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クロ現)STAP細胞はあるのか

STAP細胞はあるのか」。このタイトルよりも、国谷さんが最後に言った、「日本の研究の脆弱性」の方が本質を突いている。

この問題は、理研が「論文の体をなしていない」などという点で戦いを仕掛けたことがそもそもの間違いだと思う。体をなしていない論文を出すことにOKを出したのは誰かという問いになり、そもそも管理ができていないことは誰の目にも明らかなのに、醜聞合戦になりかけている。正直言って、税金使ってどこまで喧嘩すれば気が済むのだろう、という感じ。研究の品質を問題にすべきだったのに、聞き様に依っては人格否定になった部分が、戦う土壌を見失った分岐点。まさに教育というか管理ができない理研の姿の露見。

研究者が厳しい意見を出すのに対して、市井の人々の反応が同情に回っているのは、「だってちゃんと教えられなかったんでしょ?」という、もはや常識的に察知している、日本の知識の場での脆弱性の問題のため。「俺の背中を見ろ」と言いながら、どう導くかを責任をもって考えてきた世代ではなく、単に自分の研究環境整備やまさに利権しか追えない「先生達」が先導できる未来への脆さの予感が増々強まっていっている。政治家やビジネス界、ついに学び舎まで。ブルータスよ、おまえもか…。

最後に国谷さんがどういった対策が打てるかという問い。透明性など、いつも通りの答え。もう国谷さんは「いやいや、んなことできた試しないじゃないですか」と喉まで出かかっているようにさえ見えた。そう、できないんだよね、そんな当たり前のことは。

Webの世界では、例えばビジネス的に不適切なTweetをした場合の処分は、SNS禁止令なんだよね。SNSで不適切な発言をすることを抑えられないものは、その場から立ち去ってもらう。一番その人が辛さを感じてもらう方法で罰を与える。そして、その期間は当然ながら問題の深刻度。だとしたら、小保方さんに今後の研究の可能性はない。Natureや科学そのものに向き合う姿勢の問題だから。そして、この理研の管理のずさんさ。共同執筆者って何なんだろう。世界中が驚いているのは、STAPの有無以前に、日本の日本の科学界のあり方だと思う。研究者の楽園と称される「理研」の重み、というか軽さ、まさに耐え難い軽さ。同じ理屈で関係者は、研究も経営?も禁止が妥当では。上のものに厳罰を処す、これしかモラル復興手段はないように思うので。どれだけ研究ができるかが問題ではないのだと思う、どれだけ後続部隊に悪影響を残しちゃうか。

第三者調査委員会とか、そんなお茶濁しとかしている場合なんだろうか。システムの場合、脆弱性が分かっていれば、時間を置くほど被害が大きく深くなる。手立ては早急に塞ぐしか無い。そんな提案を、自らの襟を正す気概で語る方々を呼んで欲しい。