこだわったから、あの作業がなんなくできたのだ。

クライアントとの関係がしっくり行くと、プロジェクトもまわる。プロジェクトが回らないから関係が悪化することはよくあるけれど、プロジェクトを円滑に進めるために良い関係を構築すべきなのだと改めて想う。

同じこだわりの海を航海してきた仲間には、不思議な連帯感が生まれる。まるで、同じ会社のようだ。こだわりを共有して、辿り着いたのだ、最早ブラザー(兄弟)じゃないか。同じ課題、同じゴールに取り組み続けるからこそ、成立する共有感。プロジェクトマネージメント(PM)的に言うと、あのこだわりの季節は、チームビルディングにあたる期間だったのかもしれない。

個々の個性とスキルを活かしつつ、同じ目的(サイト構築)のために全力以上の力を発揮できる環境つくり。そう考えると、一朝一夕にできる訳のない話だと思える。多少の無駄がかかっても致し方ない。むしろ、効率的な無駄作業を選んで行くべきとさえ思える。

それがこだわり議論の部分なのだろう。ユーザビリティへの関心が低い人には、まさにどうでもいいような細部に対して、真剣に白熱した議論ができることは、互いの考え方の傾向までも提示しつつ、合意形成のパターン認識の練習とも言える。

Webサイトが一般的になるにつれ、実は開発プロセスは二極化する。いかに早く安く作れるかという方向と、いかに細部にこだわりつつ様々な価値観を収束させて作っていくかという方向。「ポテトも如何ですか?」と紋切型の店員を放置する接客と、相手の顔色を見ながらおもてなしを考えるコンシェルジュとどちらが好ましいですか、という問いで分類できるものだとも言える。

前者は価格競争に呑まれて行くのが分かっている道だ。ある程度は企業努力すべき必須部分ではある。けれど、全面的にモットーとしていくには、Web屋の生活を脅かす部分がありすぎて危険だ。一発芸で散っていく覚悟ならまだしも、疲弊の蓄積の先には明るい未来はない。

それに対して、後者は、理想論に見えつつも、実はニッチ領域、あるいはエッジのきいたユーザやコンテンツ(商品)に活路を見出そうとするなら、全うに見える道だ。そして、実はそうした領域が多くなっていく気がしてならない。十羽一からげ的なコミュニケーションの時代は終わっている。多種多様な商品を多種多様なユーザにマッチングしてあげる時代のはずだろう。

だからWebサイトは、決まったブロックを積み上げて、はい終了という訳には行かない。一見そうであるかのように見えて、実はそうした手抜きはユーザにはバレバレで、そうなっては本来の目的に反して、ユーザとのコミュニケーションに対する真摯さが低いように見えてしまう。

Webサイトは、自己満足のために情報を羅列している訳ではない。いかにユーザを大切に扱っているかを示すためにも、精一杯の分かり易さでお話ししているようなものなのだ。だからこそ、こだわりは必要になる。

こだわりの連続の先での提案に、「おぉ、やるじゃないか」、と言ってもらう。その一言で、それまでの苦労が消える。威張る訳ではない、奢る訳でもない。頑張ったことへの報酬、この一言のためだけに頑張れる魔法の言葉。そして今までの涙が、底力(ポテンシャル)に変わっていく瞬間。そして、連帯感が強まる瞬間。互いにパートナーとして認め合う瞬間。

ここにショートカット(近道)はないのだろう。効率化と声高に叫ぶと、するりと抜け落ちてしまいがちな、大切な部分。回り道のようで、実は王道。これを短期化に拍車がかかるプロジェクトでいかに成すか。大きくも楽しみな課題である。精進あるのみ。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]

[161] 電子書籍、突き進むべし

2010/07/22 14:00  

「自炊」と、自己人体実験を繰り返している。自炊とは、書籍を裁断してスキャンして取り込む作業の総称。人体実験とは、どの程度のことが許されて、何にイラつくのかを試す作業。

