「不毛地帯」の次に惹きつけれたのは「mother」。松雪泰子、つくづく薄幸で芯の強い女性が似合うなぁと毎週毎週見入っていた。忘れられないのは、「フラガール」の誰もいない練習場での独演シーン。まさに息を呑む美しさ。あれほど強烈な自律性はないけれど、迷いながら、戸惑いながら進む姿が危うくまぶしかった。そして子役の芦田愛菜。将来が楽しみな子が一人増えた。
▼mother
http://www.ntv.co.jp/mother/
▼mitmix@Amazon - Mother [DVD]
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物語は、一人の家庭内暴力を受ける少女と、女性教師の逃避行の果て。いびつな出会いから、互いが惹かれあっていく様、そして命を救う行為と犯罪行為。巻き込まれる周囲の人たちの決意と、その励まし。主人公の過去に絡めながら、一度受けた傷がどこまでも断ち切れずに残る業のような感覚。代償の大きすぎる秘密。そして、別れというか再生と呼べるような未来。
物語はほぼ女性だけで進んでいく。何人か男性は出てくるが、その頼りない姿は、見てて哀しくなる。主人公の母娘にしても、息子ならどうだったろうとか全然考えられない。芯の強さの部分から、娘でないと成立しないなと思ってしまう。見ながら、役立たずの自分の姿を見せ付けられる想いもした。
少々ネタバレになってしまうが、最終回の時間の感覚がなんとも言えず、本当に最後の15分間は何度も見直した。10年というスパンで、子供と向き合う。できないなと素直に溜息をつく。手取り足取りで10年なら、なんとかなると思う。でも離れて10年、意識し続けて、である。気の遠くなりそうな時間の隔たりと、包み込むような大きさだ。
そして、想いを伝える手段として、手紙という形態の存在価値。mailでそそくさと用件を済まそうとするけれど、贈る言葉の重みと、保存期間や形としての姿としては、電子媒体の弱さを考えさせられる。10年保存できるmail。Gmailならまぁできそうな気はするが、大切にしまい込むようには行かない。
更に、番組全体のコピー。「母性は女を狂わせる」。何度も何度も考えた。ここに出てくる女性達は狂わされた者たちなのか。このコピーは本当にこの物語全体を現しているのか。狂っているのは社会なのではないか。何が犯罪で何が正義なのか。狂わされたかもしれないが、その後正気に戻ったというべきではないか、などなど。
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私は実は過去に本を出したことがある。それも育児本。「ミルクエイジ―平成パパの子育てレポート―」。長男が三歳、長女が一歳になるまでの我家の奮闘期。会社で育児に向かう先輩達に刺激され、書き溜めたもの。自主出版でもと思ったところ、編集者の目に留まり形にして頂けた。
▼mitmix@Amazon - ミルクエイジ―平成パパの子育てレポート
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▼MilkAge-ユウトとアンナ-平成パパの子育てレポート
http://homepage3.nifty.com/mitmix/MilkAge/index.html
※)基本的には校正前の生原稿(完全放置状態)
もっと書き残したいものはあったけれど、これが限界。でもこのお陰で家族として会話が弾んだ時期もある。諸々のトラブルの際に、読み返して力付けられたこともある。
息子が大学に入り、まさに紆余曲折しながらの歴史が少しずつ、かろうじて家庭や家族の形に整い始めている。叱り/叱られる関係から、徐々に個別の独立体になろうとしている。ネットが共通の話題になり、今一番平穏な時期にさしかかりつつある。私が知らないことを子供達から聞く、私が学んできたことを疎まれながらも話す。どこかで見た光景を演じている気さえする。
それでも、自分がそうした様に、さっさと家を出るようにチクチクとつついている。もはや探すのも大変だろうけれど、私が過ごした四畳半の下宿生活は、その後の価値観を大きく支えている、一人でやり続けることの大変さを学ぶ場として、二十歳前後の時間はうってつけだった。
共にいるからこそ家族。それでも離れても家族。自分達の立脚点を考えながら、それぞれの繋がりの強さも考えてみる。さすがに、このドラマには敵わない。
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親が子に望むもの、親が子にしてやれること。その大きさと、小ささ。このドラマのようには行かない。そもそも日常的な設定は殆どないドラマだった。短い期間に交わされた重い交流の持続性。こんなにも鮮明に残り続けるのかと問いながら、残り続けて欲しいと願う自分に気付かされる。本気で、幸せになって欲しいなと願わされた。
そして、友達のように語り合う母娘の姿を想う。どんな会話が交わされるのだろう。最後の手紙に綴られたように、色々と考える。笑う笑顔に様々な想いが重ね合わされるのだろう、抱きしめても抱きしめても未だ足りない何かもあるだろう。でも軽やかに笑いながら、涙しながら話すのだろうなと想う。
幸せの形の様々さ。見た目以上に蓄積された歩みの重み。そして10年先を見つめる視線。そのための覚悟。画面に映し出される以上に広がる世界に感謝したくなる。
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毎回ぐしょぐしょになりながら、こうした種類の感動をWebで伝えるのは難しいなと思う。気移りしてしまう分、ここまで没頭できないだろう。そもそもこのドラマは言葉がどれもポツリポツリだったので、異常に集中して聞き耳たてていた。そんな緊張感をWebに持ち込む事自体が難しい。日頃五月蝿いコマーシャルさえ、一息入れるためのリズムとして機能していた。未だ未だTVの力は大きいなと感じる。
様々な情報や感動が、様々なメディアを通して、私達の身の回りを囲っている。ネット最優先の生活は職業柄致し方ない部分もあるけれど、様々な融合や共存も考えていくべきなのだろう。ドラマに浸るたびに考えさせられる。
以上。/mitsui
【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]