ようやく、一段落した。疲れた妻と何かに満足そうにしている我が子と3 人になり、ようやく涙が出て来た。無事に生まれた事に対して、感謝して もし尽くせないような想いが込み上げて来る。
2日仕事をさぼったのを取り返すため、午後は出社した。出産法を説く本 には母親の着替えなどは書いてあるが、ラマーズ法を選んだ場合の夫の着 替えのことは書いていない。私は自分と妻の汗でビショビショである。出 社といっても、気が高ぶって思考の伴う事は出来ないので、事務的な仕事 だけをかたずけて来た。速く帰りたかったので思ったより仕事が進んだ。 日頃もこれくらい集中出来れば、残業も減るのだろう。子供の偉大さと自 分の単純さを想う。
高々10時間ぶりの再会である。しかし、子供は顔を変えていた。まるで 猿のようだと思っていたその顔は、既に人間のそれである。体中の細胞が 活発に外界に適用しようとしているのだろう、体のあちこちでピクピクと 筋肉を動かしている。毎時間毎に変化する様は生後20日頃までは続い た。出社前と帰宅後では必ず何かが変わっている。寝ているだけに見える 我が子の中では、途轍もないスピードで様々な事が学ばれているのだろ う。いや、単なる親馬鹿かもしれない。
その10時間ぶりの再会は、大阪の父と共にであった。初孫である。父も 10月過ぎを想定していて、今回は5年前に亡くした母の墓参りが目的の 上京であった。久しぶりの赤ん坊である。抱く父も緊張していた。両親と 助産婦以外の人間に初めて触れる息子は、父の緊張も素知らぬ素振りです やすやと気持ち良さそうに眠っている。厳格で、我儘な私とのモメ事を繰 り返して来た父の表情も和らぐ。言葉も発せぬこの赤ん坊が、幾つもの私 達親子の問題を水に流してくれる予感がする。改めて、この子の大きさに 気付く。その後、父は用事があるといってホテルへと向かった。きっと照 れ臭かったのであろう。自分の喜びの感情を外へ出さぬ世代の頑なな心 も、いつかこの子が変えていくかもしれない。