自炊で言えば、裁断からスキャン、そして検証(ページ落ちやズレなど)までの時間的な測定。多くのデータが、ちょっとググれば出てくるけれど、やはり自分で試さないと分からないことは多い。

特にコンテンツに関する嗜好性によって、設定方法は異なるだろう。私の場合、5割が漫画、2割が小説、残りが技術系。傾向的には漫画は微増(昔の捨てられないものが圧倒的)で、技術系が増加中。共通項は、写真は少ないが図が多い。更に、部分的にカラーが入るものが混じる。総じて漫画は昔の方が手の込んだ製本が多く、自炊にはそれなりに気を使う。

自炊処理としては、単一の処理を集中した方が効率が私には良さそうな感じなので、白黒だけ、カラーだけと処理をして、PDF結合でまとめる。作業的には、3:2位の割合で裁断とスキャンをして、最大でも3時間程度にするのが、苦に感じないコツ。それ以上だと肉体労働色が苦痛に感じだす。また、OCRをかけるとKindle2ではページ送りが極端に遅くなるなど、未だ未だデバイス依存があることも分かっているし、その意味で自炊済み具材を捨てにくい状況が続く(かと言って再度スキャンし直すかどうかは微妙)。

人体実験としては、読む場所や集中度、その他活用に関しての主観的な事柄。克服したいのは、基本的には通勤時間帯。mailニュースやTwitterでの情報収集も有効ではあるけれど、自分がお金を出しても学ぼうとしたことを読む時間がなくて辛い。

▼asahi.com(朝日新聞社):電子書籍、読む速さ低下 満足度は同じ 紙と比較調査 - 文化 http://www.asahi.com/culture/update/0707/TKY201007060729.html

そうした観点では、上記の調査は私にとっては殆ど意味がない。ゆっくり座って本を読むときのデバイス別快適度調査に興味がない。ゆっくり読めないけど、読みたいから工夫している。理想的な読書スタイルが現実的なら、電子書籍は正に本の再現だし、そのUIに勝負が付けば、書架節約率だけの競争になる(それはそれで魅惑的だが)。

ただ、この調査で面白いのは、パソコン(PC)との比較だろうと思う。明らかに、読書に関して低い満足度しか得られていない。

 比較のため、パソコン(PC)でも同じ小説を読んでもらった。その後、使い勝手に関する満足度を7段階で採点するアンケートをしたところ、iPad、キンドル2、紙の本は、それぞれ5.8点、5.7点、5.6点とほぼ同じだった。パソコンは、3.6点と低かった。

ここでいうPCが何を指すのかは、よく分からない。Adobe Readerなのか、他の専用ソフトか、あるいはそれらが搭載されている統合環境としてのPCなのか。私的には、PCは他のことができ過ぎて読書に集中できないことが一番ネックで、次はPDFリーダが貧弱すぎるのが障壁。漫画のトーンの表示に関して比べれば差は明確で、PCではモアレ(網目のつぶれ)が酷い。更に適正な大きさに調整することが微妙に面倒。検索したり、文献をコピーしたりする作業には、最適に近いのかもしれないが、やはり読書へのノイズが大きい。更に考えれば、姿勢なのかもしれない。PCモニターと顔との位置関係は、読書には余り向いていない気がする。

実験の中で感じているのは、PC系(情報操作/詳細検索)+ケータイ系(オーガナイザー)+Kindle系(閲覧)の三種コラボ辺りに収束する予感。それ以上には減らない、そして今PCとケータイで済ましている現状に問題があるのではないかという予想。この三種をの必要性は実は今でも変わりなくて、大抵の会議には、ノートPCと紙資料とケータイはぐちゃぐちゃとACアダプター込みで持ち込んでいる。

