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[013] オフィス環境/ワークスペース

自宅から車で30分圏内にズーラシアという広大な動物園がある。敷地面積約53.3(現在は28.9)ヘクタール、展示動物約60種500点。日本最大級の動物園。

動物園の情報をこまめに見ている訳ではなくても、最近の動物園は昔と少し違うことには気が付く。昔の動物園は、絵に書いたような檻の中に動物が寂しくたたずむというイメージ。地面はセメントで、いかにもゴミは洗い流しやすそうだが、当の動物にはアカギレが痛そうなもの。ところがここは違う、たぶんここだけでなく新し目の動物園は変わってきているようだ。それは、目的が変化して来ているからだろう。ズーラシアは明記している、「種の保存を行っていくことを目的の1つ」にしていると。

「展示動物○点」という言い方に少し戸惑いはあるが、動物がただ見られれば良いという発想から、活き活きと「居る」状態にする方向に向いている。そして、それは希少動物だけに限らず。陳列されていれば良い訳ではない、その動物らしさが必要だし、それが見たいし、見せたい。その為には人間が見えない死角も用意するし、首だけ突っ込んで見るようなドームも用意する。

動物でさえこうなのだ。ましてや人間をや。正しいデザインができる人間は、かなり希少な存在だ。そうした種は積極的に何かしなければ絶滅するかもしれない。そうした能力には、発揮するのに相応しい環境というものがあるのかもしれない。

私はいわゆるデザイナ風のオフィスで仕事をしたことがない。どの会社でも決まりきった形の面白みのない机と椅子が与えられる。そして、一定期間ごとにモラルとか風紀とかいう名で、一流のデザイナは一流のビジネスマンでないといけない、とルールが強化される。問題を物質的オフィス環境だけでなく、その空気にまで広げて、「ワークスペース」と呼ぶが、何かが違うと思っている。

Web Designing 8月号で、「Webデザイナーのワークスペース」の特集をしていた。目を引いたのが京都西陣町家スタジオ。古い商家に伝統とハイテクとを融合させようとする試み。和室も良いけれど、庭も良い。あんな環境の中に置かれたら、どんな発想が出てくるのだろう。色々と想像しながら写真を見つめた。いわゆる刺激が欲しくて渋谷等へ集まる傾向もある。好き嫌いに関わらず最近のスピード感あふれるFlashサイトなんかは、やはりどこか疾走感のある街で作るべきものかもしれない。やはり環境の意味は大きいだろう。

ネットバブル時代は豪勢なデザインオフィスを色々な雑誌で見かけたが、最近は余り見なくなった。「贅沢だ」という風潮もあるように思う。でも、備えている天分やタレントを活かし切らずに、デザイナを囲うのはもっと「贅沢」で、勿体無い。

私は職場の席が嫌いだ。特にこのRidualの仕事をし始めてから、自宅のほうが余程効率が良いことを実感している。悶々と考える作業には私の会社の席は余りに、思考が中断させられる要素が多い。勿論それに助けられる時もあるし、相談相手が必要な時もある。しかし、自宅のほうが私には合う。会社に行く理由は、行かねばならないからであり、プリンタとネットと会議室が揃っているからだけである。

根本的に、Webに生き甲斐を感じているものは、働きたいんだと思う。家庭も省みず情報発信してきた者も多い。四六時中、当のクライアント以上に、そのサイトのことばかり考えている知人はゴロゴロしている。もしも快適な空間が与えられたなら、もっともっと働く用意があるのではないだろうか。会社に行くのではない、働きに行く。そんな環境が欲しい。

米国のエンジニア部隊に混ぜてもらったとき、そこでは一人に与えられているブースは四畳半以上。体育館のようなオフィスにそんなブースが、上から見ると蜂の巣のように並んでいる。その中は完全にその住人の個人部屋。3メートルを超える風船人形が飾られるブースから、小さな人形の山にキーボードが隠れてしまうようブースまで様々だった(勿論ちょっとしたアクセサリが大勢で過激なのは少数派)。さすがに女性ヌードポスターはない。それには、男性ヌードポスターで応戦した女性が居たためという逸話も聞かされた。正当な理由で幾人かでも嫌悪感を持つモノは避ける。だからタバコも全面禁止。しかも日本のように深夜になるとこっそり吸うようなこともない。集中できる快適さ。隣人と折合いがつき、その人が一番パフォーマンスを発揮できる環境は、最終的には会社のためなんじゃないかと思う。

ガンダムに囲まれてパフォーマンス上げる者も入るだろうし、すっきり整理整頓の中でバリバリに頑張れる者もいるだろう。その差は、ビジネスマンらしいかの差ではなく、個性の差の話なんじゃないだろうか。そして、「へぇー、ガンダムに囲まれている方がはかどるんだ..」なんて相手を容認していくことは、デザインの幅を広げることにも無縁じゃない。

Webの環境は、見る側の環境も劇的に変わっている。パソコンだけを考えていればよかった時代は遥か彼方だ。自分達が作ったページがどんな環境で見られているのか見極められるものなのかすら怪しい。開発環境の変化も劇的だ。かつてこんなスピードで技術が投入され過去への互換性も無視して大衆に広まっているものってあるんだろうか。まさにドッグイヤー。なのに、作る側の働く「環境」は昔ながらだ。誤解も恐れずに想像すると、これは管理者側の怠慢だ。

プログラム開発では、機能などによって分けたモジュール(部品)を最終的な実行可能な状態に束ねることを「ビルド」と呼ぶ。いかにモジュールの性能が良くても、ビルド時に正しくそれを束ねず、古いものを束ねてしまったら、最終成果物は意図しないものになる。だからエンジニアは履歴管理等を基本とするし、ビルド環境は真っ先に整える。今、Webの世界での個々人の働きはまさにこのモジュールだ。個々のモジュールがいかに良くても、最終成果物を出すビルド時に問題があれば悲しい結果が待っている。オフィス環境やそれを含めた社風やモラルは、このビルド環境にあたる。

動物ですら、定型の檻に入れて悦に入る時代は終わろうとしている。人間もそろそろ個性に合わせたワークスタイルで勝負する、勝負させる時代になってきても良いだろう。

ちなみに、Ridualはリモート開発で行った。横浜市内に二カ所と高知、計三ヶ所。全員が顔を合わせたことは数回。それぞれが自分の意志で決めたオフィス環境ではないが、自分のワガママが一番言いやすい環境だとは言える。原則週一回、開発リーダーとだけ顔を合わせる。しかしそれ以外はmailのみ。私が電話嫌いなので電話も殆どしない。意思の疎通が完全であったかというとNO。ストレスが無かったかというとNO。しかし、品質は予想を超えて良い。私の中では、今までのベストワークだし、一番疎遠にしてベストチームだと心から思っている。互いのアウトプット以外の拘束をできる限り排除したのが一因だ....と思っている。

以上。/mitsui

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