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それから

それから、3人で別室に行った。しばらくしてから赤ん坊をお風呂に入れ てくれた。お湯と水のお風呂に交互にいれる。石鹸は使わない、塩だけで 洗う。基本的に羊水と同じにする訳だ。飲んでも構わないし、子供の体に 付いている名残りも取れなきゃ取れないで構わない。回数をこなすうちに 取れてくる。お湯に浸かっている我が子は、心無しか満足げで偉そうに此 方を見つめている。一仕事終えた満足感にひったっているのかもしれない。

ようやく、一段落した。疲れた妻と何かに満足そうにしている我が子と3 人になり、ようやく涙が出て来た。無事に生まれた事に対して、感謝して もし尽くせないような想いが込み上げて来る。

2日仕事をさぼったのを取り返すため、午後は出社した。出産法を説く本 には母親の着替えなどは書いてあるが、ラマーズ法を選んだ場合の夫の着 替えのことは書いていない。私は自分と妻の汗でビショビショである。出 社といっても、気が高ぶって思考の伴う事は出来ないので、事務的な仕事 だけをかたずけて来た。速く帰りたかったので思ったより仕事が進んだ。 日頃もこれくらい集中出来れば、残業も減るのだろう。子供の偉大さと自 分の単純さを想う。

高々10時間ぶりの再会である。しかし、子供は顔を変えていた。まるで 猿のようだと思っていたその顔は、既に人間のそれである。体中の細胞が 活発に外界に適用しようとしているのだろう、体のあちこちでピクピクと 筋肉を動かしている。毎時間毎に変化する様は生後20日頃までは続い た。出社前と帰宅後では必ず何かが変わっている。寝ているだけに見える 我が子の中では、途轍もないスピードで様々な事が学ばれているのだろ う。いや、単なる親馬鹿かもしれない。

その10時間ぶりの再会は、大阪の父と共にであった。初孫である。父も 10月過ぎを想定していて、今回は5年前に亡くした母の墓参りが目的の 上京であった。久しぶりの赤ん坊である。抱く父も緊張していた。両親と 助産婦以外の人間に初めて触れる息子は、父の緊張も素知らぬ素振りです やすやと気持ち良さそうに眠っている。厳格で、我儘な私とのモメ事を繰 り返して来た父の表情も和らぐ。言葉も発せぬこの赤ん坊が、幾つもの私 達親子の問題を水に流してくれる予感がする。改めて、この子の大きさに 気付く。その後、父は用事があるといってホテルへと向かった。きっと照 れ臭かったのであろう。自分の喜びの感情を外へ出さぬ世代の頑なな心 も、いつかこの子が変えていくかもしれない。