会議が集中している日は、溢れんばかりの資料と機材を束ねて、引越ししているような感じさえする。時々はトートバックに詰めて会議室を移動する。無様ではあるけれど、移動が問題なのではない。全てがデータとして管理されていれば良い訳でもない。短い時間内に手際よく諸々決めるためには、PCだけでは余り効率的ではなく、だから工夫している。

映画などに出てくるような、全てのデータがクリック(或いはタッチ)1つで検索されて、見やすく一覧され、更にドリルダウンできる環境は、SIerがそこに価値を認めていない現状では未だ未だ先だろう。しかし、それが達成できたとしても、会議が円滑に進むかというと少し微妙だと思っている。

いつも、頭によぎるのは、「AKIRA」の1コマ。極秘情報が微妙に漏れるきっかけのシーン。膨大な予算案の表の横に、「アキラ」と落書き(メモ)された紙切れ。それが確信や疑念を膨らませて、ドラマの緊迫感を高めた。

思えば、教科書も書かれてあるコンテンツのみが大切なのではなかった。文字が読めないほど描いた落書き、ページの端っこを埋めたパラパラ漫画。授業と関係ないことばかりだった気がするけれど、私にとっては大切な情報だった。

この辺りまで考え出すと、もはや単なるデジタル化だけの話ではなくなる。今まで自分達がしてきた情報処理の根本から再考する必要がある。電子書籍は、そのための大切な一歩だと思う。

デバイスとしては、(主にPDFの)表示速度とメモリ容量が問題となるのだろう。様々な実機を試せる場所は少ないけれど、幾つかの展示会で触ってみている。もっとこうした場が常設されることを期待したい。

モニタ部分が、液晶になるのか、Eink系になるのか微妙だけれど、後者だとしたら、画面のリフレッシュは重要な要素だ。あのチラつきを気にする人は多いだろう。白黒がカラーになるのにも、それ程時間はかからないようだ。けれど、現時点の実験結果からすれば、私には白黒で充分なものが7割以上だと思われる。どれが自分の感覚にマッチするかは、実際に見てみないと分からないだろう、iPod時代のイヤホン選び以上に大変な作業になるだろう。今のうちに目を肥やしておかないと。

あと、iTunes的な母艦も必要だろう。メモリ量がどんなに増加しても、持ち歩くものである以上、紛失のリスクは避けられない。そして、今Kindle2で試している感覚では、最低でも500冊のレベルで持ち歩きたい。馬鹿げた話かもしれないが、iPodで500曲を持ち歩いている人は普通だろう。今に本もそうなる。そして、500冊を持ち歩く=500冊を一度になくす可能性がある、ということだ。だから、母艦が必要になる。バックアップは避けられない。更に、総合的母艦に育てるなら、同じコンテンツの別バージョンに関する割引システムも必要だ。もう、同じコンテンツをベータ/VHS/DVD...と買い換えるのは勘弁して欲しい。

今、書籍系ではこの辺りを利権絡めてゴニョゴニョやっているのだろう。今の書店を守るとかなんとか言いつつ、すっごく使いにくいUIとややこしい手続きが襲い掛かってくるようで怖い。だから、自炊に踏み切った。あと10年位は、PDFというファイルフォーマットは生き残るだろうし、デバイスはドンドンと安くなるだろうし、自分だけの快適さを求めてもバチはあたらないと決めた。

さっさと新しい仕組みに行って欲しい。コンテンツは後から付いてくると思う。それで、教科書のデジタル化と国産Kindleの大量生産まで突き進む。山ほどの場数を短期間でこなせば、あっという間にデジタルリテラシの上昇に寄与するだろう。その子達が、世界に出て行く。そういう投資を選ぶべき時に来た。この話は、また別の機会に。

▼環境設定メモ:
  • 裁断機:楽天オークション系で購入
  • スキャナ:ScanSnap1500をヤフオクで入手
  • 書籍:BookOff系の主に100円もの(未だ自分の財産には手をつけられない)

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]

