Webサイト構築プロジェクトは、良い悪いの判断を別にして、当初からから揺れるものである。行き先が変わったり、同乗者が変わったり、車掌が変わったりする場合もある。行き先を失うことすら稀ではない。生まれて10年強のメディアである。しかも、日夜それを支える技術が進んでいく。担当者も担当部署も、ある程度の試行錯誤は致し方ない。
それらに応じて、車を変え、人を変え、様々な臨機応変体制は、多かれ少なかれ要求される。それがWeb屋の幅であり、スキルや発想力とは別の「力」として期待される部分なのだろうと、最近よく思わされる。
どうあるべきか論も大切だが、そうなってしまった時にお手上げでは専門職としては淋しい。諭したり、文句を言ったりする前に、対策を講じることも大切だ。燃え盛る火事を前に、説教されても、聞かされる方は不愉快極まりないだろう。火を見れば、どうしたら火がつかないかは置いておいて、バケツリレーの列に参加してくれる方が頼もしい。
でも、同時に、分かっているのなら先に言ってくれよ、というのも本音だろう。目前に大きな穴があるのなら、危険だよと言ってくれればいいのに。でもそのあたりの言い方には工夫が要る。実際普通のプロジェクトでは、ある程度のアラートは初期の頃からあがっている。構想を練る段階ですら、危険シグナルを、開発者は感じ取る。そして、それとなく、伝えている場合が多いように思う。伝えているつもりが、伝わっていないのには、何かしら壁があるということだろう。言い方であったり、遠慮であったり、上下関係であったり、技術や論理以外の部分での壁なのかなと思う。
複数の会社が一緒に仕事をするのだから、それなりの壁は生まれる。全くなしにやらせてもらうという選択肢はない。そうした壁を考えながら進んでいかざるを得ない。それが仕事だ。短期間で形にするということを考えると、もはやWeb屋はコードやイメージを売っているのではない。コミュニケーションの仕方や、ものごとの進め方を売っていると言っていいだろう。
だから、コミュニケーション・スキルが問われる。様々なシグナルを感知し、それを言葉にし、形にし、確認する。技術的な何か(例えばHTMLの文法)を学んでから、このレベルを求められるようになるまで、そうそう時間的猶予はない。人と接することが苦手ですと言ってられる期間は短い。かと言って、技術情報の入手をサボる訳にはいかない、そこが根幹であることには違いがない。蓄積すべきスキルは増えるばかりで、楽になったためしはない。でも多分、それはどの業界でも同じなのだろう。
自分が何かしらのシグナルを発し始めると、他人のシグナルにも敏感になる。順序として他人のに気付く方から入る人もいるかもしれない。プロジェクトに関わる全ての人が何らかの信号を常に出していることに気が付くと、打ち合わせの場の重みがぐっと増す。
大手システムインテグレータ(SIer)の方を交えて話す場合で可笑しいのは、肩書きの大きな正社員が進めている話の横で、そのSIerが雇っている外注さんがしかめっ面で唸る場面だ。「いや、そりゃ無茶でしょう」と顔が言っている。でも、言葉にはしない。言えない関係、言ってはいけない上下関係が存在する。なので、そこを汲み取ってあげる。技術的詳細の部分の意見を求めると、空洞化の進んでいるSIerでは正社員は話さない、いや話せない。なので、その外注さんが語る場を持つ。困難な部分を聞き出せれば、対策を練れるし、ボツ案に追い込むことだってできる。
そうした小さなシグナルのキャッチボールが何度かできると、何かしらの信頼関係が得られる。別に相手は、SIerの外注さんだけではない、担当部署の現場の方だってそうだし、ヴィジョンに溢れる発案者だって、そう。「こういうことが言いたいのかな」と思うことを引き出して、料理ができるようにまな板の上に置く。引き出すべきシグナルやアイデアをそこに置き、残すものは残し、広げるべきは広げ、潰すべきは潰す。
「べき」の論拠は、基本的には時間的な制約が多い。いまそんな話をしていると、このスケジュールでは間に合いませんよ、が基本。時間は、雇われの身としては拘束期間だけれど、クライアントにとってはビジネスチャンス。そのバランスを考えながら、互いのビジネスの調和を図る。
ボランティアではないので、投入すべき期間やリソースが増えれば、それだけ請求する。請求できる関係を築く。そこの信頼関係がないと、一緒に先には進みにくい。「技術」という言葉を隠れ蓑(みの)にして、延々となぁなぁ依存関係を強める人たちは中々絶滅しないけれど、そんな関係は互いを駄目なものにしやすい。良いものを創り上げるというヴィジョンすら、ビジネスという基本ルールの上で成立させないと、後で道に迷うことになりかねない。
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この15年ほどのインターネットの拡大深化の歴史は、実は格差の広がりでもある。皆が一緒に最前線にいる訳ではない。ネット・リテラシのトップとボトムの差は広がるばかりで、担当者の意識もそれに然りだ。社外やユーザとのコミュニケーションの必要性すら感じていない企業も未だ未だ多い。広報担当者の中にも、エンドユーザとの対話など夢にも考えたことがない方もいる。阿吽の呼吸で良かれにはかってくれという方もいる。でも、時代はより多くの情報を求めているし、低迷する景気も、新しいビジネスチャンスを求める方向に圧力をかけている。闇雲に突き進むことだけが善ではないけれど、立ち止まっている方の分はかなり悪くなっている。どちらに覚悟がいるかと問われると、立ち止まるほうじゃないだろうか。
そんな中で、Web屋は、徐々にサービス提供者になっていると思っている。特定のエンドユーザと話をしたくなったクライアントが、戸を叩く店。あるコミュニケーションを築きたいという想いを具現化する。コミュニケーションは、基本的に一言発して終わりではないので、ある程度の期間継続する。時間という幅がない限り、成立しない。なので、サービスも一定期間必要になる。
ネットも量販店もこれほど増えたのに、街の電気屋さんは絶滅しない。それは、サポートというサービス形態へのニーズがあるためだろう。様々な言葉の翻訳から、絡まった配線の整理や、新商品の紹介から旧製品の廃棄処分まで。
こうした言葉を並べてみても、Web屋が担う作業が浮かんでくる。何かと何かをつなぐ仕事。そのためには、変化に対応する力も、変化を抑える力も、変化を進める力も求められている。
それがなくなった時が、引退というか、邪魔者になる瞬間なのだろう。プロジェクトにとって、クライアントにとって、大きく構えれば国にとって。自分がそこに加わっているが故に、何かポジティブな隠し味でも加えられなければ、自分自身も味気ない。