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[009] 人材

Webサイト開発に必要な人材とはどんな人達だろう。どんな崖をもものともせずに皆を先導してくれるリーダか。とにかくキチンと仕事をこなせるカッチリ屋さんか。それとも奇抜なアイデアがあふれ出る生まれながらのデザイナか。

もちろんこれらの人達がそれなりに揃っていなければ大きなサイト開発は苦しいだろう。でもこれらの方々は、他の仕事、Web以外のプロジェクトでも必要な人材だ。Webならではと言われたら、私は「触媒社員」が必要なんじゃないかと思っている。

大辞林第二版によると;

しょくばい 【触媒】
それ自身は変化をしないが、他の物質の化学反応のなかだちとなって、反応の速度を速めたり遅らせたりする物質。アンモニア合成の際の鉄化合物や、油脂に水素添加する際のニッケルなど。生体内の酵素も一種の触媒である。

開発チームの個々のメンバーの中に眠っているモノを、別に意図的にではなく、引き出して活性化してしまう人材。冷静に考えると、その人が何かを作った訳ではなく、なんとなく踊らされたような気さえする。でもその人の一言がなかったなら、そこに辿り着くのにもっと時間がかかったと思える。その人に何かとてつもない才能や技術があるようにも思えなくはないんだけど、冷静に考えると旗を振っていただけで、場を忙しくさせてくれるだけ。その人と組むと、ただでも忙しい現場が更に忙しくなるけれど、プロジェクトが終わった時の達成感がいつもよりも大きく感じる。

Ridualのような説明に困るような新しいものを作ると、色々と壁にあたる。先ず評価先。いずこも現場は忙しい。新しいツールなんて評価している時間などあろうはずがない。しかも、絵を描くとかピンポイントに効果を見れるツールではなく、ワークフローに関わるようなものならなおさらだ。大抵はムゲに扱われる。的外れなコメントでも貰えればラッキーで、積読(ツンドク)状態になるのが関の山だ、基本的には。そう、現場は忙しい。

でも考えた。DynamicHTMLでレイヤーに驚いたのはいつだったか。CSSでテキストが綺麗に表示できたのに感心したのはいつだったろう。FutureSplash(現Flash)に度肝を抜かされて騒いだのはどのプロジェクトだったか。はっきり言って暇なときなど今までなかったし、忙しい時ほど様々なサイトを見て回り、様々なツールを評価環境を汚す危険を冒しつつ試しまくっていた。

一人がそんな風に毎日感動してディスプレーの前に座っていると、それは微々たるスピードであっても広がっていく。別に演技を考えて感動を現している訳ではない、でも周りの人はそのリアクションを求めて集まってくる。「ねぇねぇ、こんなサイト見つけたんだけど、どう?」。勿論驚くだけでは仕事にならない、先ず真似できることが必要条件だ。だからソースも見る。感動したら、次の瞬間には右クリックでソースを表示させて解析する癖がついてくる。その癖も広がっていく。こう書けばこうなるんだ。見た目の驚きに奇声を上げていたグループが、ソースコードを囲んで熱く議論が進むようになる。

そこまで来ると、それまで眉をひそめていた上司も、なんだかアカデミックな雰囲気が出てきたと、気のせいか(もしれないが)少し寛大になる。互いが感化し合えて、効率とか利益とかではないところで、先ず作る側に喜びが生まれる。この点を考えると、この触媒社員はリーダ的なポジションにいた方が、流感速度が高いので効率的かもしれない。

ネットの何が楽しいのか、何が心を掴んで離さないのかを考えると、自分にはない価値観に触れる喜びがある。それに触れることで、「そんなのあり?」と思いつつ知らない自分が引き出される瞬間がある。別に大仰なことばかりじゃない。子育てレポートに取り組みだしたのも、好きな漫画によりはまっていったのも、そんな実例だ。意見をもつ人が何処かにいて、ネットがなかったら私は生涯その人と意見交換をしなかっただろう。でもネットがあったおかげで話ができている友人がいる。知りえない情報にたどり着けたことだって数え知れない。ネット自身が私にとって触媒の場なのだ。

そんなネット上にサイトを作るのである。同じ「触媒」に属する者が力を発揮するのが道理だろう。本好きは本屋に行くと棚から「良い本」が呼んでる声がするという。触媒人間も触媒ネットから無言の声を聞き取れるように見える。「ここに面白いモノがあるぞ」。そしてそこに喰いついた人を起点にさらに蜘蛛の巣状の「リンク」が広がっていく。そんな人材がチームに一人は居て欲しい。そしてそんな人材を上手く抱えられるチームが実は何となく強いように見える。

触媒人間は評価が難しい。アンテナは敏感だが、実際に役立つものを作るのはその人ではない場合が殆どだからだ。でもその人がいなかったなら始まらない。しかし、触媒人間は単なる「お祭り野郎」ではない。こなすべきノルマも持つ。その上で感動を撒き散らす人を指す。それが存在できるということは、受け皿も存在するということで、それは取りも直さずチーム全体の、ある「キャパシティ」とリンクする。それはそのチームの「ゆとり」や「遊び(ネジ等の連結部分が、ぴったりと付かないで少しゆとりがあること)」の象徴かもしれない。

最後に、私がよくテストケースに使っている文書を引用する。

夏目漱石「草枕」
山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

無意味な文字列でテストするに飽きた末に探し当てた名文だが、私にとってはこれはWeb開拓者(デザイナ)のことを言っていると思える。へこたれたり、疲れが溜まると読み返す。

以上。/mitsui