[160] GDP世界2位なんて、忘れてしまえ。

2010/07/15 14:00  

威勢のよい講演だった。日本の低迷を嘆く話の流れで、この台詞が飛び出した。「GDP世界2位なんて、忘れてしまえ」。あの米国に次ぐ成長を達成したなんて、成功体験があるからこそ、もう一歩先に進めないのだ。失うものなど、既にない、チャレンジのみ。壇上から、振り下ろされるように叫ばれた言葉は、そんな栄光に彩られた記憶がない私にもビンビンと響くものだった。

講演とは無関係ですが、日本のGDPに関しては、下記などをご参照を:
▼大前研一「ニュースの視点」Blog:KON284 日中GDP逆転の衝撃 ~自滅しつつある日本経済~大前研一ニュースの視点~
http://www.ohmae.biz/koblog/viewpoint/1415.php

過去の成功体験が、次の一歩を踏み出すブレーキになることは多々ある。ドラマでも、自分の体験でも。少し上の目線から俯瞰すれば、きっと何にしがみついているんだろうと思えるほど可笑しな事なのだろう。けれど、その時の本人的には、様々な比較が脳内を走り巡り、失敗したときの恥ずかしさや不名誉ばかりが浮かんで、体がますます重くなり、決断がますます鈍くなる。

そうした時の処方箋は、ほぼ確定している。過去のことなど忘れてしまえ。新しき挑戦者として課題に対峙せよ。恐らく、これ以外にないのだろう。自らの判断力や即応性を縛るものから開放されなければ、大きな挑戦が成功する可能性は少ない。

10年以上も虜になっている「蒼天航路」にも同じような(真逆とも言えますが)台詞がある。「いいか! 呂布(りょふ)という名なぞ忘れてしまえ!」。猛将呂布と戦うと決めた曹操が、自国の穀物の取れ高から、兵卒数を算出し、理詰めで決戦の構図を決めようとした時である。計算上、収穫作業を優先すると、最強とも言われる呂布に対峙できる兵力は、余りに小さく絶望的なものだった。

▼mitmix@Amazon - 極厚 蒼天航路(3) (モーニングKCDX)
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4063757560
第97話:誘いの王

しかし、それで戦わねばならないのだ。兵力の計算と、戦地の選定、戦術の策定。それぞれを軍師に負わせ。他人事ではなく、自分事として、戦いに臨ませた。その時に発したのが、「呂布という名なぞ忘れてしまえ!」だ。

名を巨大な実(じつ)として捉えるから、縮こまってしまうのだ。萎縮しないで戦うには、最強という冠の付く名など忘れてしまってよい。敵は、単に敵なのだ。後先考えない猛進にも見えるけれど、人生そんなことが必要な時もある。

過去の栄光に縛られる。虚実に関わらず、名(声)に縛られる。今、対峙している何かを、別の何かとして捉え違いをして、残念な方向に進む。そんないつものこととも言えるルートを考えている。

それは、頭の中で声がするからだ。「Webなんてことは、忘れてしまえ」。クライアントの求めるものを探り、アイデアを練るうちに、ネットの常識を尊重すべきところと、そんな常識など忘れてしまえという両面の心境になる。

人と商品、人と企業。人と人。様々な結び付きをデザインしている、実は。時々何をデザインしているか迷子になるけれど、生業の根底はここなのだ。アウトプットの形として、「技術」や「表現」が占める割合は多いだろうけれど、ここの中心軸がぶれると、余り良いプロジェクトという印象が薄いものになる気がする。

クライアントのリクエストや諸々の政治的課題に対して解をゴニョゴニョしたり、ユーザテストの結果とそのユーザの属性との間でモンモンとしたりしている日々の中、「あれ?、俺何やってるんだろう」と立ち返る瞬間がある。その時に明確な答えが出たり、疑問の発端が単なる疲労だと認識できているプロジェクトは大丈夫だろう。でもそうでないプロジェクトも多々ある。

