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[084] 嵩高紙(かさだかし)

「嵩高紙」という紙がある。最近のベストセラーの陰の立役者と呼ばれてる紙。書籍用紙として開発され、今では雑誌/ムック/カレンダーなど多岐に渡って活用されている。

従来の紙に比べて、軽くて持ち運び易く、その割りに厚みがあって「読後の達成感」を得やすい。しなやかでページをめくり易く、裏側のページが透け難い。更に、写真やイラストを綺麗に印刷できて、紙の変色やインキの色褪せが少ないので長期保存にも向いている。

特徴だけを書くと、理想的な紙で、下記のベストセラーに使われたと言われると、更に凄い紙だと思わされる:

  • 世界の中心で、愛を叫ぶ / 316万部
  • 冬のソナタ(上下) / 計122万部
  • 蹴りたい背中 / 126万部
  • 蛇にピアス / 53万部
  • 生き方上手 / 123万部
  • 世界がもし100人の村だったら / 116万部

(発行部数は少し古くて2004.7時点)

この紙の開発元である日本製紙(株)の担当者の話を読んだ。製品化に向けて動き出したのは、96年頃。様々な試行錯誤を重ね、開発中は紙が切れてしまうケースが多発し、諦めかけたこともあったという。更に曰く、「もしそこで諦めてしまっていたら、今のベストセラー本はなかったかもしれません」。

ベストセラーが、作品だけの力で成立している訳ではない事実と、そのために成されている研究開発の重みに、少し驚かされた。失礼ながら、裏が映っている印刷には文句を言いはするが、紙の品質にそんなに期待もしていなかったというのが正直な感想だ。更に、それが96年から着手されていたとは。

本来、研究開発というのは、かなりタフな仕事だ。いつ日の目を見るかも分からない、けれど、今やっていることの先に光明が見えると信じる者だけが突き進める。信じてはいても自分の立ち位置を常に疑う。形の見えるノルマを達成していく仕事も辛いけれど、ノルマの形を成さないプレッシャーも相当きつい。

切れた紙の山を見つめて、担当者や上司は、何を考えたろう。更に進むべきか、退却すべきか。そもそも無理な行程だったのか、辿り着けるはずのない頂だったのか。研究と検証と反省の中で、重い空気を吸ってきたと想像する。

価値が分かってもらえない人から見ると、資金と時間をただ浪費しているようにも見える。研究室にこもるよりも、今ある製品/商品を一個でも売りに行けば良いと陰口もたたかれたかもしれない。「紙」の文化を知らないので想像だが、そんな夢追い仕事は止めて、売れ筋の紙の色バリエーションでも作った方が「会社のため」だとかも言われたろう。

それでも、退却の判断をしなかったから、今がある。そして、良い作品とタッグを組めて、更に大輪の華を咲かせた。担当者から見れば、この紙を使うために、作家が作品を仕上げたようにさえ思ったんではないだろうか。嬉しかったろう。

研究開発には、いつ芽を出すか分からないという壁もあるけれど、タイミングという壁もある。景気の良いときは、「余力」で多少成果が上がらない研究開発もやらせてもらえる。しかし、景気が悪くなると、真っ先に切られる仕事でもある。

会社自体がなくなってしまっては、研究開発もあったものではない。なので、会社の波に沿った形で研究開発が営まれるのは道理である。しかし、景気が悪くなった後に、好機の波が来るとしたら、研究開発はその時のバネになる。

研究開発に限らず、不況のときに人員削減や採用を減らすと、どん底から這い上がった時に、競合する体力がなくなってしまっていたりする。採用数の上下は社員人口比率のイビツな分布を生み、出世競争をよりイビツな形で助長させるのと同じだ。

Webの世界でも同じことが起こる。仕事が沢山あるときには、研究開発や自社ノウハウの整理をやっている暇はない、でもそれが蓄積されていたならば、今をもっと軽々と越えて行けたかもしれない。そんな想いに駆られる人は少なくないはずだ。

かつて経験したことのある問題の解法、でもそれが再利用できるほど整理されていなくて、最初から考え直した経験は誰でもあるだろう。もっと再利用を考えてまとめておけば良かったと後悔しても始まらない。その苦しんだ時は誰にも負けない博識の自信があったが、時間と共に忘れてしまっている。

仕事に追われる時こそ、次の仕事のやり方を考える好機だと思ってきた。何をもっと効率的に成し得たら、次はもっと楽にこの山を越えれるのか。一番苦しい時だからこそ、そんなことを考えられる。

先日、苦しい仕事が明けた時、倒れる前に打ち合わせをしたいと申し出た。開発に関わった可能な限り多くの人を集めて、時間軸にそって何を成し、何ができなかったかを反芻する。そして、何がいつあったなら、異なる今日を迎えられたかを話しあった。愚痴や恨み節になる寸前で、文句大会は回避した。人を攻撃してもしょうがない。「誰」ではなく、「何」に絞って話し合った。

まだまだ仮説にしかならない。単なる思い付きの可能性だってある。けれど、幾つか今まで着手してこなかった「タスク」が見えてきた。次のプロジェクトで試せるチャンスがあったなら、やってみたいことがプロジェクトの財産として残った。やり残した悔いは無いとは言い切れないプロジェクトだったが、何かを得た感触が残った。

平時のありかたが、そのグループの道を決めていく。仕事をやりながら、次の仕事のための何かを築く。継続を考慮したなら避けられない「常識」がそこに見える。同時に、その当たり前のことをし続けるための強靭な意思の必要性も。

96年から、今後の紙業界や印刷業界/出版業界を睨み、ヴィジョンを定めて動き出す。迷っても壁に当たっても冷静な舵取りをする。しかも業界全体の生命線に関わる「紙」に関してだ。老舗業界だからこそ出来る業なのかもしれない。

紙業界にとっての「紙」に当たるもの。Web屋にとって何だろう。生命線ということから考えると、「アイデア」であり「人」なのだと思う。オリジナルという概念すら混沌とするコピーが氾濫するディジタルの世界には、伝達経路上に「紙」にあたるものは無い。でも、誰が開発に携わったのかがうっすらと推測できたり、コードの綺麗さから伝えられるものは存在する。やはり「人財」が鍵なのだと思わされる。

でも、生まれたてのWeb屋業界には、紙屋ほどに長期間じっくりと煮詰められた基盤(人財環境)整備はしていないのではないか。先日も知り合いのWeb屋チームから退職者が出た、最後の台詞は「これ以上ここに居ても学べるものがない」だったとか。痛切だ。

最近、Web業界に活気が少し戻ってきたように見える。知り合いの多くが忙しくて倒れるほどだ。ここ数年の冬の時代の過ごし方がボディブローのように効いて来る時期だとも言える。仕事が増えてきたということは、飛び出す(退職)する人達にもチャンスとなる。

「次に楽にならない」仕事のやり方を続ける組織に所属する意味が薄まる。飛び出しても仕事にありつけるのだから。短い現場人生なら、楽しく、やり甲斐のある仕事に就きたいのが人間だ。

倒れる程の忙しさの中でありながら充実感を感じることが出来る働き方。Web屋にもそんなマネージメントが必要な時代に入っている。同じ作品を読んでも、その「紙」によって受け取るものが変わるように、同じ仕事をやっても残るものが異なるような「やり方」。

古くて新しい問題、人財。他業界を羨ましく感じてばかりいても、進まない。

以上。/mitsui