一つの夢が叶った。いつか日本以外の舞台で講演したい、実はずっと思っていた。それが三年越しの付き合いから、実現した。予期できぬ依頼から、思わぬ場所で。
三年前、日本のテクニカル・コミュニケーター協会(JTCA)から基調講演の話が来た。テクニカル・コミュニケータ(TC)という言葉さえ知らない状態だった。担当者は、トリセツ(取説)を作っています、と説明した。取扱説明書、或いはマニュアル、それらを専門にしている方々の団体だ。そこが「Rich Internet Application(RIA)」について語れという。正直少し驚いた。
▼テクニカルコミュニケーター協会
http://www.jtca.org/
Adobeさんからの紹介で、実は二年越しの計画だったと打ち明けられた。紙という立ち位置から、情報伝達の方法を工夫しようとする姿勢に惹かれた。Webから見た「紙」は、実はある意味「競合」や「駆逐すべきもの」というニュアンスがある。紙の辞書と電子辞書との比較が分かり易いものかもしれない。
しかし、電子書籍のブームを見ていても分かる通りに、デジタルと紙とは二者択一の関係にはない。紙で見た方が分かり易いものも、デジタルで見た方が使い易いものもある。逆もしかり。出版社の肩を持つ訳でもなく、共存した未来が、迎えるべき未来なのだろうと思える。
名だたる基調講演者の歴史を見せられ、汚点のように残ると尻込みした。でも、断る勇気もなく、話してみたい/交流したいという想いに押されて、引き受けた。RIAという考え方を、ユーザ中心の考え方として、使えないものを使えるように、使えるものを使い易いものに。いつものRIA論を話させて頂いた。
▼テクニカルコミュニケーター協会 > TCシンポジウム
TCシンポジウム2008 プログラム詳細
製品取扱情報を、より良いユーザ体験とするために ~ WebのRIA技術から学ぶこと~
http://www.jtca.org/symposium/2008/lecture.html
その講演直後に、韓国の方が近づいて来て、今回の話が生まれた。講演内容が全て理解されたようには感じなかったけれど、言葉の壁は、絵を多用していたので何とかなったようだ。その後、諸々のすれ違いや問題もあったけれど、この月曜日(2010/10/18)に形となった。
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目の前に約130名。縦長のミーティングルーム。逐次通訳。こちらが笑って欲しいタイミングと、その理解が及ぶのに時間差が生まれる。そもそも台本は作らないようになっているので、アドリブが多い。時間を見て、反応を見て、それなりに話を操作することは多少はできる。しかし、その勘が通じない。誤訳や通訳者の負担を考えて、できる限り小さい単位に区切って言葉を選ぶ。自分のスタイルではない。少しもどかしい。
舞台で通訳者と二人で立つ。呼吸を合わせて行く。信頼関係が出来上がったのは、前日だ。プレゼン資料は予め送っていたが、その訳語などの調整がしたいと言われる。喫茶店で一時間、二時間分の講演サマリを話す。でも、その彼女の手には、私が今まで書いてきた記事の束があった。検索で見つけて、印刷し、この内容はこれかと問われた。
同じ話しかしていないのが丸分かりだ、と思いつつ、その熱意に驚き感動する。しかも、日本語は高校の時の第二外国語で学んだ後は、日本のアニメとTVドラマで独学したという。ニュアンス的な部分が伝わりやすかったのは、同じアニメをベースにしていたからかもしれない。
とにかく、舞台では二人三脚だ。私が中央に出て話すと、彼女も中央による。私が袖の机のところに寄ると、慌てて彼女も下がる。私のプレゼンはPDFだけれど、拡大縮小を繰り返す。しかも杖をつきながら、行ったり来たり、時に杖をポインタ代りにしてスクリーンを指し示したり。自分にしては約二時間の大活劇。
つまらない講演では、人は寝る。それは万国共通なのは分かっている。冷静な友人がカウントした限りでは、寝たのは二人だったとのこと。後ろの方まで、じっと見つめてくれている視線を感じる。逐次通訳の時差の分だけ、少し冷静になり易いのかもしれない。
言いたいことは、やはりユーザ視点に立たなければならないという話。マニュアルを先にダウンロードして製品購入に至るという道筋は広まっている。つまり、マニュアル自体も宣伝媒体になりつつある。しかも操作説明だけでなく、活用情報が求められている。その製品がどれほど購入者の生活をハッピーにするのか。秀逸なiPhoneのCMを例に出し、Webとの連携の可能性に触れる。
▼YouTube - Apple iPhone 4 TV CM - バースデー
http://www.youtube.com/watch?v=OWmUkuYFj_M
前の晩、というか実際直前までかかった資料の修正作業で、何度も何度も脳内シミュレーションは済ませてある。鍵となる言葉はエキサイト翻訳でハングル化した。それをなぞるように進める。でも、直前に日本の現状分析データの発表もあったので、それらも取り混ぜる。途中から、腰の辺りに激痛が走る。寝ないでの準備や、直前までの負荷がたたった。でも、なんとかやり切れた。私の言うお礼と、拍手とが、やはりずれる。何度か滑稽なお辞儀を繰り返す。
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正直に言うと、夢見ていたのは、英語の舞台だった。自分の英語力も顧みず、無謀な夢である。ユーザの立場に立てと言いながら、話を聞かされる相手のことを全く考えていない。なので、韓国で逆に良かったのだろう。
韓国。近くて遠い国、近くて近い国、日本語がかなりの場所で使える国、様々な文化的類似点、身内として迎えられた者への過度に思える歓待、されど苛立つほど無愛想な店員、複雑な歴史関係、複雑な国際関係。もてなしと遠慮との狭間に、様々な想いがよぎる。そして、様々な視点で様々なことを考えることができた数日間。
尖閣諸島問題も、中国の問題も、戦争問題も、日本では考え付かないことを学ぶ。文化や経済の浸透度、共通部分の広がりや、その意味するところ、諸々書けないような話も聞く。デジタルサイネージや電子書籍の話、デジタルアセット管理、マネージメント手法や業界の苦労話、今後の展望。夢物語のようなコラボレーション構想。話は広がる。話に行ったのに、学ばせて頂いている。言葉が自由にならないが故の緊張感と、一期一会の緊張感が、好奇心に火を灯す。
話し下手が、味をしめて講演好きになってしまった。そして抱いた国際舞台への憧れ。規模は大きくはなかったけれど、自分的には大きな舞台。そして、想像以上の収穫。思い続けて良かったと思う。荒唐無稽に思える夢でも、描き続けたからこそ実現したのだろうと。
Webに直結しない部分でも、溜め込んでいる幾つかの夢。次はどれが実を結ぶのだろう。楽しみにしつつ、精進精進。
以上。/mitsui
【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]