そんな時に、「Webなんてことは、忘れてしまえ」と誰かが囁く。Webの流儀を軽視する訳ではない、今までの実績や考え方を否定する訳でもない。でも諸々の諸事情から解き放たれた場所で、課題を検討すべき時だと声がする。

その時が訪れないまま完了するプロジェクトは幸せなのだろう。でも、設計や開発が進む中で、そうした根底部分を再考する機会がないというのも、どこか淋しい。頭の中では、毎回問われ答えているループ的問題の一つではあるだろうから。

冒頭の講演に戻ろう。過去の名声なぞ忘れてしまえ、と言い放ちつつ。彼がセッションの最後に見せたのは、広島の写真。戦後の爆心地となった痛ましい写真と、今の写真。これが、どれ程の「希望」になっているか、と続く。

特に中近東の人たちにとって、数十年でのこの復興は、奇跡であり希望である。日本に住みながらも、この2枚の写真の連続性に驚き息を呑む。遠い国、更に焼け野原や荒地が続く国の人たちから見れば、インパクトは否応なく大きいのだろう。

自分の、自分達のなし得て来たことは、自分のためにはあらず、なのかもしれない。自分にとっては「忘れてしまえ!」の対象であり、でも他者にとっては大きな励ましであったり、目標であったり。

そうした想いの絡み合いが、綿々と続く。ネットやWebが、10年前とは異なる定義になりつつある今、その織りなす先に、更に興味が湧いて来る。どこまで、どんな形で、この織物は続くのだろう。ワクワク。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]

[159]捨ててきたパラレルワールド:IT推進策への決断

2010/07/08 14:00  

韓国のソフトに少しかぶれている。AdobeとMSを中心とした視野の狭さを思い知らせれている。米国中心の技術革新の波の中で育てられたせいか、風は東から吹いてくるものと思っていたのかもしれない。

いや、よくできている。開発コンセプトに感心する。デモ自体に驚かされる。パフォーマンスに唸ってしまう。まだ、手を動かしての検証作業に入っていないのは、他のタスクが溜まっていて時間がないからにすぎない。

Javaベースの製品だが、ランタイムを必要とするものと、JavaScriptのみでインタラクションを制御する版との二つを、同じソースから生成する。

▼RIAソリューションフォーム、XPLATFORM|TOBESOFT
http://www.tobesoft.jp/tobesoftJpn/GoodsInfo_Xplatform.aspx

講演が発端だった。折りあって、短期間に別々の講演を二回聞いた。どちらも感動した。Flash(FutureSprash)を見つけた時の感触ではない。でも「表現」の領域ではなく、「(円滑な)開発」という領域で、何か心がざわついた。なんだか行けそうだぞ、これ。只者ではないかも。自分でいじり倒していないので、断言はできないけれど、かなりよさげだ。

ドキュメントがどこまで揃っているか、まだ知らない。開発ツールも評価版しかない。無償版がある訳でもない。少し時流に反する点がない訳ではない。でも、心の中の何かが囁き続けている。

ただ、日本語という壁を通しての話であることは注意が必要だ。講演での表現は、少し差し引いて聞いてあげないと駄目だ。AdobeやMicrosoftの欧米開発者が日本語で話すことはまずないから、そこを忘れてはいけない。なまじ日本語で話してくれるので、きびしめに耳をそばだてて、違和感を感じてしまう傾向は否定できない。

実は、製品自体ではないところでも、私のアンテナに引っかかっている。国を挙げて、この製品が後押しされているように見える点だ。この製品は、義務教育のどこかの段階で利用され、それが普及に一役買っているとも聞く。宿題か何かのやり取りのプラットフォームで使われているのだとか。

ソフトウェアに与えられるものの中でも、特に栄誉ある賞を受け、米国進出も視野に入れて、日本への展開中だ。失礼な書き方かもしれないが、私企業の努力以上の力を感じる。

ちなみに、韓国はワードプロセッサ・ソフトウェアの中で、MicrosoftワードがシェアNo.1を獲得できていない唯一の国なのだそうだ。

▼アレアハングル - Wikipedia
http://bit.ly/alPY8l

正直、羨ましいと感じる。当然ながら、脳裏に浮かんでいるの、TRONやATOK。諸々の事情があり、国内展開にさえブレーキを踏まれた技術だけれど、これを正しく国が後押ししていたら、或いは守っていてくれたなら、10年の単位で考えると大きな違いが出ていたのだろうと考えてしまう。

日本発のOSであるTRON。その完成度は、組込OSでのシェアの高さからも事実上の実証済み。記憶の中で多少美化している気もするけれど、初めて友人にデモしてもらった時の驚きはまだ新鮮。コンピュータに対して、データ演算装置というイメージの強かった時代に、もっと人間くさい何かを感じた。当時にもっと何かができたなら、今のOS勢力図も、技術人材勢力図も変わっていたかもしれない。

▼ASCII.jp:「今やTRONは世界でもっとも使われている組み込みOS」 坂村健氏勝利宣言──“TRON SHOW 2001”で
http://ascii.jp/elem/000/000/318/318837/
▼トロン組み込み技術、人材養成の意義を強調 --坂村健・東大教授が講演 - 毎日jp(毎日新聞)
http://bit.ly/aCAnO0

ATOK。こうして日本語で自由に書けるのは、このおかげ。感謝の念は、MS-IMEで誤変換をされる度に忘れまじと心に深く強く浮かび上がる。個人的には、手塚治虫とともに国民栄誉賞ものだと思っているが、長く辛い時期が続いたことに心が痛んだ。

▼ATOK.com - 日本語入力システム「ATOK(エイトック)」や日本語に関する情報のサイト
http://www.atok.com/
▼浮川和宣氏の新会社MetaMoJi、1~2社のIPO目指す XMLを中核技術の1つに | BCN Bizline
http://biz.bcnranking.jp/article/news/1001/100114_121512.html
▼MetaMoji-jp
http://www.metamoji.com/jp/

別に、積極的にガラパゴス化を目指すのでも、技術鎖国政策を推している訳でもない。それでも、誰かに良い顔をして招いた、特定技術に対する不遇がなかったなら、どんな未来に今がなっているのかを考えてしまう。失ったパラレルワールドが薔薇色に見えるのが常だとしても、少なくともUS一色に染まっている技術マップに違う色が添えられている気がしてならない。

進化したTRONがAndroidと名を連ねているかもしれない。既に様々な液晶パネルの上で高度な情報伝達や、コミュニケーションが成立していたかもしれない。教育現場で、電子教科書なんてとうの昔に達成できていたかもしれない。奇しくもラップ系などで日本語へのリスペクトが高まったと思っているのだが、それがもっと早く起こり、もっと深く浸透したかもしれない。文字や言葉を大切にすることが、心を病む人を減らせたかもしれない。方言がもっと日常的に文字(デジタル)化されていたかもしれない。言葉による励ましが活躍できた場が広がったかもしれない。心に沁みるコミュニケーションがもっともっと日常化したかもしれない。

国が活気を削いだときの影響の長さ、その深さ。そして逆に国が後押ししたときの意義や、影響力。同時に、そうした判断する者の責任感の大きさ。そして、何よりも、常に判断と決断はなされているのだという事実。そして、それは国だけの話ではないということ。何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。これからの決断が思慮深くあらんことを。

何度か、このコラムでは書いたけれど、またニーバーの祈りを思い出した。何かを選択したときに必要な勇気。見誤らないで、恐れずに進みたい。

▼The Serenity Prayer(ニーバーの祈り)
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm
  神よ、
  変えることのできるものについて、
  それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
  変えることのできないものについては、
  それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
  そして、
  変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
  識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]

[158] 緩やかな自殺

2010/07/01 14:00  

不況である。Webの価値もデフレしている。コンペの度に痛感する。自分のプレゼンが受け入れられないのは、能力不足と反省と悔しさをかみ締めるが、ボツの理由を聞くたびに、何か違和感を感じる。

Webサイトの提案が、ただ金額だけでコンペ負けする。しかも、話を聞く限り、接戦ではない。壱円入札に近いという状況すらある。更に言うと、今まで、価格帯や諸々の条件で、競合とはならない相手がそういった行為に出ている。

なりふり構わず、まさにそういった形相だ。だからこそ、不況の状況は日々深刻になっている。業界としては部分的に温度差はさるものの、押しなべて見ると、厳しい状況が暫く続くだろう。そして、今なりふり構わずの行動をとっている業者は、間違いなく、このWeb業界で働く者たちにとって悪だとレッテルを貼られるだろうと予想する。

価格競争が発生するのは仕方がないことだ。技術が均衡した時点で、そういった局面での争いは避けられない。しかし、限度がある。1ページ辺り、数百円で作りますといって請け負う人たちは、今の自分達のことしか考えず、更に業界を破壊しているという意識が欠如しすぎである。

自由競争の名のもとに、何でも許されるというのは、愚行だ。誰も大人びた態度しか取らないので、敢えて言おう、「愚行だ!」。それ以外に言葉がない、サステナブル(持続可能)という言葉が、緩やかに流行っているが、正にその言葉を考えるべきである。

例えば1ページを1,000円で請け負ったとしよう。かろうじて、東京都の最低賃金よりも高い水準である。しかし、それで1日10ページ作ったとする(10時間勤務)、本人は1万円を得る顔知れない。会社が請け負ったとしたら、数割は割り引くだろうから、1日数千円の世界である。

それで、家族を養うのである。子供は大きくなり、教育費はそれなりの増加する。それを担う大黒柱として、Web屋に属する人が1日10時間をモニターの前で過ごすのである。それでなんとか額面約20万/月という計算だ。かなり厳しい。

しかも、単純なコーダーとしての作業だけで、この業界が成立しないことは周知の事実である。知らない人は、全くの無知(異業界の人)か、耳を意図的に閉ざしている人しかいないはずだ。1日数千円の仕事が毎月ずっと継続して存在する状況がそもそもあり得る訳もなく(枯渇する時期はある)、更にそうした定常的な作業をマネージできるPM(プロジェクトマネージャ)がそうそういる訳もない。先にWebサイトのコンセプトがあり、全体俯瞰する戦略があり、そしてページが作られる。Webサイト制作は、既にかなり縁の下の力持ち的な人材が入り組みながら進む体制になっている。

我侭を言う人がいれば、我侭を聞く人が居る。そうした需給関係が成立するからこそ、「業界」として成立する。その成立条件は、互いの立場への配慮であるというのが、私の持論だ。それなくしては、成立し得ないし、それがあるから、今回は苦労してもらっても、次回は穴埋めをするという男気的な付き合いが成立するのだ。

そうした大人の付き合いをできる人が、人同士が、配慮しながら、実は寄り添いながら、業界を成長させてきたのである。それは、Webに限ったことではなく、建築業界でも他の商習慣のところでも同じであると予想する。そして性善説の立ちたいので、これに異論を挟まない、こうあって欲しいと願いつつ、こうした大人たちの存在を信じている。

いい仕事の裏には、いい関係がある。間違いなくある。WebやRIAの黎明期にも、それを証明する武勇伝がごろごろしていた。開発の遅れを、自分の首をかけて上層部にもらさず、ハラハラしながら公開当日を迎えた部長さんは山ほど居る。今考えれば、リスクヘッジが皆無だとも言える。でも、だからこそ頑張れたスタッフは居る。信じてもらえたから、防波堤になってくれたからこそ、死に物狂いで間に合わせるように頑張れた人は沢山いる。

技術革新の波の中で、そんな人情話が散在していたのも、Webの魅力の一つである。今、綺麗な言語体系の技術が登場しても、それにすぐに飛びつけない層が居るのは、そうした生々しくも熱い記憶があるからだろうと予想している。

でも、一線を越えた取引きの前には、そんな甘い関係などありようがない。ただただ安さをベースに結びついた状況では、淡々とプロジェクトは進められ、無理もきかず、想いを込めるチャンスすらないのだろう。発注者がWebの傾向を知っていることは稀なので、通常はその辺りの教育も情報共有という名のもので行われるが、そんな教育的側面すら次々と省略されて行くのだろう。

今ですら、目を疑うような使いづらいWebサイトが存在する。情報階層を降りていきながら、眉をしかめる。「ん?、こっちか」、迷路の中に必死にルールを探しながら進む。見た目の派手さと、ドロップシャドウの中をさまよいながら進む感覚が、そのサイトのオーナーである企業ブランドにとってマイナスのものしか感じない結果を予感させる。

安く作られるサイトの全部がこうなるとは言わない。開発プロセス改善とツールで、低価格を実現しているところも存在するだろう。それでも、景気や、継続的な発注や、IT投資予算の伸びを考えると、首を傾げざるを得ない受発注関係は存在する。無理に無理を重ねている、今さえ乗り切ればよいという考えが臭ってくるプロジェクトは多い。

▼2010年のIT投資額はマイナス成長に - ITmedia エンタープライズ
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1006/28/news048.html

しかし、今だけで済むはずがない。日常品ですらそうである、100円ショップで買えると分かっているものに、わざわざ高額な支払いはしない。一度下がってしまった価格は、そうそう簡単にはあげられない。少し考えれば、開発担当者が家庭を支えることができる訳がない金額であっても、同じである。温情で、経理は進まない。安いにこしたことはないのである。その先に開発者の生活があることなんて省みられない。

今、安売り合戦になるのは、ある程度致し方ない。しかし、Webの技術は日進月歩で更に進んでいる。発注される情報システムであるWebサイトは、更に情報がこんがらがっていて、紐解くにはそれなりのIA(情報設計)スキルが必須である。そして、それが本当にできるのは、それなりの生活基盤がしっかりしているテクノロジスト的な人材でないと厳しいだろう。

▼テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編))
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4478300720

業界は、こうした人材を育てていかないと、先がない。その上で、新しい感性を持った人材が入り易い状況を作っていかないと、駄目である。それを怠り、刹那的な受注作戦を展開するのは、自殺行為にしか見えない。

ここ10年で、Webは様々な変化をしてきた。しかし、未だ未だ使い辛いサイトは多々存在する。特に悲しいかな公共のサイトは無残と言いたくなるほどの品質のものも多い。それは情報が絡み合っているが故に、ハイパーリンクという手法で整理しようとするWebの根本思想にとって、悲しむべき状況である。一部が使い辛いというのは、全体も使いづらいからである。どこかでハイパーリンクの紐解きマジックが途切れるのである。情報の袋小路のようなところが生まれ、先に進めない、理解できずにイラつく状況が生み出されているのだ。

Webサイトがなかった頃、私が現状のような気持ちで、企業情報を見ただろうか。私は偏ったサンプルかもしれないが、一般の人でもいい、創業年や企業情報、他にどんな製品があるのかと考え、探そうとしただろうか。Webが発達したからこそ、こうした生産者を知るとか、安心できる企業なのかを考える、文化基盤ができたのである。

そして、それは今後益々深めていくべき話だ。たゆみなく研ぎ澄ませて行くべき話である。そのためには、この業界の未来や、その担い手の未来を真剣に考えるべき時期に来ている。それに逆行する行為は、実は緩やかで、見た目には分からないような自殺行為なのではないだろうか。

以上。/mitsui

【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]